第15話 4th day.-3/アネモネの種 - 悪夢 -/NIGHTMARE

<悪夢/NIGHTMARE>


「―――んん〜〜。遅くなりすぎたかな」

 一度家に戻り、夕飯の材料とその他諸々の日用雑貨が不足していることに気付いて臆郷に繰り出した。風はヒンヤリと、やさしく頬を撫でる。横向きに靡く風は広く、夜の街に溶ける。

「さっむ。早く買って戻ろっと」

 お気に入りの本屋の前から流れに沿って歩く。時刻はすでに八時過ぎ。仕事を終えたサラリーマンやOLが仕事疲れを癒しに街に集まりだす時間帯。住宅街から少し離れた大通りにはたくさんの人が繰り出していた。


 ―――そんな中で、一人の少女の姿が視界を横切った。黒い髪は夜に溶け、その幼さに気付き――――


 ―――その一瞬で、その少女に魅入られた。一瞬こちらに振り向いたに過ぎなかったけれど、たったそれだけで心を奪われた。人ごみに溢れた大通りを少女は何の障害もなく、流れに逆らって歩いていた。

 人を縫うように歩くとはこのことだろう。気付けば、その少女の後ろ髪に引かれて、一緒にその流れに逆らっていた。


 ―――アツイ。目の奥が熱かった。別に涙が出そうだとか、そんな感情ではない。目玉が飛び出そうなそんな痛みあつさが目の奥にあった。

 ―――アツイ。喉が熱い。ひどく喉が乾いている。蒸し返る様な熱さで頭がクラクラする。外の空気はこんなに冷たいのに、体の中はひどく熱かった。

 ―――アツイ。少女の足取りは人ごみを通り抜け、大通りを抜け、どんどん進む。辺りには人の姿はなくなり、次第には街灯も少なくなってきている。

 ―――アツイ。アツイ、アツイ、アツイ、アツイ、アツイアツイキツイアツイアツイアツイコワイアツイアツイアツイアツイアツイアツイ!!


 もう、何分も歩いただろうか。少女の足取りはこれから遊びに行く幼子の様に軽く、速さを失っていく様子は見られなかった。それどころか、逆に速くなってきてさえいる。現に、こちらの足取りは次第に早足になっていた。

 月光が降り注ぎ、それ以外の光がない暗い道路を少女が歩く。そして何故かその後ろ髪に引かれている。道を曲がるときに見えた少女の横顔はやはり幼い。そこから見えたのは白く透き通った肌に、その幼い顔には不揃いな大きな眼帯。顔の左側が包み込まれるほどのアンバランスなその大きな眼帯が、余計に少女の幼さを強調しているようだった。

 クスクスと口元に笑みが浮かんでいる少女。少女は自分の後をついて行っているのをすでに気付いている。それどころか、少女とこちらが一緒に遊んでいるかのように時折振り返りながら笑う。

 ―――そして、小さな曲がり角が見えた。小さな、小さな路地裏。少女は何の躊躇いもなく、その路地へと消えていった。すると、何処から現れたのか、数人の男性がその路地へと入っていった。その時、あたしの頭の中には一つの事件が浮かび上がっていた。 

 ――――無差別連続猟奇殺人事件。犯人は未だ捕まってはおらず、その犯行は未だ継続中。そして犯人は複数犯説が有力。そして現実に―――目の前でそれが起ころうとしている。

 ―――何も考えずに後を追って静かにその裏路地へと入った。小さな裏路地の幅は狭く、大人一人通るのが精一杯だった。見上げれば空は狭く、明るかった月明かりは遮られ、新月の夜のような暗さが広がる。足元は暗さでほとんど見えず、グチャ、グチャと何かを踏み潰すような不快な音が広がる。生ごみが腐敗したような臭いも立ち込めている。あの少女は何故にこのような場所に踏み込んだのだろう。そしてあの男たちは何を企んでいるのか、そんなものはわからない、わかるはずがない。

 ―――だけど、それは危険な事だという事が体の中から響いてくる。それは本能による危険信号だろう。手には汗を握り、膝は笑う。目は恐怖に泳ぎ、歯は踊りだす。

 ―――そう、これは『』なのだ。あの時受けた痛みは今でもよく覚えている。だがあの日から一度も『恐怖』を感じた事はなかった。その感情だけが希薄になっていたはずだったのに。


