第10話 3rd day.-3<歪んだ日常/EMERGENCY>
<歪んだ日常/EMERGENCY>
―――そんなこんなで学校に行く時間がやってきた。
いつもはとっくに準備を終えて学校へ行っているはずの宗次郎は傍には居らず、
「どったの、センセイ? オイラの顔になんかついとるんスか?」
「・・・・・・」
これである。宗次郎と姿形は瓜二つなのに中身が真逆。
「なんか失礼な事考えてね?」
「・・・・・・いやなんかね。最近周りで変な空気が流れてるなぁって思ってたらまさに今目の前で現実になるとは思わなかったからさ」
「いやいやいやいや失敬やね、こんな色男捕まえてそんな事言うんかいアンタは」
関西弁ですか今度は。
「なんすかその顔は、微妙な表情して」
「いや気にしないで。そんなことより学校に行きましょ。普段なら既に家から出てるからさ、この時間帯は」
「ほいさ!!」
ビシッと挙げられた右手。こんなに自信満々なの悪いんだが宗次郎はそんなことしないんだけどね。
「気にしない気にしない」
「いやいやいやいやこっちは気にするって」
実際どうなの? ちゃんと"宗次郎"になりきれているのだろうか。
か・な・り、不安である。
///
家を出てすでに十五分。そろそろ学校に着こうとしているのに宗次郎に化けた精霊は飽きることなくずっと喋っていた。
「・・・・・・キミってさ、よく喋るよね」
「そらそうでしょ。今のうちにしゃべっておかんと、後からしゃべれなくなるし」
さいですか。
「そういえばキミの本当の名前ってなんなの? ジューダスやジーンはグレムリンだとかタイプワンだとか言ってたけど、キミにもちゃんとした名前があるんでしょ?」
今までずっと一人でしゃべっていたけど自分自身のことは一回も話さなかったからなこの子。
「オイラの名前?
「"アルス"ってのは夏喜が考えてつけたってこと?」
「そんな感じっスかね」
「そうなんだ。じゃあ私もそう呼んでいいかな? キミのこと、どう呼んでいいかわからなかったから」
「いいんじゃないっスか、好きに呼んでも」
そう言ってるアルスだが、口元は笑っていた。どうやらアルスという名前を気に入っているようだ。
「でもキミさ、大丈夫なの? 普段通りの宗次郎に
考えてみたらアルスは宗次郎について何も知らないはずだ。このまま学校に行ったら余計に怪しまれてしまう。
「心配しなさんな。これでもマスターと坊ちゃんの事はちゃんと知ってるて、安心していいっすよ」
ソレが安心できないのよね、現実として。
「おっ、葵〜!!」
角を曲がると蒔絵と遭遇した。
「げ、どうしたのさその腕。 昨日も学校来なかったから心配してたんだけど、まさかなんかあったの?」
そうか、昨日はそのまま気を失っていたから学校行ってないのか。すっかり忘れてた。
「ちょっとドジしちゃってね。ポッキリやっちゃって、昨日は病院に行ってたの。見た目ほど重症じゃないから連絡とかしてなかったんだけど、心配かけちゃったならごめんね」
「う〜ん。葵がそういうならいいんだけど・・・・・・。 てか宗ちゃん、朝練はどうしたのさ?」
きた!! 問題の場面だ。
蒔絵の目に映るのは『宗次郎』だろう。だがこの子は『宗次郎』ではない、『アルス』だ。
そもそも人間ですらない。
宗次郎の事を知っているといっても性格とかそんなモノだろう、宗次郎個人的な最近の日常なんてわかるはず・・・・・・
「すいません、今日は寝坊してしまいまして。今からいっても遅刻ギリギリな時間帯でしたし、ねぇちゃんがこんな状態だから一緒に登校しようかなって思いまして」
「お姉ちゃん思いなのはいいけど、そんなんじゃだめだよ、宗ちゃん。みんながんばってるんだから君もちゃんとしないとさ。新守さんだってがんばってるんだから、ちゃんと連絡とかしなきゃ。宗ちゃんはレギュラーなんだからきちんとしなさい」
「ホントにすいません、これから気をつけます」
あら、普通に話せてるし。どゆこと?
