初音の過去
「優斗くん……ホントはもっと激しく求めあいたいの……」
あたしの名前は赤池初音。あたしの人生のすべては優斗くんだった。
あたしの物心がついたとき、すぐそばに理想の王子様がいた。名前は優斗くん、ひとつ上の同じマンションに住む男の子。親同士が仲がよかったおかげで優斗くんと会う回数は多かった。今思えばちいさい男の子にしてはやさしくてしっかりした子だったと思う。
優斗くんはあたしだけにやさしくしてくれる理想の王子様、でもそんなことはなかった。幼稚園に入った、1つ下のあたしは別のクラス、優斗くんはそこで別の女の子にやさしくしていた。それを見たあたしは独占欲から怒り狂った。だけど所詮それは子どもの癇癪、現実はなにも変わらなかった。
あたしは幼稚園では優斗くんに付きまとった。幼稚なことに幼いあたしは優斗くんのそばにいるのが当然と思っていた。当たり前だけど優斗くんは怒った。
『ぼくのくみにケンカしにこないでよ!』
優斗くんをめぐって、あたしと他の女の子たちはしょっちゅうケンカをした。当然、自分の組を抜け出したあたしは何度も先生に注意されていた。誰が悪いのかは明らかだ。怒ったところを見たことがない王子様の声はあたしの頭に何度も響いた。ショックだった。その声があたしに向けられたことを受け入れられなくて、その場にへたり込み、えんえんと泣き続けた。
次の日になってもあたしはそのショックから立ち直れずにいた。その日あたしは幼稚園を休んだ。見るからに元気のないあたしを、お母さんはとても心配したらしい。見かねたお母さんはある人を連れてきた、優斗くんだ。あたしはあの声を思い出し、優斗くんの顔を見るなり布団に隠れてしまった。でも優斗くんはやっぱり王子様だった。優斗くんはやさしく何度も言った。泣かないで、みんなと仲良くしてとと。布団から顔を出したあたしは涙をこぼしながら笑った。優斗くんはあたしに微笑み、手を握って約束だよと言ってくれた。それからあたしは優斗くんと心晴ちゃん以外の友達を作れるようになった。
小学生に上がりあたしはより一層、彼を意識した。反省を活かして優斗くんを独占しようなどとは思わなかったけど、それでもあたしは優斗くんの後ろをついて回るのはやめなかった。月日が経ち、あたし達は成長した。いつからだろうか、優斗くんにも変化が生れた。あたしに限らず他の女の子の態度が変わったのだ。それまでの優斗くんは子どもらしさが残りつつ、誰にでもやさしく真摯に接していた。でも優斗くんはまるで大人のようになっていた。どこか冷めたような目で、口調はいままでどおり優しいけど諭されることが増えた。それが2度目のショックだ。
彼の前ではしおらしくするしかなかった、そうじゃないときっと失望されたから。あたしに大きな不安が生まれた。あたしと優斗くんは結婚する、そんな子どもの考える未来にヒビが入った。
更に時が流れた。相変わらず心晴ちゃんが妹のように可愛がってくれるから彼の家にはよく遊びにきていた。優斗くんが中学生になる前、学ラン姿を見せてもらった。その時あたしの恋心は再び燃え上がった。学ラン姿の優斗くんはとても凛々しく、大人びて見えた。しかし気持ちが大きいからこそ、その気持ちを伝えれずにいた。
中学生の彼を見るたびに遠くへ行ってしまったような気がした。だけど恋の苦しさよりももっと過酷なことが起きた。小学生だったあたしはよくテニス部に入った彼をこっそりと覗きにきていた。愛する彼の素敵な姿を見たい、そんなあたしの目には信じたくないものが写っていた。それは優斗くんの見たことのない表情。あたしが向けられたことのない瞳、その先には1人の女子がいた。嫉妬で狂いそうになりながらそれが間違いでないか見つめた。いくら見つめてもそれを否定できなかった、あたしは耐えきれなくなり涙を流しながら逃げ帰った。
嫉妬、人生で初めて人を本気で殺そうと考えた。悔しくて、憎くて、妬ましくて、裏切られたと思った。ドロドロとしたものが胸にうずまき、何度も吐き、涙をこぼした。愚かなことを思ったあたしでも、なんとか早まった真似はしなかった。考えた末、心晴ちゃんに相談することにした。そこには下心があった。あの女なんてやめておけ、初音ちゃんと付き合えと優斗くんに言ってくれるかもと。しかし中学2年生の彼女は意外な言葉を口にする。
『なるほどね、話はわかったわ。でもね、私はなにもできないの』
『えっ?』
心晴ちゃんはあたしが感情的に話しているのを察して先に釘を刺した。期待していただけにあたしはその言葉が理解できなかった。心晴ちゃんは言葉を続ける。
『優斗が恋をした、それは姉としてとても喜ばしいことだわ。その相手が初音ちゃんならもっと嬉しいけどあたしにはその恋の邪魔はできない。あなたも他人にあなたの恋の邪魔をされたら怒るでしょ?』
『で、でも……』
『気持ちは分かるわ。でもね、初音ちゃんが振り向かせないといけないの。素敵で綺麗な女性、そんな人になって優斗を振り向かせなさい』
『うん』
『いい子ね。私はそんな初音ちゃんの手伝いなら喜んでするわ』
『ありがとう』
幸いなことに優斗くんは中学の間は女の子と付き合うことはなかった。
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