第14話 4th day.-2/アネモネの種 - 帰宅 -/HOMECOMING
<帰宅/HOMECOMING>
―――放課後。蒼眼の悪魔の襲来はなく、何事もなかったかのように時間が過ぎた。スカーレットに染まった学校は、いつかの面影を夕に溶かし、静けさだけが木霊する。西日に溶けゆく影法師は一方向へと頭を伸ばす。影法師の追いかけっこが、誰も測ることのない背比べが、唯一この街での平和を強調するようだった。
夕焼けの街を蒔絵と二人で帰る。アルスからは、周りには魔力の残留はないから問題はなしで、なにやら用事があるそうだから先に帰っていてほしいそうだ。こうして、朱に染まる街並みを蒔絵と肩を並べて歩いている。
「ホント寒くなってきたね。聞いた? 明日の天気予報、雪降るかもってさ」
「へぇ、この街で雪なんて何年ぶりだろう。珍しいね」
「確かぁ、三年ぶりかな。でも前のだって一時間ぐらいしか降らなかったからあんまり降ったって実感なかったな」
「そうだね。結局積もらないですぐに溶けちゃってたし。今年は積もるのかな?」
「積もるんじゃないかな。なんせ今年の冷え込みって半端ないもん、そうでなきゃつまんない」
「あははっ、そうだね。今年は積もって欲しいかな」
シンシンと降る雪を想像する。白く降る雪は儚くも麗しく、愁いにも華麗に降るだろう。明日の帰宅路では白い雪を見れることを願おう。ささやかな願いを胸に、これから始まろうとする戦いに向けての小さな希望の一つとして取っておこう。きっと、宗次郎が戻ってきたら笑顔で迎えられるように、今度は宗次郎と見られますようにと願い。
話をしていると時間を忘れるってのはよくあることだ。気付けばすでに公園に着いている。さらに沈みかけた西日は影法師を東へと伸ばしていく。
「もう公園着いちゃったね」
「うん」
公園の前でも人影はなく、あたりには静けさが木霊している。静かに吹く風だけが途切れ途切れに音を立てる。
「それじゃ〜あたしはこっちだから、じゃあね」
そう言って蒔絵は手を振っている。その姿がとても手放したくなく、心の中で酷く不安が広がっていった。背中では冷たい何かが広がっていく。蒔絵の後姿を見ていると、一人になることに恐怖した。
「あっ、待って……」
「? どったの?」
―――思わず引き止めてしまった。ただ一人でいるのが恐いから、もう少し一緒にいてほしかった。
「うんっと、―――なんて言うかね……」
蒔絵は首をかしげ不思議がった。それもそうだ、なんの理由もなく急に呼び止めらもしたら誰でも不思議に思う。たかが少しの時間だ。蒔絵と別れて急いで家に戻ればジューダスとジーンがいる。アルスが云っていたじゃないか。そのまま家に戻れば問題なんてない。
「ううん、なんでもないの。ゴメンね、呼び止めて……」
そう言って踵を返した。こちらから別れを告げれば心成しか不安が和らぐ。むこうから別れを告げられると、なにか置き去りにされるように感じられるからだ。
「―――ねぇ、葵」
「?」
今度はむこうから呼び止められた。
「―――葵、あたしになにか隠してない?」
「……どうして?」
「だって、今日の葵どこか変だよ。昨日だって学校休んでるし、なんか腕折ってるし、授業でもずっとボーっとしちゃって、今だって……、なんか酷く悩んでる」
突然の質問。予想だにしなかった質問に息が詰まった。
「なにか、すごく不安そうだよ。何に悩んでるのか、何に怯えてるのかはあたしにはわからないけど、……少しは相談してくれてもいいんだよ」
鋭い質問に心が揺らいだ。誰にも知られるわけにはいかない問題なのに、私の弱い心が揺り動かされた。それでも―――
「―――最近さ、自分がよくわからないんだ。夏喜もどうして私を養子に取ったかはわからない、なんで頻繁に倒れるかもわからない、今折れてるのは関係ないけどなんで私の腕にこんな傷があるのかもわからない。元々壊れてるところが多すぎて、それ以外にもわからないことが多すぎるの」
「それなら、相談してもいいんじゃない?」
「―――それでもね、どんなに大きな問題を抱えていても、これだけは譲れない。蒔絵にだって佐蔵君にだって、宗次郎にだって、この問題だけは私一人で解決したいの。蒔絵にだって相談したいけど、やっぱり今回ばかりはダメみたい。いつも蒔絵たちにはお世話になってるから、今回だけは私一人でがんばる」
