第2話 青春の予感?

 煌々と照りつける太陽が恨めしい。僕は汗でずり落ちてくるメガネのブリッジを指で押し上げた。そして、自転車のペダルを必死に漕いで長い坂を駆け上がっていた。


 夏休み明けの登校初日、これは日本社会が学生を試すかのように数々の試練を課している。それは高校一年生の僕、瀬能卓人にとっても同じだ。


 まず第一の試練はこの暑さだ。9月は全然涼しくなんてない。温暖化が進んだ今、夏休み本来の目的である避暑ができていない。炎天下のもと自転車通学するのはいかに大変かを、大人達は知っているのだろうか? 自分の隣を悠々と通り過ぎていく自動車やバイクを横目にしながら、僕はひたすらペダルを漕ぐ。まるで社会の現実を目の当たりにした気分だ。


 第二に登校の試練だ。もっとも、これは僕みたいに過酷な道を選んでしまった人間にだけ与えられた試練だ。僕が通う神奈川県立森里高等学校は、その名の通り豊かな森林に囲まれている。そして山の中にあるんじゃないかという丘陵地の頂上付近にあるのだ。そこら辺一帯は工業地にもなっているので、付近に民家は少ないが会社はそこそこある。だから買い物をするにしても付近にはスーパーが一つあるだけで、コンビニは坂を下りきったとこにしかない。朝4時頃に散歩をすれば、鹿やタヌキといった野生動物とも出会えると言われるほど素敵な立地だ。この学校はそんな場所に立っているのにも関わらず、なぜか高校生の原付通学を禁止しているのだ。


 最寄りの駅から学校までのバスは出ているが、駅から学校までは結構な距離がある上にバスの本数は少ない。何よりバス通学はお金がかかるので、多くの生徒は普段は自転車で通い、雨の日はバスを使うという人が多い。中には雨の日でも上下のレインコートを着て通学する猛者もいるが、僕は大多数と同じく普段は自転車で通学、雨の日はバスを使用している。


 最後は学生みんなの仇敵、夏休みの宿題だ。社会人と違って学生は、休みの期間が長い。きっとそれに嫉妬した大人達が、夏休みの宿題の量を増やしたんだろう。宿題の添削なんて、先生だって夏休み明けにやりたくは無いだろうに。日に日に近づいてくる登校初日へ向け、宿題のラストスパートを行った結果、ギリギリまで削られている。


「はっ……、はっ……」


 以上の三つだけでも、どれだけ夏休み明け初日の登校が僕にとって辛いかわかるだろう。息は上がり、体中から汗が吹き出てくる。それでも学校に行けば友達に会えるし、久しぶりに気になるあの子とも会うことができる。そう考えれば、この坂道だって大したことはない。


 学校に近づくにつれ、自分と同じように自転車で登校している人の姿が増えていく。そして坂道の終わりに近づくほど自転車を漕いで坂を登るのを諦め、自転車を押して進む生徒の姿がちらほらと見え始めた。

 そんな中、僕は懸命にペダルを漕いで駆け上がっていく。自分の中で通学路の坂道では足をつかないというささやかなルーティーン決めているからだ。そして何とか僕は坂の頂上まで足をつかず、登りきった。この小さな達成感は、きっと自転車通学ならではの醍醐味だろう。


 高校一年目の夏休み明けの教室は、中学校では体感したことのない独特の雰囲気がした。この高校に通う生徒に、僕の中学校まで同じ学校だった人が少ないのも理由の一つだと思うが、それだけではないようだ。高校一年の夏休み明けは、はっちゃける奴が多いと友達から聞いていたがどうやら本当のようだ。


 夏休み前よりも茶髪の人が目に入る。特に男子。僕と同じ地味メンに部類される側だったはずの男子も、控えな色だが茶髪にしていたりする。野球やサッカーといった運動系の部活メンバーはそれにプラスして、日に焼けているから正直、夏休み前に覚えた顔と名前を一致させるのが大変そうだ。それに同じクラスの女性陣も、何だか皆大人びた感じがする。僕だけなんだか取り残されてるみたいだ。


