三十三人目の女性(罠を張る)

 蒼翠あおみどり課長。六歳年上の女性。


 最短の昇進チャンスを勝ち取った出世頭。


 シンプルで的確な指示は部下にもわかりやすく、仕事とプライベートを完全に分けた効率重視派。一緒に働きやすい上司とも言える。


 けれど、感情をあまり出さない色白の顔は完璧なバランスを保っていて、とっつきづらい印象は否めない。氷の女とも呼ばれている。

 これほどの美人でありながら浮いた噂一つ無いのも頷ける雰囲気だ。

 

 だから彼女の噂はありがちなこの二つ。


 一つは色仕掛けでチャンスを掴んだだけなどと言う、やっかみ半分の噂。

 だが、彼女は気にするそぶりも見せず淡々と仕事に励んでいる。


 もう一つの噂は結婚を約束した人を振って仕事に生きているらしいと言うもの。


 こちらの方は、真実味があるが真相は本人にしかわからないだろう。


 どちらにしても、職場の飲み会を悉くパスしている彼女を誘い出すのは容易なことでは無いはず。


 俺は作戦を巡らせる。

 さあ、ゲームの開始だ!


 プライベートで誘うのはまず無理なので、今日の夜の職場の飲み会に連れ出そう。


「蒼翠課長。今日の新入社員歓迎会なんですけれど、課長も参加してくれませんか?」


 形の良い眉をきゅっとあげると、蒼翠課長はいつもと同じ答えを返してきた。


「課長職が一緒に飲み会に行ったら、言いたい愚痴も言えないでしょ。私は遠慮しておきます」

「でも、今日は新入社員の歓迎会ですよ」

「会社としての歓迎会は先週ありましたよね。今日はプライベートでの歓迎会では無いのですか?」

「まあ、そう言われればそうとも言えますけれど」


 俺はまずは頷いておく。本題はここからだから。


「上司に愚痴を聞かれたく無いと言う時ももちろんありますけれど、上司にこそ愚痴を聞いて欲しい時もありますよ」


 蒼翠課長は、意外そうな顔をして俺を見た。


「愛宕君、悩みがあるのですか? 今から時間作りますよ」

「いや、そう言う事じゃなくてですね……」


 真面目過ぎる彼女の答えに、俺は思わず苦笑してしまった。


「俺は遠慮のない人間ですから、何かあったら、課長が忙しそうにしていてもちゃんと相談しますよ。でも、会社の中では声がかけられない人もいると思います。課長のお仕事の邪魔をしてはいけないと我慢してしまうような遠慮がちな人ほど、声がかけられない」

「確かに……そうですね」

 

 少し心が動かされたようだ。


「プライベートタイムまで、会社の関係を引きずるのは良くないと今まで思っていました。でも、愛宕君の意見にも一理ありますね。私が仕事中で無いからこそ話せることと言うのも、確かにありますね」

「ええ。それに課長に話してもどうにもならない事でも、課長に聞いてもらえただけで、ほっとすることだってあるんですよ」


 俺の言葉に、彼女はそっと長いまつ毛を伏せると言った。


「そうよね。聞いてくれるだけでいいって時も……あるわよね」


 俺は詰め寄る様に課長に顔を近づけた。


「わかりました。一次会だけ参加させていただきます」


 心の中でガッツポーズをする。

 まずは第一段階クリア!




 蒼翠課長の参加は、みんなに驚きを与えた。だが、それは最初だけだった。


 俺は新入社員の女性陣に囲まれながらも、彼女の様子に気を配る。


 彼女は自分から話しかけたり、自分のことを語ったりはしなかった。

 だが、会社とプライベートの垣根を自ら低くする覚悟を決めた課長の表情はいつもと違って柔らかいものだった。

 そのせいか、みんなもだんだん打ち解けて自分から話しかけていく。


 俺は彼女を誘ったことを、心の底から良かったと思う事ができた。

 みんなと彼女の距離が近づいた……それは職場の雰囲気にとって、明らかにプラスな要素だ。決して俺の個人的願望の達成のためだけで終わらないはずだ。




 彼女は宣言どおり、一次会で帰ると言った。


 みんなが二次会へと足を向ける中、「お先に」と言って大通りへと向かって歩き出したヒールの足元が、少しだけぐらついたのを、俺は見逃さなかった。 

 

「蒼翠課長を送ってくる」

 同期の柚木ゆずきに耳打ちすると、また病気が出たかとでもいうように憐れむような視線を向けてくる。


「お前の火遊びをとやかく言う気は無いが、薄氷を踏み外すようなことだけはするなよ。査定に響くぞ」

「そんなヘマはしないさ」

「どうだか、まあ、お前のようなイケメンはいっぺん自爆して死んでこい」


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