黄昏に過ぎる時間の中、少しばかりの沈黙が流れた。これは私の覚悟だ。蒔絵にだけは、私の大切な人達だけはこれ以上問題に巻き込むわけにはいかない。
「―――そっか。やっぱりなんか隠してるとは思っていたけど、なにか大事な事みたいだね。葵がそこまで云うなら、あたしは何も言わないよ」
「蒔絵―――」
「でもね、葵。なにに悩んでるかは判らないけど、あたしから一つだけアドバイス。なにがあっても、絶対に諦めちゃダメだよ。大事な問題ならきっと悩んで悩んで、そのうち嫌になっちゃう時が来るはず。それでも、自分自身で解決したいなら諦めちゃダメ」
静かに吹く風に二つの影法師がゆれ動く。強く指向された言葉で覚悟がより決意される。
やっぱり、蒔絵は良い友達だ。私が何を伝えることなく、誰よりも先にその不安に気付き、勇気付けてくれる。
「うん―――絶対に諦めない」
そう、自分に言い聞かせた。西日が広がる中、静かに木霊した言葉を何度も胸の中で輪唱させる。それだけで私の勇気になった。
「よし。それじゃさ、葵にちょっと見せたいものがあるんだ。悩み事のある葵なら、きっと勇気付けてくれるよ」
そう言って蒔絵は私の手を取った。
「ほら、おいで」
「ちょっ、どこいくの? 蒔ちゃんの家って反対方向……」
「着いたら判るって。こっちこっち。日が沈んだら意味ないんだから急いだ急いだ」
せかせかと私の手を取って蒔絵は走り出した。道路に伸びた影法師は更に長く、西日と共に東へと頭を伸ばしている。遠く沈みゆく夕日はだんだんと紫色の夜へと蝕まれていく。二つの影法師だけが静かな街並みで騒ぎ立てていた。
///
―――着いた所は先ほどとは違う寂れた公園だった。
旧倖田村民間公園。この町がまだ“村”だった頃の古い公園跡だ。山間を少し登ったあたりにある公園跡は寂しさと孤独で満ちている。雑草は生い茂り、ボロボロに崩れたシーソーや錆びたすべり台などが放置されていた。
「―――ねぇ、見せたいものって、……これ?」
イメージ的に灰色に満ちている。時代と世間に見捨てられた忘れ形見、とでも言うのか、この公園跡からは何も感じきれない。
「んなわけないじゃん。もっといいのがあるのだよ、ワトソン君」
蒔絵はニヤニヤと笑いながら再度私の手を引いた。いつもの帰宅道を大きく外れている。アルスには真っ直ぐ家に帰れば大丈夫と云われたけど、すこし心配になってきた。そんな私の不安を余所に蒔絵はどんどん公園跡を横切っていく。ボロボロに放置された公園のタイルは剥がれ、踏み歩けばパキ、パキと音を立てて割れていく。
「ねぇ、何処まで行くのよ?」
「そろそろだってば。ここまできたらもう付いたも同然!! ここで引き返すのはNGだよ」
そう言って、公園の周りに生い茂っている林をかき分けて突き進んだ。すでに結構歩いてるんですけど。ひきこもり気味の私にとっては蒔絵の歩くペースが少し速いな。
そうして、―――
茜色に染め出した夕焼けは沈みゆく空の下で広く浅く広がっていく。 反対側の空は暗い夜が頭を出し、陰と陽の境界では紫色の空が広がっていた。見下ろした世界は壮大で、スカーレットに染まった街から水平線の大海まで広がっている。
「―――きれい」
唯々、そう言葉が零れた。十年と住みなれた街で、こんなにも心休まる場所があることに驚いた。冷たく吹く風も、この場所だとなぜか心地よい。静かに流れる時間をいつまでも過ごしていたいと思った。この場所だとこの街のすべてが見える気がするほど、とても良い眺めだった。
「ここってさ、あたしたちが小さいころに廃墟になっちゃったんだって。一応葵の家が在るお山だけど、ここはもうだれも寄り付かなくなっちゃってる。どうしてかな? こんなにも綺麗な街なのに、どんどん人はいなくなっちゃっていくの。いまだって、臆郷と合併の話だって出てるでしょ? こんなに綺麗な風景も、見る人がいなければ廃れちゃうよ」
西日が沈み漆黒の夜が始まろうとしているこの時間帯が、この場所にとっての一番の華になっている。茜と紫と黒。三色の空に眩く反射した海。左右に伸びる街並みも、淡く映し出されたスカーレットを混ぜ込み広がっていく。