 小さな路地を抜けると一際広い場所に出た。周りには背の高い壁。何十階もあるビルが四方にそびえ建っている。都会の建築物に囲まれたバスケットコート大の孤独な空間。月は真上にあったが、厚い雲に隠れて明かりはない。広場の入り口から静かに覗くと人影が六つ見えた。一つは小さな影――恐らく先ほどの少女、そして残りの五つは大きな影――少女の後に裏路地に入っていった男の人たちだ。


「なぁキミ誰よ? こんな所に来たらアブねぇぞ。こんな小さい子が来るトコじゃねぇって」

「そうそう、変なお兄ちゃんに襲われるかもよ。こいつらみたいのに」

「バカかテメェ、それはお前だろがロリコン野朗が」

「ガハハハッ、ちげぇねぇ。この前も自分の妹とヤッてたじゃねぇか」

「バ〜カ、あれはあいつからすがって来たんだよ。オレは兄としてそれに答えただけなの」

「何言ってやがる。自分の妹にクスリ使って開発したのは何処の誰よ?」

「それはオメェもヤッてたじゃねぇか。この前ノドカちゃん見たときびっくりしたぜ、このサド野郎め」

「まぁいいじゃねぇの。それよりさ、キミ、俺らと一緒に遊ばねぇか? 楽しいぞ?」

「ガハハハッ、いいねそれ。なぁ、一緒に遊ぼうぜぇ〜」

 ゲラゲラと笑うケダモノ達。弱者に貪りつくその姿はまさにそうだった。吐き気がしそうだ。額には大きな脂汗が噴き出ている。


 あたしは恐怖する。あたしは今、恐怖している。怖い、恐い、コワイこわいこわい。あたしは、あの―――

 ケダモノ達の真ん中でにこやかに笑っている少女の顔が怖い。あの長く、きれいな黒髪が怖い。少女がいるあの空間そのものが怖い。気が狂いそうだ。あの少女のあの笑顔は―――と同じだ。今は彼らから見るとただの少女だが、あれはまさに羊の皮をかぶった狼そのものだ。アイツと一緒。どこもかもアイツと一緒だ。


「お兄ちゃんたち、ボクと遊んでくれるの?」

 その少女は静かに口を開いた。その少女の声は周りで笑う彼らよりはっきりとあたしの耳に入ってきた。

「おっ、マジかよ。いいねキミ、わかってるじゃないの」

「うほ〜。マジで? マジで? オレから先ヤッていいか?」

「勝手にしろ。俺はそんな趣味ねぇよ」

「うわっ、こいつホントにロリコンだよ。むしろ変態か?」

「いや、普通に変態だろ。てか一緒だよ、こいつの場合は」

「あ〜だめだ、こいつもう聞いてねぇよ」

「はぇーよ。何処まで興奮してんだよ? そこまで普通なるか?」

「イッちゃっていい? イッちゃっていいよな?」

「じゃぁ〜俺二番な! それとも一緒にヤッちゃう?」

「いいねそれ!! お前、たまにはいいこと言うじゃん!!」

 ゲラゲラと笑う。その目に少女の顔は映っておらず、淫靡にもすべての目線が少女の身体へと向かっている。下から舐め回すような目線。その目線を受けている少女はクスクスと笑っている。あの少女は何を考えているかわからない。だけど、あの笑顔からは禍々しいものが感じられる。間違いなく、―――彼らは、この後

 ケダモノの一人が少女へと歩み寄った。その目は完全に欲に溺れている。あの少女が普通の少女なら、この後どの様になるか容易に想像できる。それは一方的な暴力。少女に決定権や拒否権はなく、唯々ケダモノ達に弄ばれ、壊される。

 だけど、あの少女は違う。本能が違うとそう訴える。あの少女はケダモノではなく、だ。間違いなく、逆の結果になる。あの少女からは想像もつかない秘めた力を感じる。彼らに繰り返されるのは少女からの一方的な暴力。彼らに逃亡という行動は許されず、この空間から出る事はもちろん、抵抗する事さえも許されない。

