第30話 暖かなウロコの館


 清吾たちがウロコの家に帰り着くと、ひかり、翔太、秋文の三人が笑顔で迎えてくれた。三人の温かい顔を見て安堵感を覚えた。清吾はいつものこの状況が嬉しくて涙が溢れそうになった。


 清吾たちの様子がおかしい事に気がついたひかりと秋文が心配してくれたのが、有り難かった。とうとう明星は、堪えきれずに泣き出してしまった。


 ひかりは、嗚咽を繰り返し泣きじゃくる明星の肩を抱きしめながら奥の部屋に連れて行った。そして振り返ると「私に任せて下さい」と言うように目で合図した。


 清吾はゆっくり頷き明星の事はひかりに任せる事にした。

 秋文は心配そうな表情で見つめていたが、明星の個人的な事なので、清吾の口から秋文に話すのは控えておいた。


 そして翔太を秋文に任せると、直ぐに俊吾に非難の電話をかけた。

 先程あった出来事を事細かく説明してから、複雑な環境の明星を任せるならもっと詳しく説明をするべきだったと強い厳しい口調で俊吾に訴えた。


 清吾の話を聞き終わった俊吾は一言「そうか」と言っただけだった。ただし、それはいつもの優しい口調とは違い、重く絞るような声だった。

 清吾はいつもの俊吾と違い戸惑って、それ以上は俊吾の事を責めることはしなかった。

 それから直ぐにいつものトーンに戻った俊吾は清吾に謝罪した。今度はいつものように優しい口調であった。

 そして俊吾は明星の置かれた複雑な状況を語り出した。


 今川 明星の父、今川 直道の運営する会社の経営状態は良くも悪くもない。元々直道の祖父が興した会社である。直道は事業を大きく発展させる事はできなかったが、衰退もさせなかった。


 だが、彼は時代の波に乗れずに衰退していくよりはと、子供が受け継ぐ前に会社をもっと大きくしようと考えて社運を賭けたプロジェクトを行った。

 そして失敗した。大失敗と言うほどではないが、会社が少し傾くくらいの打撃は受けたのだろう。


「まあ、方向としては、決して悪くはなかったと思うんだけどね」と俊吾が残念そうに呟いたのが清吾の頭に残った。


 まず大友 義宗はユナイトロウの社長の一人息子である。彼は社外パーティで見目麗しい明星を見て大変気に入り、ユナイトロウとの提携と援助を持ちかけた。

 勿論、明星との婚約を条件に。よくある話である。


 元々ユナイトロウは今川の会社にとって大口の取引先だったのだが更に親密な関係になる提案を通して明星を手に入れようとした。大友社長の息子可愛さであろう。


 今川社長としては何とか穏便に断りたかったが、それも難しかったようだ。会社の運営のためにも大友を怒らせる訳にはいかなかったからだ。

 運営資金で困っている今川社長は悩んだ。彼は、誰にも言えずに大いに悩んだ。

 ある親善パーティでの事、かなり酔ってしまった今川 直道はつい、偶々たまたま居合わせた俊吾に不満を吐き出してしまったのだ。特に親しくも無い俊吾に。親しくないからこそかもしれないが…………。


 そして彼は俊吾が提案した案に乗ったのだ。

 提案とは清吾のウロコの家に明星を避難させる事だ。そして直道にはそれが妙案に思えたのだ。


 第一に明星を大友から引き離す事。第二に明星と清吾が仲良くなってくれる事。清吾と明星の二人が一緒に生活していくうちに親密になるのが直道と俊吾の理想であったようだ。


 俊吾は清吾に沢山の異性を知る機会を与えたかったようだ。

「ちょっと、ちょっと。大きなお世話なんですけど」

「俺はお前がどんな人間と結婚しようが反対するつもりはないよ。だけど多くの異性と出会って多くの経験をして欲しいんだ。より良い伴侶を見つけて欲しい、そう思っているだけだ。だから、お前が家政婦のオバさんと結婚しようが文句はない」

「だから、オバさんじゃないからな、あの人は! 若いって何度も言わせないでよ! 彼女は美人なんだから! って言うか俺はあの人のことを別にどうこう…………そりゃ、美人で優しいけども」

