第27話
次の日の朝食を済ましてから、みんなでガレージに向かった。
車の前で突然、秋文が「BMWを運転してみたい」と言い出した。
清吾はそんな事どうでも良いと気にも留めなかった。が、一応念の為ひかりに伺いを立てた。
ひかりは「『保険の運転者限定特約』が『限定なし』になっている為大丈夫です」と言った。
清吾は「ウチの芸術家が我儘言っちゃってすみません」と言って笑った。秋文も一緒に笑った。
ひかりは「大丈夫です、芸術家は我儘なものです」と笑った。
秋文が「我儘は芸術家の特権なのです」と格好つけたポーズと共に真顔で言った。
清吾たちは、みんなで笑って車に乗り込んだ。
秋文が運転席へ、清吾が助手席、後ろの席にはひかり、翔太、明星という並びで車に乗った。
自動車は秋文の運転でショッピングモールに向かって軽快に走り出した。
清吾は勝手に、秋文は運転免許証を持っていないと思い込んでいた。そしてなんと、驚くべきことに明星も免許を持っていた。箱入り娘の筈なのに…………。どうやら免許を所持してないのは、清吾だけのようだ。
暫くして突然後ろで座る明星が「我儘は芸術家の証拠です」とポツリと言った。
車内の全員が沈黙する中、清吾が堰を切った。
「あっ、ああ、あのさっきの車に乗る前の話の続きだね、ははは」
続けて秋文とひかりが笑い出した。翔太も訳が分からないまま「ケタケタ」と可愛く笑いだした。
先ほどの三人のやり取りからは少しズレている気もしたが、それでも明星がみんなの中に入ってこようとする気持ちが嬉しかった。
明星も車に乗る前の三人の会話に入りたかったのかと思うと、少し嬉しくなった。ずっと今のセリフを考えていたのかと思うと、彼女が可愛く思えて笑ってしまった。
雰囲気は明星の一言で車内はフワッと明るくなった。
ショッピングモールに着き、一旦ひかりと翔太と明星、清吾と秋文の二組に別れた。
清吾、秋文組は必要な物を直ぐに買い揃えてしまった。二人は本屋で時間を潰すことにした。
清吾は迷わず漫画コーナーに向かった。秋文が専門書の方に歩いて行ったのを見て、清吾は勝手に恥ずかしさを覚えた。
小説ぐらいは読むが、それでも滅多には読まない。良い機会なので小説でも読もうかと小説コーナーに行った。清吾は気に入った表紙の本を二冊手に取り、翔太の絵本を三冊選んでレジに向かった。
秋文はまだ時間がかかるようなので、一声かけて本屋を出た。
清吾は横並びに並ぶベンチに腰掛けると、ひかり達にも連絡を入れておいた。
それから紙袋から小説を取り出し読み始めた。
暫く読み進めると清吾の正面に立つ影が現れた。秋文がやって来たのかと思った清吾は顔を上げた。
「ここでよく会うわね、ひょっとして私のストーカー? 」
派手でダサくて格好悪い女性が清吾を見下ろしながら笑っていた。
女性は黙って清吾の横に腰掛けると「あれから、どう? あなた何だか雰囲気変わったようだけど…………。まっ、私の方は相変わらず充実した毎日よ! 」と大袈裟に両手を広げた。訊いてもいない事を得意げに話す女性はかつての恋人、霧島 優子だった。
「少し気になってはいたのよね。あれからどうしてるのかなぁって。私も罪悪感があったんだから」
彼女は申し訳なさそうな顔をする。実際そうは思っていないのだろうなと、清吾には分かっていた。そしてそんな事は今の清吾にとってどうでも良い事なのだ。
ひかりと翔太と住みだしてから清吾は、優子の事を思い出した事など一度たりともなかった。
寂しいと思った事も微塵もなかった。彼女の存在自体すっかり記憶の片隅に追いやっていたようだ。
今や本当に優子のことが好きだったのかどうかさえ分からなくなってしまった。
