深淵は見ている


 アニメファンがアニメの舞台になった場所に行くことを、「聖地巡礼」と言われている。自分も一回だけ、見ていた百合アニメの舞台になった場所に行ったことがあるのだが、それはそれはとてもいいものだった。

 まるで、自分がそのアニメの世界の中に入ったかのような気分になって、もしかしたら世界のどこかにあの女子校生たちがいるんじゃないかって、そう思わせてくれる面白い体験だった。

 要は何が言いたいのかというと、今から体育館の二階、キャットウォークの端っこへと実際に行ってみようじゃないかということである。

 これはある意味、「聖地巡礼」といってもいいんじゃないかと思っている。

 ということで、掃除が終わってこれから部室に行く人、帰る為に玄関へと向かう人の波に逆らいながら体育館へと向かうことにするのだった。


 体育館に着くと、そこには倉庫からネットを出したり、ボールがたくさん入った鉄の籠を押している女子バレー部達がいた。

 一歩踏み込むごとに鳴る木の軋む音。壁の下の方にある小さな小窓は、全て全開に開いていて、熱いものを息でふーふー冷ます時ぐらいの微力な風が入って来るのを感じる。そんな風が優しく足元を撫でてくる。

 ふと思ったのだが、俺は今ここにいない方がいいかも知れないという考えが浮かんできたが、その「恥ずかしさ」と「聖地巡礼ができる」ということを天秤にかけたら、ギリギリ「聖地巡礼ができる」ほうが勝ったので、恥ずかしさを押し殺してさっさと二階へ上がることにした。

 階段を上りきってパッと二階を見ると、一人の女子生徒が立っているのが見えた。その女子生徒は柵に肘を置いて、じょバレが準備しているのをぼんやりと眺めていた。なので、多分まだこちらに気が付いていないらしい。

 こうなるとさっきの天秤に掛けた「恥ずかしさ」に加えて、「女子生徒に見つかる」が乗っかるので、これでは完全に重量オーバーだ。今すぐ諦めて帰ろうと方向転換してところで、下の方から扉が勢い良く開く音が聞こえてくる。


「――よーし、始めるぞー!」


 じょバレの女顧問の先生がすぐ下の方で招集を掛けだした。

 どうやら、俺は挟み撃ちにあったようだ。

 ……さて、どうする。

 このまま、階段を下りれば絶対に先生に話しかけられる。そうなったときの言い訳を必死に考えるが、嘘をつきなれてないためか全然思いつかない。

 クソッ……。もうこうなったら腹をくくって、何食わぬ顔で二階へと居座り、あの女子生徒といい感じの距離を保ちつつ、時が過ぎるのを待って頃合いが来たらさっさと体育館を抜け出すしかない。その他に方法があったら誰か教えてくれ。もういっそのことヤフー知恵袋に投稿しようかしら……。

 なんて冗談を考えることで平静を保ちながら、二階の階段よりちょっと進んだところまで歩を進めて、あの女子生徒とある程度の距離を離したところで、あの女子生徒と同じように柵に肘をかける。

 そして、じょバレの生徒と目が合わぬようにできるだけ上を向いて、時々壁にかけてある時計の針を見ることしか俺にはできなかった。


 時計の長針が数字を二つ動いた辺りで、そろそろ頃合いかも知れないと思い始めた。

 なぜかというと、目の前でバレー部達が決まりきったメニュー通りにテキパキ動いて、各々で準備運動的なラリーを始めたからである。(決まりきってるかどうかは知らないけど)

 まぁ、先生もさっき教員室に戻っていったみたいだし、今のうちにここから逃げ出そう。

 そう思った瞬間だった。


「ねぇ、君……さっき見てたよね?」


「えっ……」

 すぐ後ろを振り向くと、そこにいたのは俺よりも先に来ていた女子生徒だった。

 腕を掴まれている感覚がして、自分の腕を見てみるとやっぱり掴まれていた。

 女の子の急な接近によって、少し酸っぱい制汗剤の匂いがして、少し恥ずかしい気持ちになる。小さな風に運ばれてきたことから見て、どうやら、急いでこっちまで来たのだろう。

 ふわっと揺れるなめらかな髪の毛、こちらを見つめるまん丸の目には、何かを確認したいという意思を感じとれる。

「ど、どういうこと……」

「だから、さっき三階から私たちのこと見てたよね」

 深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いているとはよく言うが、マジで覗かれてるなんて思わんよって話。

「え、あ、いや、……なんのこと?」

「いや、しらばっくれても無駄だから」

 うわぁ、下手に嘘ついて余計悪化するこの状況。毎回、後悔するのに何で嘘ついちゃうんだろうね、人って。

 名も知らぬ少女は逡巡したかと思ったら、次の瞬間には何かを決意した顔を真っ直ぐ向けてきてこう言った。

「とにかくついてきて! どうせあなたここから出ていくのが気まずかったんだろうし、そのお礼と思ってさ」

 そこまで分かってるなら、素直に助けるという善意を持ち合わせていなかったのか、と思ったが助けてもらった恩人なので、そういうわけにもいかない。なので、この子の言う通り俺は付いていくことにした。

「でも、今から出ていくところだったからなー……。なんて決して口にはできそうもない文句を心の中で囁きながら。

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