第16話
ボロアパートのギシギシと階段の軋む音を立てながら秋文の部屋の前へと到着すると、彼は部屋の前で大袈裟に両手を広げながら嬉しそうに
「ようこそ、我が城へ!! 」
秋文の良く通る明るい声が響いた。
彼の狭い部屋の中はイーゼルに飾られた絵画で溢れている。完成された絵画の中、まだ描きかけの絵もあった。秋文が、熱心に描いている様子が容易に想像出来た。
「俺の描いた作品を是非見て欲しかったんだ」
秋文は手を額の横に当て、もう片手は壁に当てて斜めに立ってポーズをとった。
清吾は部屋全体を見回した。
秋文は瞳を爛々と輝かせ清吾を見つめる。秋文の視線が突き刺さるが、清吾はその視線を避けた。
何故なら清吾は絵画鑑賞などと言う高尚な趣味を持ってなどいないので、何と言葉にして良いのか非常に困ってしまったからだ。
清吾は秋文に目を合わせないよう熱心に絵を見ているフリを続けた。
清吾の感想の言葉を期待して待っている秋文の様子が痛いほど分かるのだが……ただ、残念ながら清吾には全くと言っていいほど絵の事は解らないのである。
清吾には絵心など全く無いし絵画に関心も全く無い。確かに家には有名な絵は数点飾られてはいるが、清吾の趣味ではなく亡くなった祖父、または父親の趣味であろう。
秋文の絵は上手だとは思うが、それだけである。素人からすれば普通より上は全て上手である。専門的な知識など無い清吾には絵画の事など全く分からない。
ただ、全く分からないなりに「これらの絵は好きか、嫌いか? 」と問われれば………………どちらでも無い。気持ちは完全に…………
「これらの絵を家に飾りたいか?」と問われれば…………どちらかと言えば、飾りたくはない。清吾には全く関心が無いのである。
清吾の偏見的観点から全ての芸術家は、誰も気難く下手な事を言えば彼らの逆鱗に触れる事になる。しかも彼らの地雷の場所など全く予想がつかない。
そんな緊張からの焦りで気の利いた言葉どころか、逆に迂闊な言葉を羅列してしまいそうで清吾は感想を言葉に出すのが恐ろしくなった。
清吾は助けてやった自分が何故追い込まれなければならないのか、と段々腹が立って来た。
助けて感謝された筈なのに何でこんな困った目に遭わなければならないのか。
ただ気まずい空気だけが流れる。眺め続ける演技も限界に達した清吾は遂に口を開いた。
「良く(分からないけど)描けていて、素晴らしい(のか全然分からないけど)よ! 凄く、物凄く(どうでも良いけど)、物凄いよ! 」
清吾はゆっくりと曖昧な言葉だけを選びながら、秋文の機嫌が悪くなりませんようにと願いを込めた。
「嬉しいよ! あまり人に見せた事なかったからさ、少しドキドキしてたんだよね」
秋文は嬉しそうに笑った。
清吾も正解だった事にホッとして笑顔が漏れた。
「勿論、僕はとても気に入りました。僕は好きです三枝さんの絵が(嘘だけど)」
「じゃ、清吾くんが一番気に入った絵を持って帰ってよ! さっきのお礼って言うか、感謝の印に。勿論お金は返すけども! 」
前提としてお礼と言う物は、それなりに価値のある物を渡すべきである。彼は自分の絵に価値があると思っているのだろうか? 彼の絵は清吾にとっては全く価値が無い物体である。
「そんな、大切な絵、悪いんで、貰えませんよ! 」
清吾は持って帰るのも荷物になるので遠慮しているフリをして断った。ところが、秋文は「イヤ、是非貰ってくれ。貰って欲しい」と中々引き下がらなかった。
「本当に良いんですかぁ? 嬉しいなぁ」
仕方なしに清吾はどの絵も全く欲しいとは思わなかったが渋々選び始めた。
清吾の中では、絵画の価値とは一部の金持ち達が適当に決めた絵の値段を売買によってどんどん吊り上げ価値を高め、最後に間抜けな金持ちがゴミ屑を高値で買い取って騙されるイメージなのだ。
富裕層が投資や商売の為に売買するだけで、本当に純粋にその絵を欲しがっている人などいないだろう、という捻くれた考えを清吾は抱いている。
そんな清吾は、持ち帰りに荷物にならなくて、屋敷で邪魔にならないように一番小さな絵を選んだ。
それは風の吹く草原で人が眠っている絵だ。
「おお! それを選んだのかい? そいつの作品名は『春風に抱かれて』だ。部屋に飾って、もし清吾くんが安眠出来たら感謝してくれよな」
秋文は嬉しそうに声を上げた。
正直ダサい作品名だと清吾は思ったが「この絵が僕のドリームキャッチャーになりますね」と秋文に相槌を打った。
絵を包んで貰い帰宅しようとする清吾に、秋文はもう一度、感謝の気持ちを告げた。
清吾は包んでもらった『春風に抱かれて』を何度も邪魔に思いながらも、無事家に着いた。
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