「―――あたしはね、何かに悩んだ時にはよく一人でここに来るんだ。試合で負けちゃった時とか、佐蔵と喧嘩しちゃった時とか、よくここに来て考えてた。なんかさ、心が休まるって言うかな、気持ちが入れ替わるのよね。嫌だったことがなんかバカらしくなっちゃうのよ、ここに来ると。なんでもっと大きくならないんだろうってね、自分の器が。
どんなにがんばってできなくても、ここにくるともっとがんばろうってなる。諦めちゃったら、今までやったこと無意味じゃん。だからちゃんとした結果が出るまで、納得がいくまでがんばろうってなるの。
だからね、葵も諦めちゃダメだよ。なにに悩んでいるのか、なににがんばっているのかは聞かないことにする。葵の胸の中だけにある問題だけど、諦めないで」
「……うん、わかったよ」
少しだけ交わした会話。それでも、この風景を見るだけで蒔絵が私に伝えたかった事がすべて伝わった気がした。この風景を見せてもらっただけで、蒔絵が伝えたかった事が伝わった気がしたのだ。
暫く沈みゆく夕日と街並みを眺め、日が沈み終わろうとした時に公園跡に戻った。廃れた公園な為街頭などはなく、あまり遅くまでいると何も見えなくなるから、すこし光がある間に戻ったほうがいいらしい。
「蒔ちゃん、ありがと」
「いいってことよ、困ったときは―――」
「お互い様、でしょ?」
「そういうこと。元気出たじゃん、葵」
暗く沈んだ夕日に暗い夜が蝕んでいる。そんな空の下で、なんの事情も知らない蒔絵が教えてくれた場所のおかげで元気がでた。決して諦めない、結果が出るまで諦めない事をやめない。
「その意気だよ、葵。がんばってね」
「うん、ありがとう」
そう言って、蒔絵は帰って行った。さすがに暗くなってきてるから道が見えるうちに戻ったほうが良さそうだ。私もそのまま家に戻ろう。
* * *
「ただいま。……ってなにしてるの?」
家に戻るとジューダスが庭全体にいろいろな道具を広げて何やら黙々と作業をしている。
「ん? これか? これは蘇生結界だ」
「そせい? それってやっぱり結界だから魔法かなんか?」
「そうだな。この前の戦闘の傷痕が激しいからな、この庭は」
確かに庭全体はボロボロだ。地面は大きな穴が穿たれ、石垣は崩れている。母屋の方が玄関以外無傷なのが不思議なぐらいだ。
「一応直しておいたほうがいいと思ってな。今度の戦闘でどうせまた崩れると思うが、その時はまた直せばいい。坊主が戻ってきた時にこんな状態だと困るだろ」
直す? こんなに酷い状態の庭をも元に戻すことができるのか。凄いな、魔法って。便利そう。それでも直せてもらえるならそれが吉だ。
「うん。ぜひ直してください」
「了解した。準備にまだ時間が掛かるからお前は家に戻っていいぞ。アルスも帰ってきていることだし、
「わかった。それじゃ、お願いね」
「あぁ、任せろ」
「おかえりなさい、マスター。意外と戻ってくるの遅かったスね」
「ただいま、薄情者。少し寄る所あってね。自分の気持ちを落ち着かせてきた」
「いきなりすげぇ言い草。朝のことなら申し訳ないッス。少し用事があって先に行かして貰いやした。このとおり、申し訳ないッス」
アルスは深々と頭を下げた。朝のことで遅刻しそうになったのは確かに大変だったけど、結果として遅刻にはならなかったから(お陰で
「いいよいいよ。私が朝ちゃんと起きなかった事が問題なんだし、私が明日からちゃんとすればこんな問題は起きないでしょ。だから大丈夫。私もきちんとするから、アルスはアルスの考えたとおりすればいいよ」
「えっ、まあマスターがそういうなら問題はないッスけど、……なんか調子狂うなぁ」
「ん? なんか言った?」
「いや、なんでもないっす。そういえばさっきダンナから
「ん〜、今習ってもいいけどその前に夕食にしない? ジューダスがお庭を直し終わった頃ってたぶん夜も深くなってることだし、終わっといて持成しがないのも寂しいでしょ」
時刻はすでに七時を過ぎている。今から準備しても夕食にありつけるのは八時頃だろう、デリンジャーについて聞くのもそれからでも遅くはあるまい。
「それもそうっすね。なにか手伝いやス?」
「うん、お願い。準備してくるから居間で待ってて」
「おいすー」
とりあえず荷物を降ろして着替えてから台所に向おう。準備万端、いざ出陣。ってワケでもないけど夕食を作りますか。
_go to "nightmare".
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