04

 蒼グリ地獄に落ちた夏休み。


 始業式というリアルイベントを持って、ようやくその地獄から開放された。


 昼夜逆転生活からは抜け出せず。日の光の下を歩くのは、実に夏休み初日以来である。


 太陽というものはこんなにも身体を苛むものなのか。その眩しさに頭痛すら覚えながら、一睡もせずそのまま登校したのだった。


 教室に入ると、あっという間に友人たちに囲まれる。


 目にくまを作り、顔色の悪いこの様をこれでもかと心配されたのだ。


「ほんと、あの男は絶対に許せないわね」


 友人の一人が、ふいに憤り出した。


 わたしを心配してくれている場なのに、なぜ急に男の話を始めるのか。友人の男関係になにかあったのかと、こちらのほうが心配したくらいである。


 彼女に追随するよう、皆が次から次へとその顔を怒りに染めた。


 なにを皆は怒っているのか。話が進む中で、ようやくわたしは思い出したのだ。


 わたしには元々恋人がおり、夏休み初日に彼に裏切られたことを。


「ああ……そんなこともあったわね」


 と、わたしは他人事のように呟いた。


 蒼グリ地獄に陥った、昼夜逆転生活を送った夏休み。自分に恋人がいたなど遠い過去のように感じており、そこに未練は微塵もない。そんなどうでもいい男よりも、小太郎のことで頭が一杯であり、なぜ画面の中から出てきてくれないのか。その叶わぬ恋に、ため息をつくばかりの日々である。


 だが皆は、そんなわたしの言葉を強がりとして受け取ったようだ。


 無理もない。昼夜逆転生活に加え、食事もおざなりになっていたのだ。夏休み前は痩せなきゃなんて使命感に駆られていたはずが、運動をしていないのに体重が落ちていた。それが顔にも出ているのだろう。


 夏休み初日以来、誰とも顔を合わせていなかっただけに、余計な心配をかけてしまった。


「大丈夫だって。夏休みは昼夜逆転しちゃって、それが戻ってないだけだから」


 と笑ってみせるも、誰も大丈夫だと受け取ってくれない。むしろどんな悲惨な昼夜逆転生活を送ってきたのかと、不安にさせてしまったくらいだ。


 アダルトゲームにハマって、夏休みの全てを捧げてしまったなんて言えるわけがない。追求されてもはぐらかすことしかできず、それが余計に歯がゆかった。


 わたしは日常に帰ってきた。


 花の女子高生生活に戻るのだ。


 アダルトゲームとは無縁な、本来のわたしの生活がここにはある。


 昼夜逆転蒼グリ地獄から帰還したわたしだが、その後遺症は深刻なものであると、すぐに思い知るはめとなった。


 休み時間、


「あー、マジでクリスちゃん可愛い」


 と、スマホを見ながら友人が言い出したので、振り切れん速度を持ってそちらを向いた。


 アダルトゲームとは無縁なはずの彼女が、なぜ急にクリスの話を持ち出したのか。蒼グリプレイヤーなのかとつい切り出しそうになったが、なんとか思いとどまった。人気雑誌モデルの話である。


 危ない危ないと気を取り直すと、


「んー、私は桜流しが一番かな」


 隣の席から、ふいにサクラの秘奥義の名が上がって驚いた。まさか蒼グリの一番好きな技の名前で盛り上がってるのか、と口を挟みそうになったが踏みとどまった。ただの音楽の話であった。


「わたしはコタロウくん推し!」


 わかるカッコイイもんね! と同意しそうになったが、危ない危ない。男性アイドルの話であった。


 その後も蒼グリに絡んだワードが出る度、一々顔を向けるくらいには反応してしまい、まさに挙動不審であった。友人からは何度も大丈夫かと心配され、苦笑いで乗り切るしかなかったのだ。


 蒼グリをやり込みすぎて頭が完全におかしくなっている。


 私はオタクではない、オタクではない、オタクではない。


 そう繰り返し自分に言い聞かせながら、まずは今日という日を乗り越えんと意気込んだ。


 放課後、カラオケに皆でいかないか、という話があがった。


 寝不足ですぐにでも布団に潜り込みたい。だが、そうすると昼夜逆転は完全に治りきらない。一人で部屋にいるのはいけないと、己を奮い立たせ、その提案にいいねいいねと乗ったのだ。


 明らかに体調不良っぽいわたしを心配する声もあったが、


「いいの、今日は歌いたい気分なの」


 と言って押し切った。


 空元気なりに失恋を乗り越えんとする、決意表明のように受け取られたのかもしれない。


 そうして放課後、わたしたちは街に出ていた。


 いつものカラオケに向かう途中、


「あ……あいつ!」


 ふいに友人の一人がそんな風にいきり立った声をあげた。


 どうしたのかとその目線の先を追うと、夏休み初日以来となる男の姿。三月に告白し、恋仲となったはずの男がいたのだ。


 今日は女の影はなく、男三人で街に繰り出してきたようである。共にいる男二人は、よく知る中学校の同級生であった。


 わたしのためにいきり立った友人も、そんな彼らと同級生なのだ。彼女が突撃するのに迷いはなかった。そんな彼女に他の友人たちも追随し、あっという間に五人は男たちを取り囲んだのだ。


 矢継早に文句を四方八方から浴びせられ、狼狽する男たち。関係ない二人が可哀想だなと、他人事のようにその光景を外から眺めていた。


 いい気味だ。


 自業自得だ。


 なんて感情も浮かばないほどに、彼のことはどうでもよくなっていたのだ。


 そうやってボーッと眺めていると、こちらに気づいた彼と目があった。


 悪びれる様子もなくその顔は、こいつらをなんとかしてくれ、そう言っているようにも見えたのだ。


 そんなとき、ふいに隣人の言葉が脳裏に蘇った。


『この手の動機は時間が経てば、その内怒りのほうが勝ってくる。死ぬかどうかはビンタを一発を入れてからでも、考えるのは遅くはないぞ』


 そういえばわたしは、この男のせいで一度はベランダから身を投げんとした。


 蒼グリを始めるまで、わたしを支配していた負の感情。かの二字熟語たちはもうこの胸の中から消え去っている。が、それを思い出した瞬間、ふつふつとこの胸は、新たな二字熟語たちで満たされてきた。


 憤怒、怨嗟、雪辱。


 次に意識を取り戻したときは、もうこの手のひらを振り抜いていた。


 バチン、という音が一瞬前に上がったような気がする。


 ヒリヒリと痺れる右手の痛みが、今はどこか心地よい。


 尻もちをついて頬を抑える男を見下ろしながら、わたしはこれでもかと叫んだのだ。


「バーカ!」

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