三十三人目の女性 (罠に掛かる)

 「送って行きますよ」と声をかけると、蒼碧あおみどり課長は驚いた様子も無く、「そう」とだけ言った。


 タクシーを捕まえて一緒に乗り込む。


 シートに沈み込むように座った彼女は、少し疲れたように目を閉じた。

 だが、帰り間際に整えたであろう化粧は一分の隙も無く、車窓からのライトに照らされたリップグロスがなまめかしい光を帯びる。


 俺は次の一手を打った。


「コハクさん、大丈夫ですか?」

「何年ぶりかしら、名前で呼ばれたの。懐かしい……」

 彼女の瞳が遠くを見るような穏やかな色を帯びた。


 ふふっと笑うと、


「色々噂で知っているでしょう。私は、仕事のために彼を捨てたって」


 何でもないような顔で言ったつもりなのだろう。

 だが、微かに滲み出る寂しさが、何故か俺の心を抉る。


「仕事と彼、どちらを取るかと聞かれて、私は仕事を取ったわ。だって、この仕事が好きだったし、自分の力でどこまで行かれるのか試したかったの。もちろん彼のことは本当に好きだったのよ。でも……彼と結婚して、子供を授かったりしたら、きっと今のペースで仕事を続けることはできないわ。私はそれが嫌だったの。自分勝手な女よね。でも、私自身で勝負してみたかった」


「人間誰だって自分勝手に生きるべきですよ」


「ふふ、あなたが言うと妙に説得力があるわね」


「お褒めにあずかり光栄です」

「あはは、褒めてなんかいないわよ、別に」


 初めて饒舌に自分の事を語った彼女は、とても自然に笑った。


 この人、こんなに柔らかく笑える人だったんだな。

 

 俺は二人だけの秘密を見つけたような気がした。


 


 タクシーが彼女のマンション前に到着した。

  

 このまま突き進むか、それとも日を改めるか……

 俺はこの後どうするか、一瞬迷った。

 

 その時、彼女のほうから声をかけてきた。


「ねえ、夜桜見に行く?」

「夜桜? まだ咲いているんですか?」

「ええ、直ぐそこよ」


 俺が払おうとしたタクシー代をカードで素早く払うと、彼女はさっさと降りて俺を待っている。

 

 このまま突き進もう!


 意を決してタクシーから降りた。


 彼女はそのままマンションに入らずに、来た道の先へ進み始めた。

 俺は黙って後を付いて行く。


 T字でぶつかった大通り沿いに、彼女が言うとおり、遅咲きの牡丹桜がライトアップされていた。

 ふっくらと折り重なる花弁は豪華で、華やかだ。

 車の排気ガスにも負けない、爽やかで甘やかな花の香が辺りを包みこんでいる。


 その時、彼女の足首がまたグラリと揺らめいた。

 抱きとめようと伸ばした俺の手を借りる事無く、彼女は驚きの行動に出る。


「何しているんですか?」

「もぅ、こんな靴いらない!」

「いらないって、寒いし怪我しますよ」

「いいのいいの」 


 靴を脱いで手に持つと、ストッキングのままアスファルトの歩道を歩き始めたのだ。


「コハクさん!」

 ひらひらとピンヒールのつま先を揺らしながら先を行く彼女が、いたずらっ子のような表情で振り返った。

「この方が歩きやすいんだもの」


 明るく煌めく瞳、くるくると変わる表情。


 誰が氷の女って言いだしたんだ?


 目の前の女性は、氷どころか春夏秋冬、一気に駆け巡る勢いで感情を弾けさせている。

 俺の心も引きずられて、言いようのない高揚感に包まれた。



 そのまま道沿いの公園に入ると、彼女は俺をベンチへ誘った。


 足を組んで座ると、今度は射抜くような瞳を向けてきた。 


「ねえ、今日私を誘ってくれたのはあなたのリストの末端に加えるためでしょ」

「いえ、そんな失礼なことは思っていません。俺は本気であなたを口説いていますよ」


 受けて立つように、彼女の瞳を覗き込んだ。


「そんなこと言って。一体何人の女の子を泣かせてきたのよ」

「さあ、どうでしょうね。俺は騙すつもりなんてありません。いつでも本気ですから」

「一瞬の本気を積み重ねても、本命はまだ見つかって無いと言うこと?」

「そうですね。俺にとって唯一の宝石ジュエリーが見つかるまで探し続けるだけですね」

「トレジャーハントは命がけよ」

「確かに、ミイラ取りがミイラになるかもしれませんね」

「試してみる?」


 言うなり彼女が口づけしてきた。

 コハク色のミルクティーのような、まろやかな甘さと爽やかな渋みに翻弄される。


「大胆ですね」

「刺激的な恋は嫌い?」

「まさか」

「続ける or 続けない?」


「答えは決まっていますよ」


 今度は俺からキスをした。


 


 彼女の部屋はとてもシンプルだった。


 モノトーンの落ち着いた色彩の中、二色の熱を重ね合う。

 時に激しく、時に優しく。


 だが、野生の本能に身を委ねながらも、彼女の瞳から理性が消えることは無かった。

 情熱と冷静の間で何度も俺を揺さぶっては、強烈なスパイスを効かせてくるのだ。


 俺はその新しい味覚に酔いしれた。




 参考資料)『情熱と冷静の間にスパイスを』 著者:ウロヘイク(愛の伝道師) (#^.^#)


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