第268話ただそれだけの真実

 夢はまだ続きを見せる。


 青髪の男はコウキという。

 これはこの2人が最期の決断を迫られたとき。


 だが、アークマシーン封印の手順がかつて女神に見せられた、あのゲーム設定の記憶のラストのように男が生贄となる女に剣を突き立てねばならないのではないか?


 そんなことができるのか?


 俺ならユリーナをそうしろと言われたところで、世界が滅びようとも絶対に手にかけたりはしない。


 その答えはすぐに出た。


 不意をついてユイはコウキの口に口を重ねたのだ。


 ……なんだ、ただのイチャイチャの続きか。

 そう思ったが、様子が少し違う。


 絡み合う舌を通して、なにかの液体がコウキの口に流し込まれる。

「むぐっつ!?」


 愛するがゆえに突き飛ばせない。

 それがなにであっても、コウキは飲み込むことしかできなかった。


 ユイが口を離し、互いの身体が離れる。

「……なに、を」

 問う前にコウキの身体が痺れ始める。


「……痺れ薬。

 大丈夫、強烈だけど身体に後遺症とかないから。

 こうしないと……邪魔するでしょ?

 世界よりコウキは選ぶとなったら私を選んじゃうからね!」


 天真爛漫さを含んだ無理した笑顔でユイはコウキに笑いかける。


 コウキの苦み走った顔がユイのともすれば自意識過剰とも取れる言葉が事実であることを示していた。


 唇が触れそうなほどユイは顔を寄せて彼女は小さく呟く。

「……黙っててごめんね」


 呟いて、ユイはそのままコウキの唇を奪う。

 あますところなく味わうようにしながら。


 きっとコウキは知らなかったのだろう。

 邪神化の起動方法がプライアの剣で女神の因子を持つ者を刺し、生贄にすることだということを。


 コウキにユイを刺し殺すことなどできないだろう。

 俺がユリーナをその手にかけることなどできないように。


 荒い吐息と共に口を離してから、ユイは寂しそうにフッと笑う。


 プライアの剣をコウキの腰元から抜き、彼の手を添えさせて自らの腹部に切先を……。


「……こら、抵抗しないの」

 添えたコウキの手が震えながら、その動きを止めさせる。

 コウキの顔には苦悶の表情がある。


「痺れ薬に抵抗するなんて、ひどい激痛が走ってるはずなのに。

 無茶して……」


 そうしてコウキの抵抗で動かなくなったプライアの剣にコウキに全身で抱きつき、その剣を自らに刺し込んだ。


「痛ぃなぁ……。

 ナノマシンを身体に埋め込んだ適合者が……愛するほどの想いを抱いた相手から刺されないと発動しないジャマー装置って……、とんでもない呪いの装置、だよね……」


 ユイは荒い息を吐きながら、コウキの首筋を舌でぺろりと舐めて口を這わす。

 さらに言葉を吐こうとして顔を歪ませたコウキの頬を愛しげに触れる。


 流れゆくどす黒い血とユイの命。


 それがもうどうしようもない傷であることを示している。

 コウキの身体は痺れ薬への抵抗か、それとも訪れる未来への恐怖からか、震え続ける。


「……私がジャマーマシーンとして、アークマシーンを封印できたとしてもいつかは封印が解ける。

 もう世界は詰んでいるのだから。

 ……それでも、私はコウキたちには生きていてほしい」


 吐き気をもよおすほどの絶望。


 それがもうじき訪れる。

 救われた世界に愛する人はもういない。


「だから、ね」

 ユイはコウキの頬を両手で包み込むようにして顔をあげさせる。

 彼女は笑顔だった。


「笑って?

 一緒に生きてこられたことが幸せだったと。

 どんな最期でも最後は頑張ったぁ、と笑ってそう思えるように。

 私はそう思って生きてきた」


 コウキはこぼれる涙を抑えることはできずに、それでもユイの求めるままに……笑顔を作って見せた。


 ユイはクスクスと笑い、柔らかく目を細めながらコウキの涙を優しく指でそっとぬぐう。


 その笑みを受けて、搾り出すようにコウキも言葉を口にする。


「……いつも、ユイの方が先に泣いてたから、な」

「あー、そうだったかなぁ。

 そしたら、いつもミラがコウキに怒り出して、なんで泣かしてるんだーって」


「……あいつは理不尽なんだよ。

 なんだろうな、髪の色と同じで気性が荒いんだよなぁ」

「それってコウキにだけじゃない?