清吾はフラれたことによって自分に次の恋人が見つからないのを心配し孤独のまま暮らして行くのだろうかと懸念していただけのようである。自分の周りに人が居るというだけで、そのような心配や不安は無くなるのだと清吾はそう結論付けた。
清吾は本に
「ああ! 君か! うん、久しぶり」
もう彼女を名前で呼ぶような関係でも無い。
「ちょっと、何、惚けてんのよ! 」
優子は口を尖らせた。
清吾は何か話す話題を考えたが何も思いつかなかった。そして話したいとも思わなかった。
優子に怒っているからというわけではなく、純粋に彼女に興味が無くなったのだ。
清吾が黙って前を向くと優子は、身を乗り出し、清吾の前に回り込むようにして顔を覗き込んできた。
「ね、ちょっと、まだ怒ってるの? それとも、ひょっとしてまだ私に……」
「イヤ、怒ってませんよ」
清吾は前を見て、決して彼女に視線を合わせようとはしなかった。極力会話するのも控えていた。清吾の中では、完全に彼女は終わった人なのだ。はっきり言って気安く話しかけられるのは、迷惑なのである。
清吾は素っ気ない態度をとり、早く彼女がどこかへ行ってしまう事を願った。
「どう? 久しぶりだから、ちょっとお茶でもする? 」
優子が笑顔を作る。
彼女とはこの前、ここで会ったばかりである。その時、これからは清吾に声もかけて欲しくないような事を言っていたくせに…………。
彼女の方からフッておいて、何故まだ誘うのかまったくこの女の神経が理解できない。
清吾が強めに断ろうと優子の方を見ると、彼女の後ろの方から、秋文がこちらに向かって来るのが見えた。
清吾は足早に立ち去ろうとして、ベンチから立ち上がろうとした瞬間、「お待たせしました、清吾さん」
清吾の背後から、ひかりの柔らかい声が聞こえた。
突然の背後からの声に驚き、清吾の身体がビクッと動いてしまった。
直ぐに秋文も「お待ちー」と大きめの声を出しながら到着した。
ひかり親子と明星、秋文が現れた時の優子の驚きの顔を清吾は見逃さなかった。
明星、ひかり、秋文の三人は華があり目立つ。翔太も可愛さの花がある。「そんな華やかな人間たちと清吾に何故接点が? 」と優子は不思議に思い驚いたのだろう。
付き合っていた時は、全くそんな素振りは無かったのだから、驚くのも当然なのだが。
清吾は困惑した表情でベンチに座る優子を見て、彼女と付き合っていた事が……イヤ、彼女の存在自体が、みんなに知られるのが急に恥ずかしくなった。
彼等の前でこれ以上グダグダ話しかけられるのを避けるために彼は慌てて立ち上がり、ひかり達の輪に入った。
秋文が「彼女はいいのかい? 」と優子の方を見て訝しそうに清吾に訊ねた。
ひかりと明星も清吾の言葉を待っている。
「いや、全然、全く知らない方」
清吾は吐き捨てるように言い放ち、冷え切った目で優子を見た…………余計な事を話すなよと言う警告を込めて。
優子は戸惑った表情のままである。
更に清吾は優子に聞こえるように「ちょっと、道を訊かれてただけだよ」と秋文に言った。
「えっ、道を? ショッピングモールの中なのに? 座って? 」
秋文は清吾の適当な嘘を逃さなかった。
融通の効かない秋文に舌打ちしそうになりながらも「いいから、いいから。早く昼ご飯を食べに行こうよ! 」と清吾はみんなを急かした。秋文は腑に落ちない様子であったが、清吾にせき立てられ、渋々歩き出した。
その日の夜、寝る前に気が付いたのだが、携帯には鬼の様に優子からの着信が山のように届いていた。
優子に対しての清吾の態度は少し大人気なかったかな、と少し反省した。
だが直ぐに、もう別れた恋人に対して気を遣っても仕方の無い事だと考えるのを止めて、ぐっすりと眠った。
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