エピソード6:まんじゅうは戻らない
「ユリーナちゃん……」
「お、おばさま。ご無沙汰しております……。レ、レッド!? いまちょっと離れて?」
見知らぬ男と知り合いの娘さんが自分の家のソファーでイチャイチャしてたら、それはそれはさぞかし衝撃的だろう。
俺はここになにしに来たんだっけ?
そうだ。
挨拶に来たんだ。
メラクルの夫として。
字面からして詰んでないか?
やってしまったことは戻らない。
食べてしまったまんじゅうも戻らない。
これはそういう話だ。
動揺して見せた貴婦人……メラクル母はユリーナが身体を起こしたところで、ソファーに座るユリーナに歩み寄ってきた後、そばに座りその手を取った。
「……大変だったわね。聞いたわ、お国のこと。お父様のこと」
「おばさま……」
メラクル母が持っていた買い物袋がどさっと倒れ、そこから玉ねぎが転がり出る。
買い物に出てたんだな。
俺は何も言わずにその玉ねぎを袋に戻す。
それを見て寝転んだままの状態のメラクルが母親に代わり礼を言ってくる。
「ありがと〜」
動く気配なし。
それを見てコーデリアがあわわと慌てる。
「そのあとハバネロ公爵様のところに嫁入りすることになったと聞いて心配してたの。噂通りに酷い目にあわされていない? 酷い目にあわされているんだったら、おばさんがメッと叱りに行ってあげるからね」
メラクル母はユリーナの手を取り、まるで1枚の絵画のように慈愛の女神のオーラを放ち、ユリーナにそう言った。
本気でユリーナを心配してくれているのが伝わってくるんだが、噂通りに酷い目ってどんな目だよ。
「ええ、大丈夫ですよ、おばさま。レッド、こちらの方が──」
「待って、ユリーナちゃん。みなまで言わなくてもわかっているわ。その方が真実の愛の相手なのよね? だけど……ああ、だけど……不倫は……」
ユリーナが俺にメラクル母を紹介しようとしたところで、メラクル母がその言葉を遮る。
そして
んっ? 不倫?
俺はユリーナと顔を見合わせる。
メラクル母は今度はソファーに寝転ぶメラクルに目を向け言った。
「メラクル。今日、帰って来たのはこういうことだったのね……。 2人の愛の前に貴女も心を撃たれたのでしょ。だけど、それは……ああ!」
両手で頭を抱えて苦悩するメラクル母。
その言葉にメラクルは母親にグッと親指を立てる。
いや、お前絶対、意味わかってねぇだろ。
メラクルの隣でコーデリアがあわわと慌てている。
つまりユリーナがこっそりと不倫相手と愛を育むために、隠れて会える場所としてメラクルの実家を選んだと。
そんなわけあるかい!
俺は一つため息を吐き、静かに立ち上がる。
「あら?」
不思議そうにメラクル母が俺を見る。
上から見下ろすメラクル母のキョトンとした顔はメラクルによく似て綺麗だ。
中身もよく似てるのもわかった……。
「お初にお目にかかる。私はレッド・ハバネロ。王国公爵であります。急ではございますが本日は妻共々、母上殿にご挨拶させていただきにまいりました。なにぶん忙しい身、ご挨拶が遅れ今になりましたことをなにとぞご容赦のほどを」
そう告げて俺はメラクル母に丁寧に頭を下げた。
ちなみに王国の貴族社会では高位の者からは名乗らない。
まず高位者が相手に名を尋ね、相手が名乗った後に高位者が名乗り返す。
紹介される場合も同様に、高位者に対して紹介するのが礼儀なので、それに則り、先ほどユリーナは俺にメラクル母を紹介しようとしたのだ。
そのあたりの作法は国によって違う。
帝国や大公国でも違っており、他国と交流する貴族はその作法を覚えるのが必須だった。
もちろん一般庶民がそんな作法など知るわけないし、郷に入れば郷に従えともいう。
なにより嫁の母だからなぁ。
そんな俺を見て、メラクルが驚きの表情を浮かべる。
「あんた、そんな口調もできたのね……」
「できるに決まってんだろ、ポンコツ」
「酷い!」
おっと、メラクル母の前にでいつものポンコツ呼ばわりはいけなかったな。
振り返るとメラクル母は目をぱちぱちとさせて、俺の名乗りを確認するように呟く。
「レッド・ハバネロ……公爵様?」
メラクル母の反応にユリーナが苦笑しながら肯定する。
「ええ、おばさま。私の旦那です。レッド、こちらがセリーヌ・バルリット騎士爵婦人でメラクルのお母様です」
ようやく俺はメラクル母がセリーヌという名であることを知った。
挨拶だけでここまで来た、ようやく目的を達したのだ。
食べたまんじゅうは戻らない。
俺のこの時間も無駄だったとは思わず、新たな糧になるようにしなければならない。
そう、食べた肉まんはまた買えば良い。
……疲れているな、俺。
いや、挨拶だけでこんなに疲れるとかおかしくないか!?
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