第8話

 荷造りを終えたひかりが、テントから顔を出した。彼女達親子の荷物はトランクがたったの一つだけだった。

 清吾がテントを畳むと意外と軽く、直径三十センチ程の薄っぺらい円形に収まったので、さほど邪魔に感じなかった。


 清吾は両手にスーパーの袋とテントを持って、ひかりは片手でトランクを引きずり、もう片方の手で翔太と手を繋いで歩く。今の三人の歩く姿は、バーベキューにでも行く家族のように見えるのだろうか。


 歩き始めて二十分分ほど、ゆっくりでも子供の足では中々辛かっただろう。清吾も荷物とテントを抱えて中々辛かった。休み休み坂を越え、ようやく家へと到着した。

「ここが俺の家です。どうぞ、中へ」

 清吾は外装華やかなウロコの家を紹介した。

 それから驚くひかりを置き去りにして、門を開け庭へと入っていった。

 ひかりはとんでもなく仰天した顔をして口をポカンと開いていた。彼女はウロコの館を見上げながら声にならない声を発し、門の前で固まっている。翔太が嬉しそうに奇声を発して清吾の後をヨタヨタと小走りに追いかけた。


「気に入ったようだねぇ」

 清吾は言いながら翔太の頭を撫でた。河原で撫でた時よりも慣れた手つきで出来た。

 ひかりは我に帰り、庭に入るとキョロキョロ辺りを見回している。


 清吾は翔太の手を取り、庭園を横切り、玄関の前でひかりを振り返った。

「どうぞ、到着です、へへ」

 清吾は言いながら照れた笑いをした。大きな家に広い庭、ここを見せるのも人を案内するのも初めてだったからだ。


「大きな……お屋敷……ですね……」

 ひかりは玄関の中でまたキョロキョロと落ち着かない様子である。

 清吾はひかりの言葉には返事をせずに「まず応接室でゆっくりして下さい。落ち着いたら家の中を案内しますね」と言いひかり達を応接室に連れて行った。


 清吾は初めて家に人を連れて来るのが、初対面の親子とは夢にも思っていなかった。何も知らない人間を家に住ませるなんてどうかしているとは思う。ただひかりを見て暗い人間だとは思ったが、悪い人間とは思えなかった。善人のような悪人など世間には幾らでもいるのだろうが。


 清吾は客をどのようにもてなして良いのか分からなかったが、取り敢えずコーヒーと少し冷ましたココアを用意した。


「今、知り合いの弁護士に相談してみたのですが、夫の借金は連帯保証人になっていない限り妻が払う義務は無いそうです。もし何かあればその都度、相談にも乗ってくれるし助けてくれると約束してくれました。何か手続きが必要ならそれも引き受けてくれるそうです」

 清吾はひかりを早く安心させてあげたくて、彼女たちを応接間でくつろいでいる間に、会社の弁護士グループに連絡してひかりの置かれた状況を説明して借金のことについて訊ねていたのだった。


 ひかりは清吾の言葉を聞くと、固く目を閉じた。

 深く深呼吸をしてからお辞儀をして「ありがとうございます」と声を震わせるひかりの顔は、初めに会った時より大分若返って見えた。彼女の言葉はたった一言だけであったが清吾には、重くそして温かく感じた。


 応接間では、清吾とひかりは二人で今後の取り決めを話し合った。細かいルールは後から追々増やしていくつもりである。


 ひかり達の部屋は一階の空き部屋に決まった。

 それから支度金として百万円を渡した。

『 給与は月二十五万プラス二十万の食費で家事、洗濯はひかりが行うこと。

  浮いた食費は次の月にプールし足りなければ清吾に連絡すること。

  食、住、電気代は清吾が全て負担すること。

  ひかりと翔太以外の人間を勝手に家に上げないこと。

  どうしても誰かを家に呼びたい時は絶対に清吾の許可を得ること。 』


 ひかりに支払う事になる二十五万の給料は清吾が飼育員として稼ぐ給与よりもかなり高い。

 ひかりは給与をそんなに貰えるとは思ってもいなかったようで、とても驚いていた。彼女は感謝の弁と頑張る心意気を長々と話していたが、そんな事は清吾にはどうでも良かった。彼の心情はひかり達にこの家から出て行って欲しくないだけである。


 相場も何も知らない清吾は、少し気前が良過ぎたかなと思ったがそれも一瞬だけのことだった。

 清吾は、浪費する事を躊躇わないと決めた。どうせなら豪勢に生きて行くつもりだ。そう、何故なら彼はお金を唸る程、持っている。そして今日からは自分のしたい事をやって行こうと決心したからである。


 自分のやりたい事を探しそれに没頭するのも悪くない。趣味でも良いし、やりたい仕事を探すのも良い。今のところは取り敢えず飼育員を辞めるつもりも、理由もないのだが……。兎に角、彼は自由に生きて行くつもりなのである。


 清吾は家の中の案内を終えると、彼女たちをこれから住む部屋へと連れて行った。その後清吾は直ぐに風呂を沸かしに行った。テント暮らしの彼女たちは、あまり風呂に入る機会も無かっただろうと予測出来たからだ。


 夕方までゆっくりしてもらい、今日買った食材のステーキ肉で夕食を済ませた。翔太は完全に中まで火を通した肉を細かく切ってもらって食べていた。清吾は、翔太の食べる姿を見て、小動物のようで可愛いなと思った。


 食事が終わり、明日必要な物を揃えに行く約束をしてダイニングルームから解散した。


 アニメのフィギュアだらけの自分の部屋で、チビチビと酒を呑みながらも色々と今後の事を考えた。イヤ考えずにはいられなかった。


 何故ならこれからひかり親子と住む生活への興奮と期待と不安……それから元恋人の優子の事を考え出すと、一向に眠気がやって来なかった。


 優子からの誕生日祝いの連絡くらいはあるのだろうか、と少しは期待していた自分を惨めに感じた。当然、彼女からの連絡などは一切無かった。まだ未練がある自分はなんて情けない人間なんだと思った。


 壁に貼られたのアニメのポスターや置かれたフィギュア達は楽しそうな部屋を演出してくれている。少しくらいの落ち込みなら、それらを見て元気を貰うのだが、今日の清吾の心は晴れなかった。

 自分のこめかみ辺りに拳銃を突きつけ、遠くを見つめる美少年のヒーロー……清吾のお気に入りのポスターである。

 清吾の心とは正反対に、ポスターの中のヒーローは覚悟を決めながらも涼しげな顔をしているのが余計に清吾を落ち込ませた。


 結局彼は、何時迄も酒を呑みながら、明け方まで眠ることは出来なかった。

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