第43話 

 呉林の声に悲鳴をあげる体で上を見た拍子に、走っていたので、階段の段差で私は派手に転んだ。


「赤羽さん!」


 少し上の段にいた呉林が駆けてくる。


 私は後ろを振り向いた。


 キラーが走って近づいて来ていた。


 何も言わないキラーは、再度ガソリンをぶちまける。今度は、除けられずに嫌と言うほどガソリンを二人で浴びる。


 キラーは給油口ノズルとは反対の手をポケットに突っ込んだ。ライターが出る。


「赤羽さん!」


 呉林は蹲った私に体当たりをして、私を1メートル近く横に弾き飛ばす。


 私は勢いよく飛ばされたが、何とか両手をついて立ち上がった。精神の高揚の成せる業だった。


「そんな!? 嘘だろ!……呉林!」


 このままでは呉林がやられる。私は意識を極力束ねて霧画の手紙を開けようとした。


 キラーの給油口ノズルに近づいたライターから、炎がでる。ノズルから出る液体は炎をまとい呉林に浴びせられた。


「きゃあ!」


 肉の焼ける臭いがしそうな光景を目の当たりにして、私は手紙の内容を頭の中で絶叫した。


「起きて、赤羽さん! あなたなら出来るはずよ! この世界は夢の世界! つまり虚構の世界なのよ! あなたならこの世界でも覚醒できるはず!」


 私の頭はその言葉を理解できなかった。


 頭に何か響いてくる。それは、誰かの声か?それとも叫びか?いや違う、自分の声が体の中から聞こえる。それは叫び?


「……」


 何も解らない。けれど、自然と体が動く。


 痛みが遠くなった片手を上げ、炎で燃え上がる呉林に向ける。


 炎が突風に当たったように吹っ飛んだ。


 キラーは傷ついたような反応をした。私は呉林のところへ駆け込み、体を両手で抱える。


「大丈夫そうだ。少し黒くなっているだけ」


 私はそう自分に言い聞かせる。呉林はピクリともしていなかった。


「お前は絶対に殺す!」


 私は呉林を地面に横たえる。キラーとの距離は、せいぜい2メートル半だ。キラーがノズルを私に向ける。


 私は再度、自然に片手を相手に向けた。キラーのノズルから出たガソリンは見えない壁にぶち当たったかのように、キラーに向かう。


 キラーはそれでもガソリンをぶちまけるので、体をガソリンでびしょびしょにしている。そして、鼻を覆いたくなるような揮発臭が通路全体に広がった。

 ライターを取り出したキラーは何も考えていないのか、ノズルに点火した。


 キラーが火だるまになり、辺りは轟々と赤い明るさで照らされる。


 溶接用の面に赤い月が映った……。


 私は呉林を再度、両手で抱え、炎に包まれているキラーを除けて、奥へと歩きだした。不思議と痣だらけの体からの痛みは無い。


 ひたすら歩いていると、しばらくして呉林は目を開けた。どうやら気絶をしていたようだ。


「赤羽さん。キラーもやっつけたのね」


 呉林の目に涙が浮かぶ。


「ああ。俺っていったい……。なんなんだ。この力は」


「夢の世界を現実で変容させる力。簡単に言うと、あなたは夢という世界で強引に起きることができるの。つまり、この世界でも眠らないことができるの。それと、この不思議な力を使う者は七番目の者ともいうの」


「現実に戻ろうとする力……。七番目?」


「ええ。お姉さんの方が詳しいわ」


「ここは現実なのか?」


 私は黒くなっている呉林に聞いた。


「そうよ。でも、違うの。夢に似た世界。あのね、夢の力が強すぎて現実を歪めているのよ。だから、これは夢の反乱……。もう少し経つと世界中の現実が破壊されて大惨事になるわ。でも、あなたがいれば大丈夫のはず……」


 呉林は私の口にキスをした。


 黒くなっている呉林は美人なんだが……生まれて初めてのキスは苦い味だった。

 私は顔と頭に体中の血液が集まり、まともに呉林の顔が見えなくなった。


 そういえば、安浦を探しているんだった。


「安浦はどこにいるんだ……」


 私は血が上った頭で照れ隠しをしようと、すかさず真面目に尋ねる。


「そうね。ええと……」


 呉林の黒く煤ぼけた顔がみるみる青くなりだした。


「え、ずっと奥の方で逃げ惑っているわ……?」


「なんだって?」


 私たちは数百メートル先で動くものを肉眼で捉えた。


 安浦だろうか?


「俺一人で行くから!」


 私は自分の不思議な力で何とか出来ると実感していた。当然、自信もつく。


「解ったわ。気を付けて」


 私は半ば勇み足で進んで、すぐに駆け足となる。目で捉えたのは安浦だった。


 床がなくなり、代わりに濁水が満ち満ちている。水は腰まであり、かなり深いところもありそうだった。


 安浦は何かからじゃぶじゃぶと逃げ惑っていた。

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