 清吾は一人顔を赤らめた。


「わかった、わかった。兎に角、俺の個人的な事情で一色グループを使う訳にはいかないだろ。それに今川社長を援助して助けてまで得る程の大きな利益を得られるかどうかは予測できない。だから、お前と今川のお嬢さんが一緒になれば、親族としてグループ全体で手を貸しやすいと思ったんだよ。この件に関して俺が、お前を罠に嵌めようとしたわけではないぞ。大きなお世話はわかってるけど、俺はお前には幸せになって欲しいだけなんだよ」


 俊吾が自分の事を真剣に思いやってくれていることは清吾自身十分に感じとっている。何の取り柄もない自分のことを大切に思ってくれている俊吾の気持ちが有り難く、照れ臭く感じた。


 俊吾の思い遣りは重々承知の上で「じゃ、そっちの方はどうなの? 自分の結婚相手を探したらいいじゃん。これは嫌味じゃなくてさ」と言った。清吾の率直な気持ちである。

 俊吾は清吾と違い整った顔立ちから女性にモテるはずである。


「俺の事は良いのだよ。大事なのは、お前の事! もう二十五なんだから、お前の思うようにやりたいように、好きにやれって事。何を差し置いてもお前はグループのトップなんだから。もうちょっと好き勝手しろよ! 」

 俊吾の言葉は優しかった。

 同時に清吾に懐かしい祖母の言葉を思い出させた。


「じゃあ、取り敢えず、あの大友は気に入らないかな。今川さんに付き纏うのも止めて欲しいな」

「了解だ! あとの事は任せろ! 」

 俊吾の力強い言葉が電話の向こうから聞こえる。


「でも、もしそんな事してウチの立場と今川さんの立場が悪くなったりしないの? いきなり契約を切るって事になるんだよね? 今川さんと大友の会社と。ウチは大友の会社と取引きとかしていたりしないの? 」


「言っておくが、大友のユナイトロウはウチにとっては木端だよ。ウチと比べると蟻みたいなもんだからね。大友が蟻で一色グループは地球」


「象じゃなくて地球? 生き物じゃなくて? 」

 清吾は俊吾の答えに戸惑いながらも笑い出した。俊吾も電話の向こうで笑っている。


 清吾は俊吾の大袈裟な答えに何処までが本当か分からなくなった。だが、清吾は俊吾の話を聞き徐々に気分が軽くなっていくのを感じた。

「じゃ、助けてよ、彼女の会社。イヤ彼女のお父さんの会社」

 お人好しと思われるかもしれないが、清吾は既に明星に情が移ってしまっている。


「それも了解だ」

 俊吾の力強い声が聞こえた。

 俊吾との会話で、清吾はさっきまでのモヤモヤと嫌な気持ちが解消され、気持ちが落ち着くのを感じた。


「しかし、親族経営のオーナー社長は偉そうなの多いからなぁ。そしてその副社長だったら代々続いて苦労知らず。偉そうにもなるわなぁ。あっ、言っとくが、お前の事じゃないぞ! 」

 俊吾は最後の部分を慌てて否定した。


「次に大友のバカ息子に会ったら遠慮はいらないぞ。コテンパンにしてやれ! 」

「イヤイヤ、俺がやられたんだって、ふふ」

 清吾は笑った。俊吾が励ましてくれるだけで心強く感じたからだ。


「結論として大友のユナイトロウの代わりに一色グループが請負うって事で良いのか? 」

「そうしてもらっても良いかな? 」

「勿論任せてくれ。それから、いつも言ってるように、そっちにウチから何人か付けたらどうだ? 」

 俊吾はことあるごとに会社の警備員を清吾に手配しようとしてくれていた。心配してくれているのは有り難かったが、清吾は自分のプライバシーを優先していつも断っていたのだ。


 俊吾と暫く電話で話したお陰で穏やかな気持ちで清吾はダイニングに向かうことが出来た。

 全員が椅子に座って待っていてくれたようなので清吾は「お待たせ! 」と柄にもなく戯けた声を出して椅子に座った。


「オイオイ、腹ペコなんだけどぉ」

 秋文の戯けた一言で、みんなを明るくさせた。


 明星もひかりのお陰か、落ち着きを取り戻した様子で椅子に腰掛けている。明星の表情を見て清吾はホッと一安心した。


 清吾たちは、いつものようにワイワイ楽しい雰囲気で食事を始めた。


 清吾は嫌な大友の事を、頭の片隅に置きながらも明るく振る舞った。恐らく明星もそんな気持ちで食事をしていると思うと、清吾は何とかして彼女を励ましたい気持ちになった。

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