第32話

 廊下を足早に二人で階下までやって来ると、大友の事をどうするか手短に話し合う事にした。

 清吾は大友に殴られた分はキッチリと報復して追い返そうと思っていたが、明星の意見は違った。


 慈悲深いことに彼女は、大友の事をもう許しても良いのではないかと清吾に言った。

 彼女から言わせれば大友はもう十分後悔しているだろうと言うことだ。

「私が暴力を受けたわけではありません。なので私が言うのも違うかもしれませんが…………暴力を振るわれた清吾さんは納得出来ないかもしれません。ただ怒りに任せて暴力に暴力で返してしまってもあまり宜しくないかと…………清吾さんの立場的にも…………」

 彼女は戸惑いながらも一生懸命に自分の考えを伝えようとしてくれている。


 そんな優しい明星の意見を聞いて清吾も度量を見せて許さざるを得なくなってしまった、不本意ながらも。

 清吾は明星の意見に賛同の意を表し、二人で玄関に戻ろうとした。


 不意に興奮した声が廊下に響いた。

「それは違うと思います! それなりの代償を払わすべきです! 」

 驚いて振り返ると仁王立ちのひかりがいた。隣で申し訳なさそうに秋文が翔太と手をつないで立っている。


「申し訳ありませんが、お二人の話を聞かせてもらいました」

 ひかりは堂々と真っ直ぐこちらを見ている。

 凛とした彼女の態度はどう見ても申し訳なさそうには見えないが…………。清吾は初めて見せる彼女の強い眼差しと気迫に気圧されてしまった。どうやら彼女は憤慨しているようである。

「清吾さんに手を出すなんて許せませんっ! その男こっぴどくやってしまいましょう! 今、みんなで! 」


 秋文が慌ててひかりを宥め出した。

「ちょ、ちょっと、ひかりさん、落ち着いて下さい。今、話がまとまりかけてたでしょ」

 だが、ひかりは収まる様子を見せなかった。

「確かに明星さんのおっしゃる通り暴力に暴力で返す事は良くないと思います。ですが果たしてそれで良いのでしょうか? 秋文さんは腹が立たないのですか!? 清吾さんは私たちの恩人であり、屋敷の主人であり、雇い主であり、私のご主人様でもあります。そんな清吾さんに暴力を振るった男を私は許せません!! 皆さんそう思いませんか? 」

 ひかりの大きな演説が廊下に轟いた。

 清吾はひかりの憤っている気持ちが嬉しかった。「ご主人さま」と言うワードには少し引っかかるものがあったが。それでもやはり、ひかりが自分の事を思ってくれている気持ちが嬉しかった。


 嬉しかったのは事実だが…………清吾も穏便に済まそうと思っていた矢先だったので、秋文と一緒にひかりを宥めようとした。


「ありがとう、ひかりさん。俺のことを心配してくれて、だけど……」と発言している途中で、秋文が大きな声を出し清吾の言葉を遮った。

「そうだな、うん、そうだよ! 清吾くんは俺の恩人だ! そして俺の恩人であり、仕事仲間であり……その……親友でもある!!! そんな清吾に手を出すなんてっ! 許せんっ! 断じて許せん! 今からソイツをみんなでヤッてやろうぜ!! 」


 清吾は秋文が親友と言ってくれた事に対して飛び上がって喜びたいくらいだった。そして自分の名前を呼び捨てにされた。清吾は心の中で狂喜乱舞、扇子を持って踊りまくっている。

 清吾は嬉しさで笑みが溢れそうになるのをグッと堪えた。そしてそれをおくびにも出さずに冷静に秋文とひかりに対処しなければならない。そうでなければ、このまま行くと収集がつかなくなってしまう。

「二人の気持ちは嬉しいんだけど……ちょっと、冷静になってみてよ」


 ここで、ひかりに否定された明星が、やっと口を開いた。

「はい、冷静になって考えると…………やはり私も大友は許せません。彼は許されざる事をしました。なので私もみなさんに参加します!! 」

「おおっ!! 」

 明星の宣言を合図にひかりと秋文が雄叫びを上げた。翔太も言葉にならない何かを叫んでいた。


 清吾は唖然として言葉を失った。


 いきり立った三人が、清吾の前を通り過ぎて大友の待つ玄関へと歩いて行く。

 三人は本気で大友に危害を加えるつもりなのだろうか? 清吾は彼らの後ろ姿を見送りながらそんな事を考えていた。


 呆然とする清吾の手を翔太が掴んだ。翔太の笑顔と、小さな柔らかい手の感触で清吾は我に返った。


 清吾は慌てて三人の背中に向かって声をかけて呼び止めた。


「イヤイヤ、ちょっと待ってよ、みんなの気持ちは嬉しいんだけど…………」


 三人は清吾の声かけを無視してどんどん歩く。


 三人は清吾の事で怒ってくれているのに、清吾の言葉に全く聞く耳を持たないおかしな状態になっている。

 翔太は直ぐにいつもの三人の様子では無い違和感を察知したのだろう。翔太がみんなの気迫に少し怯えているようだ。

 清吾は翔太を抱きかかえて、勇者の如く歩く三人の前に回り込りこんだ。


 それから一呼吸置くと、みんなに宣言するように声を張った。

「みんなのお陰で、気分は晴れました。みんなが俺のことを気にしてくれて、有難うございます! 」

 自分の気持ちを伝えるのは、恥ずかしかったが清吾は頑張った。顔が赤くなっているのを自分で感じて、更に熱くなったように感じた。

 今言ったことは、清吾の本心である。みんなが清吾を思い遣ってくれるのを知っただけで、清吾は幸せな気持ちになった。本当に大友の事など、どうでもよくなったのだ。


 みんなは清吾とそして彼に抱きかかえられた翔太を見つめている。どうやら可愛い翔太の怯えた顔を見て、正気に戻ってくれたようだ。


 全員で大友を待たせている玄関に向かった。応援団をゾロゾロと引き連れ玄関に戻った清吾と明星を見て、大友の怯えようは物凄かった。大友の瞳は目まぐるしく動き回り激しい瞬きを繰り返している。


 大勢で玄関までやって来られて、一体何をされるのだろうか、という恐怖心からだろう、大友の瞳孔を限界まで大きく広げている。


 清吾は明星を見て頷き、ひかりと秋文を見て頷いた。そして怯え切った大友に「もう帰って良いよ」と吐き捨てるように言った。


 大友は一瞬笑いと困惑の間の表情をした後に素早く立ち上がると、ぺこぺこお辞儀を繰り返した。緊張と恐怖の連続で顔の表情筋が馬鹿になったようだ。


 みんなの見守る中、大友の事をゴミでも見るような目つきで、埃を払うようにぞんざいに突き放す事でこの件を終わりにした。清吾に出来る精一杯の仕返しである。


 清吾は会社の警備員にキチンとお礼を言うと、大友を連れて帰ってもらった。

 僅か数時間の出来事でドッと疲れが出た。明星も、さぞかし疲れた事だろう。


 この日、清吾は大友のお陰で、うろこの家の住人達の距離がグッと縮まったのを感じた。

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