第20話
信者でも無い自分が勝手に教会に入っても良いのだろうか? 清吾がそんな不安を抱きながら見る教会は、いつも見る清々しい建物とは違い少し不気味に感じた。
静かに門を潜ると、中の教会の扉は片側だけ開いていた。それが手招きしているように感じた。
清吾が音を立てないように恐る恐る礼拝堂を覗くと、秋文の姿は無かった。人影はなくシーンと静まり返る礼拝堂には、冷んやりとした空気が立ち込めていた。
清吾は牧師と神父の違いも知らないような人間である。礼拝堂に入るかどうか少し躊躇った。そしてやはり礼拝堂には入らなかった。イヤ、怖くて入れなかった。
辺りを見回していると、建物の横の方から微かに誰かの話し声が聞こえた。清吾が声のする方へ回ると、教会の外壁にもたれて座りながら電話する秋文を見つけた。
彼は清吾の存在にまだ気がついていないようだ。清吾は素早く身を隠し聞き耳を立てた。
どうやら秋文は、今日泊まる場所を探しているようで、次から次へと知人に電話を掛けては、次から次へと断られ倒しているようだ。彼は舌打ちすると、また次また次と電話をかけている。時折、忙しそうにメールも使っているようだ。
隠れて聞いている清吾は可笑しくて仕方がなかった。
この愛想の良い、人気者の秋文が、皆から断られまくっている。彼は、非常に困っているようだ……この暑い中…… 大荷物で。
清吾は声を出して笑いそうになったが、何とか堪えることが出来た……が、背後に気配を感じてゆっくり振り返ると、そこには無表情の秋文が立っていた。
「清吾くん、何してるの? 」
「はいぃぃぃっ!! 」
心臓が飛び出すほどの驚きで返事をする。
秋文がキョトンとした顔で清吾を見つめて、立っている。
清吾は秋文を嘲笑った事への後ろめたさから、つい言わなくて良い事を言ってしまった。そして言った後、直ぐに後悔した。
「ちょっと聞こえたんだけど……困ってるならウチに来る? 」
「ええっ! 本当に、本当に良いのかい? この間から世話になりっぱなしで、悪いねぇ」
秋文は嬉しそうに人懐っこい満面の笑みを見せた。
清吾としてはひかりの了承が有れば、秋文を館に泊める事にはやぶさかではないのだが…………。
「いやあ、凄く、困ってたんだよ。家賃滞納で、アパートを追い出されちゃって。これから住む所を探してたんだけど、友人知人全員に断られてね。暫くでいいんだ、出来るだけ直ぐに、部屋を探すからさ。ありがとう、恩に着るよ! 」
秋文は嬉しさでなのか、次々言葉を捲し立てた。
逆に今夜だけ泊めるだけの話、だと思っていた清吾はかなり狼狽えて言葉が出なかった。
「いっ、一緒に住んでいる親子の了承が得れれば……だけれど」
清吾は汗を拭きながら何とか言葉を発した。
「ああ、こないだ見た彼女達ね。イヤ、お願いするよ。訊いてみてよ、お願いしてみてよ、ホント、迷惑かけないようにするから」
秋文は手を合わせて懇願した。なかなか古いリアクションである。
清吾が早速ひかりに電話して確認すると、彼女は直ぐに了承してくれた。即答だった。清吾は少し拍子抜けした。
清吾に気を遣っている訳ではなく、本当に秋文と同居する事を厭わないひかりの心境が感じられた。
彼女は河原のテントで住むくらいなのだから豪胆な性格なのだろうか?
