Plologue02―幸せの崩壊、旅立ち

 彼女はどこにでもいる普通の女性だった。

 

 裕福ではないが、愛のある素敵な家族に囲まれて。

 未だ恋も知らず、ただその筆に甘い夢を載せて。

 

 この幸せは、永久に続くものと思っていた。


 ―――――あの日が、来るまでは。



「ど、どちら様でしょうか。」


 荒々しいノックの音に驚いて、エルゼンは毛に覆われた獣耳を伏せながら恐る恐る玄関の扉を開ける。

 ノックしたのは"鉄道の都"キングスフォールを護る鉄道警察だった。真っ当に生きている彼女はいつもなら彼らを見ても何とも思わないのだが、彼らの険しい表情と唐突に突きつけられたガンを見て思わず腰を抜かしてしまう。


「列車強盗犯の犯人としてお前を逮捕する!」


 無慈悲にも告げられた容疑は、当然ながらエルゼンにとって身に覚えのないものだった。ただの石工職人の娘に列車強盗などできるわけがないからだ。

 列車強盗自体には聞き覚えがあった。魔動列車がジャックされる事件が起こったらしいという噂を、彼女は友人から聞いたことがあったのだ。列車ごと積荷が盗まれたらしいが、正直なところを言えばすぐに犯人が捕まるだろうと楽観視していた。ましてや、この平和な職人街に関係のある話とは思えない。


「そ、そんな。何かの間違いです。私は何もやっていません。」

「事件を目撃した者がお前と同じ顔を見たと証言しているのだ。大人しく来てもらおう。」


 気が動転していたエルゼンは、話せばきっと自分が犯人ではないと分かってくれるはずだと思っていた。悪く言えば、危機感が無かったとも言えるだろう。とはいえ、この状況ならばついていかざるをえなかったのも事実だが。

 そして、鉄道警察の詰所まで連れていかれた彼女は、彼らから聞かされた話で事の重大さを知ることになる。なんと、自分の獣変貌をした姿が列車強盗の親玉とそっくりだったというのだ。


「私は何もやっていません。信じてください!」


 エルゼンは列車強盗のあった日のアリバイや、ただの石工職人の娘である自分に列車強盗をする技量などはないことを必死に語る。事件の大きさから鑑みて、裁判で有罪となれば処刑は免れない。さすがにその事実を彼女は理解していた。

 その必死さに鉄道警察の警官達は折れ、話を聞いてくれるようにはなった。しかし、彼らにも面子というものがある。犯人どころか盗まれた列車すら見つかっておらず、列車強盗の親玉とエルゼンが似ているという情報しか掴めていない現状で、タダで彼女を釈放するわけにはいかなかった。


「ちょっといいかな、お嬢さん。」


 取り調べを受けている部屋にドワーフの老人が現れる。胸に勲章を付けており、どうやら警官達の上司であるようだった。

 見た目は優しそうな白く長い髭を生やした老人だが、声を聞いているだけでなぜか緊張してしまうような威圧感があった。エルゼンは獣耳をピンと立てながら、姿勢を正す。


「は、はい。なんでしょうか。」

「君は犯人ではないと主張しているようだが、それは本当かね。」

「ほ、本当です。だって、私……」


 ただの町娘ですもの、とか細い声で呟く。警官達に何度も説明してきたことだった。あまり信じてはもらえなかったが。


「フォフォフォ、安心しなされ。儂はお嬢さんを犯人と決めつけているわけではない。」

「そ、それなら……」

「だが、このまま帰すわけにもいかぬのじゃよ。間違えて無実の者を捕まえたとあっては、こちらの信用に関わる。魔動機文明時代から続く我々の伝統と誇りに傷がつくからのう。」

