第25話 今川 明星

 女性は深々とお辞儀をすると「今日からお世話になります! 今川 明星みょうじょうです。宜しくお願いします! 」と澄んだ明るい声で自己紹介をした。


 初見では、その眼光からは気が強そうに感じられる女性だが、彼女のその笑顔を見ると優しい清らかな風を浴びたような気分にさせられた。


 彼女は細く、色白、背が高く、スタイルが良かった。そしてブルーのワンピースがとても良く似合っている。ソファの横には水色のスーツケースが置かれていた。一目で彼女の持ち物だと分かった。この格好でスーツケースを持って今から軽井沢の避暑地にでも出かけるような、そんな優雅でオシャレな雰囲気を明星は漂わせていた。


 清吾は一瞬、明星に見惚れてしまったが、辛うじて挨拶出来た。

「一色 清吾です。宜しくお願いします」と取り敢えず言いはしたが……清吾には明星の言った「今日からお世話になります」という意味が全く理解出来なかった。


「たいへん素晴らしいお屋敷ですね」と言ったっきり彼女は膝の上に両手を置きニコニコと笑顔を向けている。

 清吾もニコニコと明星の次の言葉を待っていたが、どうやら彼女も清吾の言葉を待っているようだ。


「ええっと、どう言ったご用件でしょうか? 」

 清吾が出来るだけ穏やかに訊ねると、彼女の顔から笑顔は一瞬にして消え失せ、不安の表情に変わった。

「えっ? あの……今川 明星です」

「えっ? えっと、はい。今川 明星さんですね……」

 清吾は明星の言葉をただ繰り返すことしか出来なかった。清吾は困った様子の明星を見て、困ってしまった。

「あの……一色 俊吾さんから紹介されたのですが…………」

 明星はバツが悪そうに話す。


 清吾は俊吾の名前が出た事で危うく舌打ちしそうになった。

「一旦、一瞬、ちょっとだけ待ってて下さい! 」

 清吾は言いながら慌てて部屋を出た。俊吾に怒りの電話をかけるためだ。電話が繋がると、俊吾の機嫌の良さそうな声が電話の向こうから聞こえ、それが余計に腹がたった。


「ちょっと、なんかっ、誰かっ、女の人が訪ねて来てるんだけどっ! 今川 明星って言う人っ! どうなってんの、これっ! 」

 清吾は怒り混じりの小声で話しながら屋敷を早歩きで庭に出た。大声で俊吾に問い質したいからだ。


「おぉ、おぉ、おぉ、そうだった、そうだった。イヤ、来月の事だと勘違いしてたわ。ごめん、ごめん、はははは」

 俊吾は笑っているが、果たして本当に勘違いしてたのだろうか? 清吾には彼がそのようなミスをするような男であると到底思えなかった。

「いいから説明してよ! どういう事!? 」

「うーん、どっから説明しようかな」

 俊吾の声からは全く焦っている様子が伝わらない。

「『今日からお世話になります』って言ってたんだけどっ! 」


「うん、結論から言うと、今川 明星さんを清吾の家に下宿させて欲しいって事なんだ」

 俊吾の突然の爆弾投下。

 喰らった清吾は「無理、無理、無理、無理、無理」と大慌てで取り付く島もないくらいに断った。


 だが百戦錬磨の俊吾は清吾の言葉になど意に介さない。

「まあ、聞けよ、清吾。彼女は取引先の会社の今川社長のお嬢さんなんだ。今川社長の話では彼女は親元を離れて一人暮らしをしてみたいそうなんだけど、箱入り娘の世間知らずだそうで、社長も大変心配されていてね。一人暮らしは何かと物騒だろ? 嫁入り前の娘に大学で悪い虫が付いてしまったりね。そこで俺が今回の下宿の件を提案したんだ」

「そんな……勝手に」

「今のお前の環境なら彼女が住むには丁度いいんじゃないかと思ってね。食事を作ってくれる家政婦のおばさんもいるし、その広い屋敷なら住みやすいだろうと思ってね。確か部屋毎に鍵も有るだろ。若い子が下宿するには最適じゃないか。客室も沢山有るのに使われないなんて勿体無いだろ。賑やかになって楽しいよ、きっと。彼女、美人だろ? 良かったな、嬉しいだろ? ん? お嬢様でそれが美人ってなかなかいないぜ。政治家たちの奥さん見てたら分かるだろ? ブスとまではいかないにしても会社社長の娘だっていう奥さんが多いんだぜ。政略結婚みたいなもんなんだろうけど。中にはブスで馬鹿もいるんだから」


 俊吾は漸く一息ついたかに思えたが、また直ぐに流れるようにまた語り出した。


「お前は運が良いなぁ、美人と一つ屋根の下一緒に住めるんだから。逆に俺に感謝して欲しいくらいだよ。お前も恋人と別れたって言ってたし、変な誤解を恋人に与える心配も無いだろうしさ。真面目なお前なら男女間の心配も無いだろうし……もし何か男女の関係がおこったとしても、それはそれでちゃんと責任取れるだろ? 死んだ婆さんも楽しく暮らしてほしいと思ってるぜ、きっと、絶対に」

 俊吾のプレゼンは流暢に何時迄も果てしなく続く。流石は秀才。清吾は何度も途中で割り込もうと試みたがその隙がなかった。


「うわあぁぁー!! いつまで喋んの? もうわかった、理解はした。だけど、言わせてもらうと家政婦のひかりさんはおばさんじゃない! 彼女は若い、そして美人だ! それに彼女の負担も増えるじゃないか! 会社から出してる彼女の給料増やしてもらうからね! それから大事な取引先の娘さんなんだから、そんな人に絶対に手を出すわけないだろ。それから最近一人、職場の男性が同居してるんだけど、良いのかい? 良いんだったら良いけど。最後に、俺が独り侘しく静かにこの家で暮らしたかった訳ではない! 婆ちゃんが俺が二十五になるまでは他人を屋敷に上げるなって言ったんだからね」

 清吾は半興奮状態で大きな声で怒鳴るように捲し立てた。

「おお、そうだっけ? そんなルール聞いた気もするなぁ、ひょっとしてちゃんと守ってたのか? あと、ひかりさんに今度会わせてよ、ちゃんと挨拶しときたいからさ。会社から彼女への給料、増やすから、文句ないだろ! それから、もう一人の職場の人間には大事な娘さんだとしっかりと言い聞かせてくれ! そこだけは頼むぞ! 最後、細かい説明は明星さんに訊いてくれよな! それからお前は早く良い人探して幸せな家庭を築けよ! 」

 俊吾も清吾の喧嘩腰の声に対抗して怒鳴るように捲し立ててから電話を切った。


「切りやがった!!! 先にっ!!! 」

 清吾は大きな声で叫んだ。

 彼は俊吾に問題を押し付けられた気分で全然納得はしていない。だが俊吾には、会社の事だけで無く他でも色々と世話になっている。


 清吾は目を細めて館のサンルーフの半球の部分を睨みつけ、仕方がない事だと自分に言い聞かせて館へ入った。

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