 ―――そう。あの少女はあたしとで、そして

 未だケダモノとなっている男が少女の肩に手を触れようとする一瞬、この場から逃げる事を決意した。初めは少女を助けようとして裏路地に入ったが、あの少女はバケモノだ。ここにいてはあたしが壊されてしまう。

 急いで広場から逃げようと踵を返して走ろうとした。足元は暗く、何も見えない。一歩を踏み出したところで足元に落ちていた空き瓶を思いっきり蹴り上げてしまった。しまったと思ったときにはすでに時は遅し、空き瓶は大きな音をあげて割れ、彼らは一斉にこちらへと振り向いた。

「ダレだ!?」

「おい、お前だよ!! 待てやゴラッ!!」

 後方でケダモノたちが叫ぶ。

 振り返るのが怖い。振り返ればきっと、あの少女が笑っているから。後ろから追ってくる気配が感じる。我を忘れて走り出した。すると―――

「きゃ!?」

「おぉ!?」

 面前に大きな壁が現れた。遅れて現れたそれは、恐ろしいほど大きな肉の壁で狭い通路全体を塞いでいる。

「いい時にきた! おい、そいつ抑えろ!!」

「動くなよねえちゃん。下手に動くと怪我するぜ」

 すでに後ろの道も塞がれた。二人のケダモノがカチンとナイフを取り出した。白銀の刃が光る。

「やっ、離して!!」

「変な気おこす前に縛っとけ!」

「おい、足も抑えろ! 蹴られたらイテェぞ!」

「お、おぉ」

 大きな巨体が足を掴む。

「離、―――して!!」

「ぐぅお!?」

 それを振り払おうとしてその大きな顎を蹴り上げた。

「なにしてんだ、縛るまでちゃんと捕まえてろ!!」

 足を掴んだ巨体は離れたが、二人がかりで腕を押さえられた。

「ぐっ、つぅ―――」

「暴れんじゃねぇ!!」

 捕まれた腕を後ろに回され強く押さえつけられた。

 っ――、痛い。頭を地面に強く押さえつけられて完全に拘束された。

「ったく、どこのねえちゃんだよ」

「そんなことどうでもいい。ここに居合わされた事が問題だろ」

「それもそうだが……なぁ、こいつも一緒にヤッてやろうぜ」

「そうだな。薬もあるし、調教するには十分だ」

「気の強い女を調教する以上に快感はねぇわな、ガハハハハ」

「おい、いつまで痛がってんだ。お前も薬出せよ」

 ゲラゲラと笑うケダモノ。見上げてるケダモノ全ての顔は醜く歪み、欲に溺れきった発情期の狗のように涎を垂らす。

「お、おデにらヤラゼろ。グヂがいデぇよ、ガマンなんねェ」

「おう好きなだけヤれよ。こんな女、お前の好みだろ」

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。高笑いするケダモノの真ん中に顎を蹴り上げた巨体がノソノソと近づく。

「ヤってもいいけど壊すなよ。これからしばらくは使ってやるんだからな」

「グフ、グふふフッ」

「やっ、離し、ングっ――!!」

 巨体が馬乗りになり、手で口を抑えられた。右手には紅い液体の入った注射器が一つ。その濡れた針が月明かりに光ってる。

 ―――いや、誰か・・・・・・助けて!! 誰か!!!!!!

「んーーー!! んっ、んん!!」

 プスリと。細い針が首筋に刺され、何かがツーと身体の中に入ってくる。脈動する血液に紛れてどんどん異質なものが侵入してくる。

 嫌だ―――あたしが、あたしでなくなっていく。即効性の強い薬なのか、どんどん意識が削られていく。削られていく意識の中で、ケダモノたちの咆哮が聞こえる。

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。

 いや――――誰か・・・・・お願い、助け、て―――。

『―――助けて―――欲しいかい?―――』

 助けて。誰でもいい、あたしを助けて。助かる力があるなら欲しい!!

『―――そうかい―――それなら―――』


「―――自分の愚かさを呪うんだね」

 月夜に蒼い瞳が輝く。その深淵に堕ちていく。―――そうして、月に濡れる夜に――――あたしは『人間』をやめた。


「あはははははははははははははははははははははははははははははぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーーーーー」




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