「おーっす。葵がこの時間に登校って珍しいな、ってどうしたよその腕」
珍しく佐蔵とも遭遇した。
「ちょっと折っちゃってね。利き腕じゃないし、あまり心配しなくても大丈夫だよ」
「へぇ〜、お前がドジ踏むなんて、珍しい事もあるんだな。てかちょっと折っちゃうなんて、どんな生活だよ」
なんかいつも通りの朝って感じだ。アルスも『宗次郎』として、日常に溶け込んでいるようだ。
///
なんだかんだ四人で話をしながら学校へ到着した。
アルスも宗次郎として会話をしており、ボロが出そうな雰囲気もない。周りからは日常通りを通すことができるようだ。
「じゃあボクはこっち側だから。それじゃあ」
そう言うとアルスは一年校舎側へと向っていった。
土地勘もなんとかあるようだから近くにいなくても心配ないかも。これならジューダスが言われたとおりの日常を過ごす事ができそうだ。
「葵〜どうしたの? 早く行こうよ、ホームルーム始まっちゃうよ〜〜」
蒔絵の急かす声が聞こえてきた。確かに時間的にはホームルームが始まろうとしている時間帯だ。
いつもの感覚で日常を過ごしたら遅刻しそうだ。私は急いで蒔絵たちのいる三年校舎へと向った。
///
昼休みを告げる鐘の音が構内に響く。教師による授業終了の合図とともに、ワラワラと人の移動が開始した。
「葵~、今日は食堂でも行こうか~」
午前中の授業で生気を使い果たした蒔絵がゾンビのように寄ってきた。近づくにつれて腹の音まで聞こえてくる。
「おぅおぅ、腹ペコ小町のお通りだ~」
それを横からチャチャを入れる佐蔵である。ドアホウの掛け声で蒔絵の飛び蹴りが佐蔵へ炸裂する。
「早く行かないと席埋まっちゃうから、このアホはほっといて早く行こう、葵」
傍らで倒れている佐蔵を尻目に私の腕を引いて教室を後にする。
///
なんとか食堂の席を確保し、何にしようか思案する。
「蒔絵と葵はメシ、何にするんだ? 取ってきてやるよ」
「あら、気が利くじゃない。そいじゃ〜、Cセットでヨロッ!」
「ありがとう。私はBセットでお願いします」
「はいよ。ちょっと待ってろ」
そう言って佐蔵は未だヒトがあふれている受け取り場へと向かっていった。
「今日の佐蔵君、なにかいいことでもあったのかな? いつになく親切だけど」
「葵はその腕だし、あそこで気が利かなきゃあたしがボコってるよ」
蒔絵はニヤニヤと笑いながら佐蔵の後姿を眺めていた。
「あ。何か申し訳ないかも・・・・・・」
腕が折れている自覚がなかった。
「いいってことよ~。たまにはあたしたちに甘えなさいな」
なぜか蒔絵がドヤ顔だった。
「なんだよ二人とも、ニヤニヤにして。遠くから見たら気味悪いぞ」
蒔絵の頼んだCセットと私の頼んだBセットの入ったトレイを両手に持った佐蔵が戻ってきた。
「あっ、オカエリ、佐蔵少年。お早いですね」
「今日は珍しくすんなりだったな、早く受け取れたんだ。でもお前のこれ、超脂っこいぞ」
蒔絵の前に置かれたCセットは脂が浮いているラーメンとテカテカに光っているチャーハン、それに均等に並べられた七個入りの餃子。コッテリテンコ盛りと、どこかの中華専門店並みのセットメニューである。
それをワンコインで食べられるのだから性質が悪い。こんなので利益があるのかってツッコミたくなるが、どうやら我が校の学食では一番人気で、それでもってちゃっかり高い収益があるという。
ちなみに私のBセットはご飯にさばの味噌煮と小松菜のおひたしとキノコの味噌汁と和食中心で300円定食(赤字メニュー)である。
「なぁに言ってんの。中華は脂こそがおいしいんじゃない」
「そんな事言ってると太るぞ、お前」