「そ、そんなぁ。」


 エルゼンは酷く落胆した様子を見せる。あまりにも理不尽な現実が彼女の目の前に叩きつけられていた。

 家に帰りたい。早く両親のところに帰りたい。

 どうしてだろう。明日も変わらない一日が来るはずだったのに。


「まあまあ、そう落ち込むでない。このまま帰すわけにはいかぬと言っただけで、絶対に帰さぬとは言っておらん。」

「それは、どういう意味ですか。」

「お嬢さん、無実を明らかにするためにはどうすればいいと思う。」

「ええっと、そうですね……」


 長い取り調べと理不尽な出来事に、エルゼンは精神的に参っていた。目の前の老人がどのような返答を求めているのかを想像している余裕もなかった。

 彼女はただ聞かれたことを素直に答えてしまう。


「真犯人が捕まれば、私の無実は証明されると思います。だって、その列車強盗の親玉というのが私とそっくりなのでしょう?」

「確かに言う通りじゃな。」

「だったら、早く真犯人を捕まえてください。私は本当に何もやっていません。」

「お嬢さんよ。残念だが、お嬢さんの言う真犯人の手掛かりは全く見つかっていないのじゃよ。」

「えっ……?」


 友人から聞いた話によれば、犯人は積荷ごと列車を奪ったという。普通に考えて、そのような巨大なものをずっと隠し通せるわけがない。また、列車を動かすには線路が必要だ。逃走ルートも限られている。

 疲弊しているエルゼンもこれぐらいはすんなりと理解できていた。真犯人の手掛かりは全く見つからないというのはあまり考えにくい。


「儂らにはお嬢さんが犯人だという目撃証言しかない。このままでは、お嬢さんを犯人とせざるをえないのじゃよ。そして、裁判に掛ければ間違いなく有罪となる。」

「………」

「そこでお嬢さん。儂から提案がある。」

「な、なんでしょうか。」


 提案という言葉に一縷の望みを抱き、エルゼンはハッと顔を上げる。


「お嬢さんを仮釈放とする。自分で真犯人を見つけるチャンスをやろう。」

「そ、そんな。私には無理です。」

「護身術として剣は教わっておるという話は聞いたが。」

「あんなのは最低限で……」

「嫌と言ってもやるしかないのじゃよ。あくまで釈放は仮じゃ、犯人が見つからなければお嬢さんを捕まえるしかないのう。」


 エルゼンは崖から突き落とされたかのような絶望に打ちひしがれる。

 こんなものは脅迫に等しい。それに、キングスフォールの鉄道警察に見つけられないものを自分が見つけられるわけがない。彼女はそう思っていた。


「フォフォフォ、落ち着きなされ。手段がないわけではないのじゃよ。」

「えっ、それはどういう。」


 困惑するエルゼンの前に、一枚のチラシが出される。チラシは魔動列車兼冒険者ギルドの求人だった。どうやら、所属する冒険者を募集しているらしい。

 

「キングスフォールの中だけでは限界がある。世界を股にかける冒険者になれば、儂らの知らないことも知ることができるはずじゃ。もしかすれば、真犯人の手掛かりも掴めるかもしれん。」

「私に、冒険者なんて。」


 エルゼンは先ほど老人が言っていた言葉を思い出す。嫌と言ってもやるしかない、やらなければ犯罪者となる。選択肢はあってないようなものだ。

 冒険者となれば、今までの幸せな日常は帰ってはこない。だが、こんなところで死にたくはなかった。


「―――分かりました。冒険者になれば、ここから出していただけるのですね。」

「うむ、約束しよう。冒険者となってちゃんと働いている間は、もう一度捕まえたりはせぬ。多少は監視させてもらうがのう。」


 エルゼンはぐっと拳を握りしめる。覚悟が完全にできているかと言われれば微妙なところだが、とにかくやるしかない。追い込まれた彼女は必死に勇気を振り絞る。


「なります、冒険者に。」

「フォフォフォ、その意気じゃ。期待をしておるぞ。」


 老人から提示された条件を呑み、無事に仮釈放が言い渡される。久々に外の空気を吸うことができたが、エルゼンはどうにも喜べなかった。


「どうしてこんなことに。」


 その答えは誰にも分からなかった。神様はこの運命を知っていたのだろうか。いつまでも続くはずの幸せな日々が、こうして壊れてなくなってしまうことを。

 餞別に老人から渡されたレイピアを腰に挿し、グランドターミナル駅から魔動列車に乗ってチラシに書かれていた面接の会場へと赴く。エルゼンは緊張した面持ちで、列車に揺られながらもそわそわとしている。

 これからどのような生活が待っているのだろうか。不安で胸が苦しかったが、一方で彼女は心のどこかで淡い期待を抱いていた。なぜなら、人々にとって冒険者は憧れの職業だからだ。自分がなるとは夢にも思っていなかったが、冒険は本の中で思い描いていた物語の世界でもある。冒険者でしか味わえない貴重な経験は沢山あるはずだった。


 世界を渡り歩く冒険者となり、自らの無実を明らかにするために。

 今度こそ覚悟を決めた彼女は冒険の舞台へと降り立った。

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