「彼女は構わないようです。じゃ、一緒に帰りましょうか」
心配そうに清吾を見つめる秋文に報告した。
「良かった、ありがとう! 部屋の作品は後輩に大学の作業部屋に移してもらったから、今のとこ私物はこれだけだから動きやすいよ、へへ」
秋文は自身の足元に置いてる大荷物を見て笑った。
秋文が徒歩なので、清吾も自転車を押して歩く事にした。
「でも、三枝さんなら、幾らでも泊めてくれる女の子いるでしょ? 」
清吾は不思議に思っていた事を、冗談ぽく秋文に訊いた。
「いやあ、突然、五人全員にフラれてさ。こないだの借金取りに張り倒される直前なんだけど、想定外だったよ、マジで。何かの陰謀じゃないかなぁ、なんて思ったりしてんだけど」
秋文は懐かしむように遠くを見た。
ただ彼には、清吾が優子にフラれた時のような悲壮感など全く感じられなかった。
そして「やはり、いやがったか! 」清吾は心の中で叫んだ。
恋人がいるとは思ってはいたが五人もいたとは……女性にモテる秋文の事を清吾は純粋に羨ましく思った。
「色んな女性と付き合う事は芸術家にとって重要な事なんだよね、俺が思うには。美しいものを見るとインスピレーションが刺激され創造欲が掻き立てられるんだ。美しい女性と愛を語り、悩ましい身体を愛でて目を肥やす。素晴らしい女性たちとベッドを共にして芸術性が高まる。うん、清吾くんも沢山の女性と付き合った方がいいぜ! 」
秋文は汗をかきながらも嬉しそうに、全く内容の無い話を壮大に語る。
借金まみれでアパートを追い出されたくせに、恥ずかし気もなくアドバイスなどしやがって。「出来るものなら俺だってそうしている」これが清吾の本音だ。
夕方と言えど、この暑さ自転車を押して歩くのは相当厳しい。
秋文の恥ずかしい御託と戯言に疲れた清吾は、彼を放って帰りたくなった。
清吾は自転車に跨るとゆっくりとペダルを漕ぎ出した。電動自転車に力は要らない。軽く漕ぐだけで徒歩の秋文は早歩きをしなければ清吾について来れない。
「だけどこれからはもう暫くは独りで良いかなぁ……なんて思ってるんだけど、ハァ、ハァ」
早歩きに息が切れ出した秋文だが、まだどうにか語り続けている。
清吾は更に少し早くペダルを踏む。電動自転車は軽快に走り出す。
「良ければ、ハァハァ、俺が誰か良い娘を紹介……ちょっ、待って。ハァハァ、早いって。ちょっと清吾くん? 」
秋文は小走りしながらも、清吾の自転車に何とかついてくる。
清吾は秋文の言葉が聞こえていないふりをして「この坂の上です、一度でも止まると大変なんで一気に上りますよ! 」と清吾は秋文に呼びかけた。
「ゼェ、ハァ、ちょっと待ってくれ、清……吾く……もう、ダメ……死ぬ」
秋文が必死の形相で喰らい付いて来る様子は傑作だった。
芸術家のくせに中々どうして、体力と根性があると上から目線ながらも清吾は感心した。
坂の途中に差し掛かり、流石の電動自転車でも余裕が無くなった清吾は秋文を振り返らなかった。
やっと坂の上に到達した清吾の後ろに借金まみれの芸術家はいなかった。彼は坂の途中で大荷物と共に大の字に倒れていた。
その姿を見た清吾は流石に気の毒に思えて自販機でスポーツドリンクを買って秋文の元へ下りていった。
「危うく熱中症で死ぬとこだったぞ! 人殺しになるとこだったんだぞっ! 」
大汗と鼻水まみれで顔を真っ赤にした芸術家は恨めしそうに言い終えると直ぐに、清吾に渡されたスポーツドリンクを音を立てて飲んでいる。
秋文の小言に堪えきれずに笑い出しそうになった。
清吾は秋文の恨み言を完全に無視して爽やかに「もうすぐそこですよ、頑張りましょう! 」と言い放つとまた自転車を漕ぎ出した。
後ろで「待ってくれぇ! 」と秋文が焦った声で叫んでいるのが、笑えた。
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