「失敬な! 太るじゃなくて増えると言え! てか、女の子に向かって太るとか言うな!」
「そんなもんお前にだけに決まってるだろ。俺はお前の事を女の子として見た事は一ッ、切ッ、ねぇよ。てか俺が葵とかにそんな事言うはずないだろ。それに、お前は俺に女として見て欲しいのか?」
「失礼しちゃうね。でもそれはそれでヤだな。なんか卑猥っぽい」
「・・・・・・何て言うか予想はしていたけど、直で言われるとちょっと辛いな」
いつもの如く始まった二人の会話は夫婦漫才みたいだ。
///
そんなこんなで昼休みもそろそろ終わりを告げようとしていた。
蒔絵は一般女子高生が進んでは選びそうにない中華のCセットを軽く平らげ、今はゆっくりとくつろいでいる。佐倉は蒔絵と同じCセットを選び一緒に食べていたが、委員会の用事を思い出したとかで、大急ぎで食事を終え、食堂を後にした。
「そんじゃ、あたし達もそろそろ行きますか」
蒔絵はそう告げると私の分のトレイも持って席から立ち、食器返却場へと向かっていった。
「葵は入り口で待ってて。すぐ来るから」
「ありがとう、蒔ちゃん」
食堂の入り口は、食事を終えた生徒たちで未だ混み合っていた。
昼休み終了までは少しばかり時間が残っているためか、食事を終えてすぐに教室に戻ろうとする生徒は少ないようだ。
―――そんな混雑した人ごみの中、食堂の入り口に立つ一人の生徒と目が合った。
「あら、葵先輩。どうもこんにちは」
遠くにいたその生徒の声は、やたらはっきりと私の耳に入ってきた。私はその生徒の近くまで行き、どうもと返事をした。
「今日は部長と一緒ではないのですね。先輩が独りの時に会うなんて、今日はツイてるようです」
「・・・・・・」
この生徒は私に会うと『必ず』といってもいいほど声をかけてくる。
そのほとんどは挨拶だけで済むが、この学校で先輩に声をかける人のできた生徒は多くはない。ましてや、部活動を行っていない私になど尚更だ。
「あら。先輩、腕は大丈夫ですか? 折れてしまったのですね」
「不便だけど、今は痛みもないし問題ないわ」
「そうですか。でも、まだ万全ではないように見えます。気を付けてくださいね」
心配してくれているのだろう、その生徒にありがとうと礼を言った。
しかし、私はこの生徒についてあまり知識がない。少ないが、私が知っていることといえば―――
「―――葵、おまたせ。そろそろ戻ろうか」
「あら、部長も一緒だったのですか。こんにちは、部長」
「あれ、
「はい。委員会の仕事で担当の先生の所へ行くので。ですが、未だに待ち人来ずです」
「昼休みから委員会って、新守さんも大変だね・・・・・・、あれ? ・・・・・・もしかしてさ、新守さんの委員会って、佐蔵と一緒だったりするのかな?」
「そうですが、なにか?」
「佐蔵なら、しばらく前に職員室へ向かったよ」
「へ、そうなんですか?」
「そうだよ。人を待たせてるって言って、走って行っちゃったんだけど」
「・・・・・・そうですか。相変わらず、あの人には困ったものです。ありがとうございます。部長、先輩、それでは」
蒔絵が新守と呼んだ生徒はそう言うと、早足で食堂を後にした。
「佐蔵もせっかちね。人を待たせているって言いながら待ち合わせ場所間違えるなんて。どうしたら食堂と職員室を間違えるのかしら・・・・・・」
蒔絵は腕を組みながら呆れた顔だ。
「ま、新守さんも佐蔵のミスに気付いたことだし、あたしたちも戻りますか」
「うん、・・・・・・そうだね」
「葵、どうしたの? まだ気分悪いん?」
蒔絵は私の顔を下から覗き込み、心配そうな声で言った。
「大丈夫よ。ただの食べ過ぎかな」
心配そうにする蒔絵に対して強がって見せた。
