第7話
清吾は伏し目がちにひかりから視線を落とし、草木の生い茂った地面を見つめながら、今直ぐにでも立ち去るべきだと感じていた。
ついさっき知り合ったばかりの人間にそこまで思い入れてどうしようというのか? しかし心と裏腹に清吾はその場を立ち去ることが出来なかった。
「夏になったら暑くて大変じゃないですか? 」
清吾は自分でも見当違いな事を言っているのは分かってはいる。
「はい……それは、勿論分かってはいるんです」
ひかりは清吾の問いに悲しそうな顔をする。当然彼女もテントなんかで暮らしたくなどないに決まっている。清吾もそれを分かっている。
「それに虫も、沢山やって来て、めちゃくちゃ鬱陶しいでしょうし。雨が降り続いたら河が氾濫して水浸しになるんじゃないですか? あと、冬は耐えられないほど寒くなるでしょう。小さいお子さんを連れてのテント暮らしはちょっと過酷過ぎませんか? こんな薄っぺらい布一枚で防犯上、夜中怖く無いですか? 」
清吾はテントで暮らすことが如何に不便かを、ひかりの気持ちを知りながらも捲し立てた。
「はい……それはもう、私も十分解ってはいるのですが」
ひかりは、うつ向いてしまった。
「だったら、俺の家に来ませんか? 」
そして、言ってしまった。言うまいと思っていた言葉を清吾はとうとう言ってしまった。踏み込むまいと思っていたのにも関わらず……。
「えっ? 」
突然の清吾の提案に彼女は驚き、目を丸くしている。
「ええ、ですから、もし良かったら、俺の家で住みませんか? 」
清吾は何もおかしな事など無いと言うように冷静に繰り返した。
「ええっ? 」
ひかりは清吾の信じられない提案に、もう一度驚いている。
翔太は不安な顔で清吾と母親であるひかりを交互にキョロキョロ見ている。
「あの……俺の家、広いんですよ。ですからまだまだ人は住めます」清吾は彼女の二度の戸惑いに少し狼狽え、可笑しな説明になった。
「あの、えっと……」
彼女は困惑の表情を浮かべている。
彼女にとって清吾は今日初めて会っただけの、得体の知れない人物である。清吾は精一杯真面目な顔を作った。
「俺は一人暮らしですし、部屋もいっぱい余ってるんです。あと
「………………」
彼女は少し迷っているようだ。
清吾はここがチャンスとばかりに怒涛の如く捲し立てた。
「テントで暮らすよりかなり快適ですよ。翔太くんもその方が良いでしょう。ウチには当然、お風呂も有りますし」
清吾は説得をしながらも注意深くひかりの表情の変化を見逃さないようにした。
「一人暮らしなんでちょうど家政婦を探していたんです。食事を作っていただけたら有り難いかなぁ、なんて。住み込みって事で。勿論、家賃なんて取りません。電気代も余程無茶苦茶使われない限り請求しません。食事も勿論タダです。勿論、給料も出します」
清吾は、ひかりを説得する言葉を捲し立てた。
「大変有り難いお話ですが……何故……何故なんでしょうか? 」
ひかりは清吾を不審がっているのだろう、煮え切らない様子を見せている。
それはそうであろう初対面で一緒に住もうなどと狂った提案を誰が受け入れるだろうか。取り敢えずひかりの警戒を解かねばならないのだが何故と理由を訊かれた清吾は困ってしまった。
今まで怒濤の如く話しておきながらピタリと清吾の言葉が途切れた。
彼はどうして彼女たちの親子を誘ったのかと、目の前の二人の存在を忘れて真剣に考え始めた。
「何故かと、訊かれても……単純に憐れみや薄っぺらい同情心からだろうか? それとも恋人に振られてポッカリ心に空いた穴を埋める為だろうか? 今心が弱っている時だから人恋しい? イヤそんな事はない」
「あの広い屋敷にこれからずっと一人で住む事に対する不安だろうか? そうかもしれない」
「他人に善行を施して良い気分になりたかったのだろうか? うぅん、何故だか分からん」
清吾は考えれば考えるほど分からなくなった。
彼は何か大事な事を決断する時、「祖母ならどうするだろう、祖母ならこう言うだろう」と何時も祖母の考えを想像して行動して来た。
二十五歳からは自分で考えて行動しろと言う意味で自宅に人を招いても良いことになっていた。
そして今日が清吾の二十五の誕生日だと言う事に何か意味を感じていた。
「たっタイミング! タイミング? そうタイミングです! 何故ならタイミングが良かったからです! ズバリ、タイミングが合いました! 」
清吾は理由が解り、ようやく腑に落ちた気がして、ひかりに堂々と理由を述べた。
「タイミング? 」
ひかりは腑に落ちないのかキョトンとした顔で清吾を見つめる。
「う、運命的な? かな」
少々大袈裟な物言いだが、もう後戻りする気が全く無い清吾は、ひかりの顔を真っ直ぐ見つめた。
「運命? ですか……」
ひかりはまだ納得出来ていない様子だった。
「丁度タイミングが合っただけで、あなたに下心が有るわけでも無いですし、後で不当な要求などをするつもりも全くありません」
清吾はキッパリと言い切った。
ついでに「俺は美人にしか興味は無い」と確実に下心など無い事を伝えて、ひかりを安心させようかと思ったが、流石にそこまで失礼な事も言えないし、さらに自分の元恋人の優子もどちらかと言えばブス寄りだったので黙っておいた。
最後に「ただ、家の掃除とご飯を作っていただけたらなぁと思っただけですから。ですがもうこれ以上、強要はしないので帰る事にします。では、さようなら」と言い残し諦めて立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってくださいっ、お願いします! 家政婦として頑張りますので、どうか、この子と一緒にそちらのお宅で住まわせて下さい! ただすごく条件の良い話だったので俄かに信じられず、不快な思いをされたと思いますが、どうか許して下さい! 」
ひかりは清吾の帰る素振りに動揺して慌てたように大声で追いすがった。
「いやいや、いえいえ、とんでもない、そんな大袈裟に謝られるほどの事ではありません。突然で驚かれたのも無理はないと思います。あっ、それと全然全く不快な思いもしてません」
清吾はひかりが決心したことにホッとして笑顔になった。
ひかりも翔太を抱きしめながら、嬉しいのか悲しいのか分からない笑顔を清吾に向けた。翔太はひかりの腕の中でキョトンとした顔で清吾を見つめている。
早速ひかりは引っ越しの身支度を始め、清吾は翔太と一緒にテントの外でひかりの準備を待った。
清吾は翔太と河を一緒に眺めていたが小魚も何もいなかった。翔太が「タニシ」と言って指差した。
「おおっ、ホントだ、タニシだねぇ」
清吾にはタニシかカワニナか分からなかったが、翔太が教えてくれた事が嬉しくて喜びの声を出した。
翔太は清吾の返事に満足気に笑みを浮かべながら二回、頷いた。
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