 私にはいつも優しいもの。

 美人で優しくてノリが良くて……最高の親友」

「親友には甘いからなぁ、あいつ」


 ここにはいない2人にとっても大事な誰かの話。


「3人で夜通しゲームをいっぱいしたね」

「……ユイはそのゲーム好きを極めてゲーム研究者にまでなったからな」

「まさか現存しているゲームが私が作ったものだけになるとは、ね」


 魔神はアークマシーン以外のゲーム起動装置を積極的に破壊した。

 その結果、世界ではゲームに付随したアニメや映像は黙示録として秘されることとなった。


 表立てば真っ先に狙われるがゆえ。


 それはアークマシーンが自らの類似品が生まれることを許さなかったためか、それともそこに何かがあったのか。


「あのゲームね……、そんな大したものじゃなくて。

 実は花占いと一緒なの」

「花占い?」

「そ、花占い。

 未来の可能性をアニメで見させてくれる、それだけのゲーム。

 ほんの少しだけ私たちの未来の可能性を見たくて……」


「力を込めた魔導力が血をめぐり、魔導力の中心でもある心臓に至る。

 だから心で願う祈りが力を発動させる」


 トンっと自らの胸を手で触れる。

 そのタイミングでユイは咳き込み吐血する。

「わかったから、もう無理して話すな!」


 コウキはユイから失われていく体温を逃さないようにわずかに動いた手を背に伸ばして、ユイを抱きしめるように。


 視点が合わなくなってきている。

 コウキは心の底が凍えそうになる。


「……やめてくれ。

 いくな、ユイ!」


「もしも……転生して、また3人で再会できたら、さ。

 今度こそ……」

「そんなこと言うな!」


 そこでユイは一度だけ目を閉じる。


「ああ、そうだ……。

 ゲームの話、ね……?

 ほんの少しだけ、未来をのぞけるゲーム。

 それを見た人が望む未来を……、少しだけ、手助けできる……。

 私も……見た、よ?


 あなた、との……、未来……。

 あなたが……私を助けるために、無茶して……無理矢理ゲームを起動して記憶を飛ばしたり、死にかけたり……。

 でもミラのおかげでどうにか助かって……また私を助けにきてくれて……。

 いつか……私のお腹にはコウキの子供がいて、ミラもいて……女神になってしまった私を迎えにきてくれて……そうして私の役目がようやく終わって……」


 意識が朦朧もうろうとしているのだろう。

 ユイの話の辻褄が合わなくなっている。


 それとも俺の夢だから、なのか。

 それともコウキの絶望が俺に移ったのか。

 ぐるぐると景色が暗転する。


 抱き締めるユイの身体が体温を失っている。

 何度も感じた絶望感……。


 あの記憶と共にやってくる絶望感はこれだったのだ。


「コウキ。

 心から願ってくれる?

 また再会できるって。

 未来でいつか再会して……、また3人で……。

 幸せを祈る、名前の通り。

 幸せになって……」


「なれねえよ!

 おまえが……ユイがいないと俺は幸せになんか!」

「それでも祈ってよ……。

 心から願うことだけが奇跡を起こせるから……」


「ミラにもごめん、って……帰るって嘘ついちゃったから……」

「自分で伝えろよ!

 あいつ、怒るとムキーと怒って面倒なんだぞ?

 なぁ、ユイ!」


 それに返すユイの言葉は次第に小さく聞き取れないほどになっていく。


 ついには言葉にならずに……ごめん、と。

 ユイの両目から涙がこぼれる。

 それでも最期に彼女は笑顔で……。

「愛してる……」


 彼女を刺したプライアの剣から光が溢れる。

 そして……。






 燃えるような赤い髪の女……ミラは、どうしてと叫びながら、コウキの胸を叩いた。


 どうすることできないことは百も承知だった。

 そうしなければ数日ももたずにきっと自分たちも死んでいたのだから。


 ボロボロに傷つき包帯だらけの身体で、ミラは半狂乱になり誰よりも無力だった自分を責めた。


 コウキはそれをただ抱き締めてあげることしかできなかった。

 行き場のない、吐き気をもよおすほどの絶望を感じながら。


 やがて疲労と衰弱で眠ったミラが目覚めたとき、コウキはこう言った。


「俺は名前変えるよ」

「へっ?」

「俺はユリがいてこそ幸せだった。

 そのユリがいなくなって、俺の幸せから大切な一つが抜けた。

 だから俺は辛い……そうだな、激辛のハバネロとでも呼んでくれ。

 そう、我が名はハバネロだ」


 その改名が王国設立の始まりの宣言と同意だと今に伝えられている。

 残った仲間たちと共に王国の祖となったのだと。


 それを聞いてミラは……。


 腹を抱えて笑う。

 あまつさえ遠慮もなく地面を転げ回ってまでの大爆笑。


「だったら、私はミラクルとでも改名するわ!」


 そしてコウキ……、初代ハバネロがドン引きするほど目に涙を浮かべて笑ったあと、ミラはスッキリした顔で言った。


「……ねえ、コウキ。

 私、あんたとユイの子供を産むわ」

「えっ?」

「ユイの遺伝子が保管されている。

 それをあんたの遺伝子と合わせて、私のお腹で育てる」


 ミラはそっと自らのお腹に手をやる。

 そして眩しい太陽に顔を向ける一輪の花のような笑顔を浮かべ、空を見上げて宣言する。


「そんでユイにこう言ってやるんだ。

 あんたの子は私が育てた!

 あんたたちの子供は元気だよって!

 ……そして、あの娘を迎えに行くんだ。

 だから、行くよハバネロ!」


 コウキもミラが見上げる空を一緒に見上げる。

「ああ、そうだな」


 そこで夢は終わる。





 それが全ての始まりの物語。


 黙示録……ゲーム設定の記憶の中にさえ残されていない、世界の小さな小さな真実。


 今を生きる全ての人に、どうでもよく、ただ俺とユリーナと……とあるポンコツ娘には祈りにも似た大事な真実。


 これはただ、それだけ。

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