本来なら、なんとも思わないような、いつもどおりの日常に、私だけが違和感を覚えている。
周りに悟られまいと、日常を卒なくこなしている。息苦しさも感じながらも、今を乗り越えようと気を張る。
「ん〜。まだ少し顔色悪いみたいだけど、ホントに大丈夫なの?」
「蒔ちゃんも心配性だね。本当に大丈夫よ。昼食も食べた後なのに、休んでばかりじゃそれこそ"増えちゃう"でしょ」
「ホントにホント?」
「本当に本当」
心配性な子に誠意をみせる。
「まぁ、葵がそこまで言うのなら止めないけどさ。また倒れたりしないよね?」
「今日は調子がいい方だから、絶対絶対大丈夫よ」
ならいいけど、と蒔絵はしぶしぶ納得してくれたみたいだ。
一日も残り半分。アルスの方の心配もあるが、放課後になれば合流できるだろう。
ひとまず、残りをこなそう。
///
―――放課後になった。
何事もなく時間は進み、私だけが何の狂いもなくいつもの学生生活過ごしている。
―――そう、私だけだ。
普段見るもう一つの影はない。身代わりとしてアルスが『宗次郎』を演じているが、それはあくまでも身代わり。周りが気付かなくてもそれは『宗次郎』ではない。
「どうしたんさ、何悩んでるの?」
隣には蒔絵がいる。何も変化のない普通の日常を過ごしている。
―――そう。私だけだ。
「ううん、なんでも無い、大丈夫」
「ホントかなぁ。葵って嘘つくのヘタだもん」
「本当に大丈夫だって、心配しすぎだよ。本当に大丈夫」
そう。周りの人におかしい事なんてない。
周りに気づかれる事はないのに、私の日常は非常へと変化していく。
それは突然現れ、一方的に押し寄せる。ただ周りが気付かないだけで、私の歯車は噛み合わなくなっている。
蒔絵と校舎の玄関へ到着すると、帰り支度を済ませている
「あっ、ねぇちゃんやっと来たよ。ずっと待ってたんだから」
「―――はい?」
アルスは宗次郎の声で意味不明なことを言ってきた。
「どうしたの葵? 宗ちゃんと何か約束でもしてた?」
「いや。したつもりはなかったけど・・・・・・」
「あっ、ヒッドいなぁ〜。朝学校行くときにねぇちゃんが自分で言ってたじゃないか。帰る前に話があるから、ここで待っていてって」
そうだったろうか・・・・・・。なにも約束なんてした覚えはないのだが。
「部長はどうします? 一緒に来ますか?」
「えっ、どっかいくの?」
「一応屋上へ行こうと思うんですけど、まぁ話自体はすぐに終わると思います」
屋上? 更に約束した事実なんて思い出せない。ていうかたぶん、絶対約束なんてしてない。アルスのやつ、なにを企んでいるんだ。
「ん〜、佐蔵も委員会でいないしなぁ。姉弟水入らずで話があるなら、気遣わせるの悪いし、あたしは先に帰ろうかな。宗ちゃんがいるなら葵も安心して預けられるしね」
「助かります、部長。気を遣わしてすいません」
「そんな、気にしなくて良いよ。てゆ〜か、あたしもう部長じゃないんですけどー」
「あっ、すいません。いつものクセで」
「まぁ次から気をつけてね。あんまりあたしの事を部長部長なんて呼んでたら新守さんいい想いしないと思うからさ」
「はい、気をつけます。それじゃ」
そう言って蒔絵は帰っていったた。どういうわけか蒔絵自身私に対してなんの質問もしないまま。
アルスはすでに踵を返し屋上へと足を向けていた。とりあえず屋上で問い詰めてみよう。
///
屋上は風もなく、人気もなく静かだった。
十二月という季節なのに寒さを感じない。朱に染まる屋上で、アルスは端まで歩いていきフェンスに手をかけた。
「面白いっスね、人間て。だれもオイラのことに気付くことなんてないっスもん」
「・・・・・・何が言いたいの?」