 クラスの皆が久しぶりに会った友達と談笑する中を、僕は挨拶しながら自分の席に着く。僕が挨拶をすると大体の人がにこやかに挨拶を返してくれた。自分のことを忘れられていないことに内心ほっとしていると声をかけられた。


「おはよう、瀬能君」

「あ、おはよう、内藤さん」


 僕は声をした右側を向いて挨拶を返すと、女の子はニコッと笑ってくれた。可愛い。彼女はちょうど席に着いたところらしく、カバンを机に置いて椅子に座った。彼女の名前は内藤有紗さん。吹奏楽部所属の小柄な女の子で、明るい性格も相俟ってクラスのムードメーカー的存在だ。彼女とは1学期ずっと隣の席だったこともあり、クラスの女子の中でも一番親しくなったと言っても過言ではない。


 内藤さんとは夏休み課題について夏休み中もちょくちょくLINEでやり取りしていたが、一度も直接会うことはなかった。久々にあった彼女は、雰囲気が変わった気がする。心なしか前より化粧に力が入っている気がする。それもまた似合っていて可愛い。


「久しぶりだね。夏休みどうだった?」


「はは、特に何もなかったよ。家族で茨城のお祖父ちゃんとこに行ったくらいかな。内藤さんは?」


「私? 私は大体部活の練習だったよ。も〜、大変だったよ! 先生が厳しすぎてさ〜」


 僕と内藤さんは、お互いの近況を話し合う。夏休み明けでちゃんと話せるかドキドキしていたけれど、案ずるより産むが易し、ちゃんと話せて安心する。


「そう言えば、もうすぐ文化祭だね。一緒に頑張ろうね」


「うん、頑張ろう」


 内藤さんから出た文化祭の話題。そう、何を隠そう僕と内藤さんは同じ文化祭実行委員なのだ。夏休み明けから文化祭の準備は本格化する。僕は帰宅部だけど、あまり学校の行事などに関わらないでいると親に心配されるので、1学期の最初に決めた委員会・実行委員会決めで、文化祭実行委員になることを選んだんだ。そして、それは何と内藤さんも同じだったのだ。

 このチャンスを活かしてもっと仲良くなって、文化祭の最後に告白をするんだ!


「おはよう、あっちゃん!」


 僕が決意を固めていると、二人組の女性がやってきた。彼女たちも同じクラスなので当然見覚えはある。見覚えはある……が、正直言って名前が出てこなかった。夏休み前の僕はきっと覚えていたはずだ。スカートを短くし、違和感ないオシャレなメイクを施した彼女たちは、いわゆるギャルと呼ばれる人種だ。

 普段あまり内藤さんとは話さないグループの人たちだったのでどうしたのだろうと思っていると彼女たちは目をキラキラさせながら内藤さんい話し始めた。


「あっちゃん、聞いたよ聞いたよ! 吹奏楽部の加藤先輩と付き合い始めたんだって?」


 その言葉を聞いた時、僕の時が凍った。


「えへへ……、うん、そうなんだ」


 内藤さんはその問いに顔を真っ赤にし、はにかみながら答えた。そんな様子も可愛かったが、僕の心はそれどころではない。パニック状態だ。

 きゃ〜! っと反応を返すギャル達に、僕の動揺を悟られないように気をつける。


「で、どっちから告白したの? どっち?」


「ほらほら教えてよ〜」


 内藤さんは困ったように目をキョロキョロさせつつ頰をかいている。ギャル達が次の質問をする中、僕は何とかギギギっと音がするかのように固まった体を前に向けるので精一杯だった。


「え? えっと……、先輩の方から」


 聞きたくはない。聞きたくはない……が隣の席だし、ここで席を立ったら不審に思われてしまう。僕はそう考えながら、彼女達の会話を聞き続けた。

 なるほど……これから始まると思っていた僕の青春は、どうやら既に終わっていたらしい。

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