第42話
呉林が指差したところは、女子トイレの奥にぽっかりと開いた、普通はあるはずの無い窓だった。ここは地下だ。
「ここは地下のはずじゃ」
「でも、これがねじ曲がっているけど、現実なのよ」
私は呉林のどんなことにも物怖じしない冷静な人格に顔が火照りそうになる。こんな世界でもやっぱり頼りになる。
「この窓の向こうに行くしかないか」
私は照れ隠しに真面目な顔を意識して作った。
私は左手で打ちっ放しのコンクリートを触る。ヒンヤリとした感触は紛れもなく現実だった。
「待って、怪我の治療をしてから行きましょ。多分、それからでも遅くはないわ」
呉林の親友をも思う気持ち、そして冷静な判断には眩暈がするほどだが、
「いや、今すぐ行こう。大丈夫だ」
「無理よ! この先も危険よ。私の姉さんは応急処置ができるのよ。後、私も。大学で資格を持っているの」
呉林は私の肩に手を置いた。
私は頭を振って、
「そんなことをしても、絶対落ち着けないさ! 今はこの興奮と怒りが体を勝手に動かすのを黙って見ているしかない!」
私は呉林の手を振り払い。窓を潜る。
窓の向こうは、相変わらずの打ちっ放しのコンクリートで、延々と続く通路となっていた。50メートル間隔で、女子トイレと同じく木製のドアが左側に幾つもある。まるで、女子トイレの延長線だった。
「待って、赤羽さん」
呉林もやってきた。スーツのポケットから何かを取り出した。手には赤い色の手紙が握られていた。
「私も行くわ」
しばらくして、呉林は何かを決心したように言い放つ。
「あのね。赤羽さん。これ、姉さんからの手紙。これからあなたは信じられない事をするの」
「なんだそれ。俺が信じられないことって……?」
私は呉林から手紙を受け取った。
しかし、暗くて読めない。壁や床のコンクリートは外からの光をかなり遮断している。天井には蛍光灯もない。
「ここは。女子トイレの延長線のようよ。でも、照明は無いみたい。手紙は読めなくても、赤羽さんのお守りにしてね。きっと、役に立つわ」
呉林は私の疑問の眼差しをにっこり笑って無視した。この手紙の内容を知っていないようだが、例の不思議な直観でこれからの事を知っているようだった。
「これから、何が起きるんだ」
私は暗い通路の終わりが見えてきて、
「更に地階があるようだ。見てくれ、下に行く階段があった」
「……何か感じる。とても凄いことが起きるわ」
私たちは地階へと続く階段を降りて行った。
…………
地階へ、更に地階へ。
殺風景な女子トイレの延長。連続する木製のドア。この世界の恐ろしいところだ。
「あ、天井が」
呉林の言う通り、天井がなくなり、代わりに赤い、巨大な満月が顔をだした。もうここが地の底の深くとは思わない方がいいようだ。
相変らずコンクリートは前方へと続いていて、木製のドアも無数にある。変わったのは天井がない吹き抜けになったこと。
「あれは?」
私は前方の一つの木製のドアが開いているのを、発見。近ずこうとすると呉林が私の痛む右手を引っ張った。
「待って。何か変よ」
「変って……。何がさ。中に安浦がいるかも知れない」
私は呉林の手をしかめた顔で振り払い。開いているドアへと歩きだした。
「あ、待って赤羽さん ! ……信じられない、これは罠よ!」
呉林がそういうが早いか、二メートルはある大きな巨体が前方の開いている木製のドアを破壊して現れた。
私は驚いて腰を抜かした。
見ると、その巨体は溶接用の面を付け、右手が給油ノズルになっている。鉄製のエプロン。背中に何かの液体が入ったタンクを背負っていた。
「赤羽さん! そいつはキラーよ! つまり、殺し屋!」
「なんだって!?」
巨体が私の方へとゆっくりと歩く。私は抜けた腰を痛む足で何とか立てるようにしていた。呉林が私を起こそうと奮闘する。
「お願い立って赤羽さん!」
私は事態を飲み込む前にすでに恐怖を味わっているので、体は不都合の方へと反応してしまう。呉林と私の奮闘の結果、何とか立ち上がった。
キラーが給油口ノズルから何かの液体を吹っかけてきた。こちらに浴びせられるのを私たちは必死で交わした。
辺りにガソリンの臭いが広がる。
私たちは元来たところへと走りだす。
「赤羽さん! 早くお姉さんの手紙を読んで! お願い! 今は月の明かりで読めるはずよ!」
呉林は茶色いソフトソバージュを振り乱し懇願した。
私は手紙を読めるほど、精神が安定していない。勿論、原因は言葉に表せられない恐怖だ。滅茶苦茶に走っていると、階段が現れた。
「上へ行きましょ!」
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