暫く沈黙が続いた。時折吹き出す風がヒンヤリと頬をなぞる。
「さっきのはなに? 蒔絵にまであんな嘘ついて」
ましてや、この時間に屋上で話だなんて不自然だ。けれど、蒔絵は何の疑いもなくその話を聞き入れていた。
「さっきの姐さんには少し離れてもらうように暗示を遣わしてもらいました。あまり一般人には知られたらマズい話なんでね。あれに関してはオイラの言い忘れってやつッス」
アルスは今日一日の中で特に真剣な顔だった。
朝はとても軽いイメージだったため、すこし驚いた。
「・・・・・・それで、話ってなに?」
「この建物の中で強い気配を感じます。とても異質的で陰湿的で、強力なモノっス」
「異質で陰湿で、強力? それってジューダスの言っていた魔法使いのこと?」
「いや、魔法使いというより・・・・・・」
「―――『
突然、入口から声がした。
普段から人気のない場所に他に人が来るとは思えなかったからだろう、予想以上に驚いた。そして何よりも
「だれ!?」
「あら、『だれ』とは酷いですね。ねぇ、
屋上の入り口を開けて入ってきたのは二年生の新守渚だった。黒く、長い髪が静かに吹き出した風に靡き、白い肌の綺麗な輪郭が浮かぶ。
「新守・・・・・・さん。どうしたの? 今は部活中じゃ・・・・・・」
「ふふん。そんなこと、どうでもいいじゃないですか」
「・・・・・・どういう、こと?」
この子の言葉には以前から一言一言におかしな雰囲気を感じていた。言葉自体に指向性が強いというのか、彼女が言う言葉はどこか心に突き刺すような迫力がある。今回は特に
「宗次郎君、そんな格好をして他の人をごまかす事はできるかもしれないけど、
「『ボク』? なっ、まさか―――!?」
「宗次郎君の格好をしている子は気付いているようですけど、
新守渚は唯々笑っている。その笑顔は風も吹いていないのに寒気を感じさせ、気分が悪くなる。負の感情がむき出しになっているような、そんな笑顔。
―――確か、どこかで・・・・・・。
「マスター、無理に動こうとしないで」
アレスの一言はとても重く響いた。
「どういうこと・・・・・・」
「どういうつもりだ―――
「え・・・・・・?」
あの時から決して崩れる事のない『負』の笑顔。
漆黒に広がるその黒髪がそのままのイメージで新守渚の上に上書きされた。
あの笑顔は、あの
「そんな、なんで・・・・・・」
目の前に立ちはだかる悪魔に恐怖を感じた。
足が竦み、後ろに下がろうとした。その刹那、
「ぐっ、痛っ―――!!」
「マスター!? ちっ、
「へぇ。ジューダスは眠り姫に良い使い魔をつけたようだね。一瞬でボクの魔眼に気付くなんてさ」
首から下を動かそうとすれば全身に痛みが走った。
まるで何十年も動かさなかった機械の身体を動かそうとしたみたいに、歪な骨の軋みを感じる。
「でもそんなに早く使い魔だなんてバレる様じゃダメダメだね。魔術とは最大の武器であると同時に最大な弱点にも為りえる諸刃の刃だよ。秘匿こそが正義。その人の魔術特性がわかれば、誰でもそれなりの対処法を考えるよ。今回はあんまり動かれると困るから、ちょっと金縛りを使わしてもらったよ」
新守渚の姿をしたロキ=スレイプニールはあの笑顔を崩す事なく話している。
その余裕な表情はすでにこちらの『命』の主導権を握っている、下手に動けば今すぐにでも殺す事が出来る、そう云わんばかりだった。
「なぜこんなところに貴様なような者がいる? その姿は・・・・・・?」
アルスは今までとは違う口調で、怒りを言葉に乗せていた。ジューダスのように全身から周りを突き刺すような殺気を感じる。
「眠り姫に話があったからここに来たにすぎない。この姿はボクのただの好みだよ。どう、似合ってる?」
ロキは静かに左眼を閉じた。あの左眼は少女の容姿をしているときは大きな眼帯をしていた所だ。
「あなたのその
私の勘がそう忠告する。あれは彼女の、人間のものではない、と。
「そうさ、これがボクの
―――魔眼。彼女は、自らの左眼を指差し笑った。
簡単に自分の魔術を教えるのは自殺行為なはずだ。秘匿こそが正義だと、魔術とはその者の最大の武器であると同時に最大の弱点でもあると、彼女自身でそう言った。
なら、それを今ここで暴露すれば、それだけで命取りにも為りうる。
「ならないね。今だって既にキミたちの生殺与奪はボクの眼のなかだ。今ここでボクの魔術特性を知ったからといって、キミたちにボクを迎撃できる力があるとは思えないよ」
「くっ、痛―――!!」
一瞬でも身体を動かそうとすればそれだけ分全身に痛みが走った。
これが彼女の云っていた"金縛り"。全身に気持ち悪い痛みが走り、動けなくなる文字通りの能力だ。
―――ふざけている。私はすでにあの時の恐怖を忘れていた。
彼女はあのジューダスを退けている。それだけの力があるなら、私のような自身をろくに守ることの出来ない者に対抗する手立てはない。
彼女はすでにソレに気づいているのだ。
「―――貴様、神性の高い魔眼で余裕を見せているな・・・・・・」
―――トーンの低い声とともにアルスの雰囲気が大きく変わった。あの軽い雰囲気だった精霊が殺伐とした悪鬼へと変貌するかの様に。
「魔眼の特性を知っているのは貴様だけではない!!」
そう言うと、フェンスの傍にいた『宗次郎』の姿はなく、瞬く間に私の傍らを一匹の獣が駆け出した。
―――デリンジャー・アルス。それは倉山夏喜が使用した護身用の魔術礼装。超越種の
彼ら『牙』の種族の特徴は自身の能力を驚異的に拡張する事によって正当な上級魔術師よりも強力で神性のある魔術を構築できる事である。
彼、アルスの能力は『弾貫』。すなわち "撃ち貫く"事に特化している。
その身を"弾丸"として物理的、魔術的を左右されず撃ち抜くことができ、そのことから彼の太陽神が用いた魔弾"タスラム"の称号を持つ上等魔術である。
「―――その
刹那にアルスは彼女の前へと間合いをつめていた。そして―――
「―――さすがは純子。だけど、まだまだ甘いよ」
そう聞こえた少女の声。その後に続くのは、
「ぐっ、ぐわぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ―――――――!!」
アルスの苦痛に歪んだ悲鳴だった。
目前に広がったのは頭を垂らして苦しむ獣の姿。そしてそれを見下ろす
「アルス!! ぐっ!!」
「マ・・・・・・スター、その場に、いて・・・・・・」
アルスは先ほどとは比べものにならないほどの金縛りにあっているようだ。彼女の蒼い左眼が再び見開かれている。
「この子は魔眼に対する耐性あるようだからね、魔眼の延開をしておかないとまた反撃されそうだ」
彼女の左眼は大きく見開かれ、アルスの頭を見下ろしている。
アルスと彼女の目は先ほどから合わされていないはずだ。ファンタジー小説などにも出るが、魔眼とは目が合わなければ魔術として発現されない、それこそが魔眼の弱点のはずだ。
それなのに、彼女はアルスと目を合わせることなく魔眼の能力を展開している。
「―――"
アルスは苦しながらも彼女の魔術を分析をしている。すでに彼女の手の内に落ちているのに決して諦めていない。
「へぇ、そんな事まで知っているんだ。賢いねキミ。―――あれ? ・・・・・・そういえばキミってどっかで見たことあるなぁ」
突然、彼女はそう呟き、頭を垂れて苦しむアルスの顔を覗き込むように眺めた。アルスの中を覗き込むように、何度も、何度も覗き込んだ。
「―――やっぱり。その魔力性質、以前ナツキが持っていた援製礼式と同じだ」
そのとき、―――彼女の口元は歪に、初めて醜く歪んだ。
醜く歪んだ顔を緩め、冬の風が静かに吹く屋上で暫く沈黙が木霊した。
「見つけたッ!」
怒声と共に屋上のドアが勢い良く開かれた。
そこに立っていたのは、息を切らした
「ハァハァ・・・・・・。あなた、一体どういうつもり・・・・・・?」
全速力で走り抜けた後のように息を切らし、明らかに不機嫌な、そして敵意をむき出しにした本物の新守渚は偽物の新守渚へと詰め寄る。
「新守さん! 近づいちゃだめ!」
「ふふん。まさかこんなに早くバレるなんてね」
「ふざけるんじゃないわよ!」
声を荒らげて近寄る新守渚を尻目に、ロキ=スレイプニールは屋上の金網の方へと走りだし、
「―――『
新守の怒号が響く中、ロキは金網を飛び越えて屋上から脱出した。
「ちっ、なめやがって!」
そういって、新守渚は踵を返し、走って屋上を後にした。
新守渚の足音が聞こえなくなった頃には、私とアルスに掛けられた金縛りが解かれていた。
「これって、―――私たち、助かったの・・・・・・?」
身体を動かそうとしたら意識系統の命令通り動かすことができた。全身に痛みは無く、何事も無かったかのように身体に血液の脈動は繰り返される。
「なんとか、ですかね・・・・・・」
アルスはすでに獣姿から『宗次郎』へ戻っていた。
それでも今まで掛けられていた魔眼の影響からか、まだ全身にいやな痛みが付き纏っているような苦い表情をしている。
「アルス、大丈夫?」
「えぇ、なんとかって感じっス。ヤツめ、とんでもない力を持っていやすね」
「そう、なの?」
「恐らくあれは"
アルスは入り口の壁まで歩いていき、静かに腰を下ろした。強力な金縛りからの回復は見られない。
私に心配させないようになのか、苦い表情を何とか隠そうとしているが明らかに痛みは消え切っていなかった。
「アルス・・・・・・」
「マスター、心配し過ぎっスよ。オイラこれでも“精霊”っスよ、あれぐらいならどうにもなりませんから心配は不要っス」
明らかな強がり。だがアルスからすればそうする事が私にとっての救いであるかのようだ。
「そう、・・・・・・わかった。でも無理しないでね。あなたは今、『宗次郎』なんだから」
「そっすね。彼女はオイラのことに気付いたみたいっス。今後の対策、また考えなきゃっすね」
アルスの体調もよくなりだしたころには、空気の冷たさを感じた。
夕暮れが濃くなり、次第に日が落ちようとしている。あれからすでに30分近く過ぎていた。場の緊張から時間の流れがすごく速く感じた。
「そろそろ暗くなりやす。マスターは、先に帰るっす」
「えっ、でもまだ・・・・・・」
そう、彼女がいる。
この学校にまだ彼女がいるはずだ。本物の新守渚が彼女の後を追いかけたようだが、このままだと新守渚の身が危ない。
それに、そんな中、私一人になれば恰好な的になる。
「いえ、それは大丈夫っス。ヤツが屋上から飛び降りてから、学校全体に漂っていた気配はなくなりました。すでにこの敷地内にはいないと思いやす。あの女史のことはオイラに任せてください」
アルスはそう云って立ち上がった。
「・・・・・・わかった、アルスがそう言うなら、任せるね」
そうして、私とアルスは踵を返し屋上を後にした。
_go to "wind road".
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