第269話かくして魔神は目覚める
いずれその日が訪れることがわかっていても、物事はいつも唐突だ。
その日、人によっては穏やかな日々を紡いでいた世界は終わりを迎える。
全ての破壊の使者はいまを必死に生きる人々に少なくない衝撃をもたらした。
なによりその始まりは、たった1人の迷惑な愚か者から始まった。
「こ、こんな……わしを認めぬ世界など!
滅びてしまえば良いのだァァアアアアア!!!」
前王ウェルロイヤ・グラーシュは幽閉先の屋敷の中でそう叫び回ったという。
こんな言葉がある。
たった1人のバカは1000人の賢者に勝る、と。
どれほど沢山の人々がいまを乗り越えようと必死に頑張っていたとしても、そのあらゆる知恵を乗り越えて積み立てたものを破壊してしまうのだ。
かつての悪魔神の暴走もそうやって始まった。
閉ざされた密室で干からびたミイラのようになった前王の姿が見つかった。
監視の者が目を離していたのは数時間もなかったはずなのに、なぜか。
部屋の中は怪しげな祭壇があり、なにかの血に塗れ、その血は魔導力の反応があった。
そこでなんらかの儀式が行われたのは間違いない。
それがきっかけとなったのだろう。
この日を皮切りに世界は崩壊へと進むことになる。
悪魔神が復活し魔神が世界に溢れたのだ。
邪教集団の儀式の巻き添えになったとか、悪魔神と身の毛もよだつ契約を結んでいたとか。
いずれの真実も明かされることなく、ただ静かに前王と共に闇に葬られることとなった。
なお、ミイラとなった前王のその目は赤く、
夢の中で彼女が小さく、小さく呟く。
せめて来世で……、と。
世界は急速に暗転していく。
その祈りがどうしようもなく、俺の胸を締め付けながら。
場面は変わり、目の前には触手の巨大な化物。
同時に先程とは一転した言葉にならない恐怖が胸の内に広がり戸惑う。
おぞましいそのナニカは告げる。
「転生シ、新シイ……楽シク、最強シ、アワセ……来世」
言葉は途切れ、途切れ。
魔神はそれを受け入れ、その終わりを受け入れてのち転生する存在。
どうしてだろう。
どうして人はこんなものを受け入れてしまったのだろう。
こんなにも
なにかを成すのではなく、自らの欲望のみで破壊しか生まず。
それが幾万の刻を祈りを踏みにじり残された傷となり、人の心に刻まれることになるのに。
あまりの辛さに涙して、這いずり回って、結局のところ努力以外のなにものも取れる手段がない。
自分『だけ』を救ってくれる女神が空から湧いてくることもない。
たしかに人生ってのはそんなもんだ。
だけど。
そんな詰んでしまった人生でも、だ。
泣いて笑って……愛し合って精一杯もがく。
それが生きることだ。
誰かに理解してもらえるとは言わないが、そうやって努力の結果で生きてると……存分、人生ってやつも、まあ悪くないと思えるもんだ。
幸せな時間を護りたければ努力しなければならない。
そんな当たり前のことから人は目を逸らす。
幸せなときを想い出すだけではなく、大切だからそれを護ろうと足掻かなければならない。
いつまでも辛いままでいるな。
妄想だけで幸せへのただ一つの道筋を得られることはない
辛くとも不器用でもその1つを胸にひめ歩いたものが幸せを得る。
そういう、当たり前の話。
そしてまた暗転。
次の景色はなにもない廃墟となった世界。
その中で、青髪の男が血塗られたプライアの剣を片手に1人呆然と立ち尽くす。
そのそばにはあの黒髪の女性の姿はない。
青髪の男と自分が重なる。
絶望すら、なまやさしいと感じるほどの喪失感。
努力の結果、得られたことが絶望だけだと。
それならいっそ……。
そうして人は現実に希望を失う。
世界はやっぱり詰んでいる。
それでも。
「それでも夢や来世にしか希望を見出せないとか……悲しすぎんだろ」
それでも。
もしも転生というものがあるならば、それは優しさに包まれたものであってほしいと……そう思う。
そして……暗転。
たくさんの夢を見た気がする。
昇華しきれないほどの夢から目覚めてから数時間後。
執務室でペンを動かしていたところに報告の兵が慌てた様子で走ってきた。
「た、大変です!
魔神が現れ、教導国が……壊滅したそうです」
それは他ならぬ魔神、しいては悪魔神が復活したことの知らせ。
くるべきときがずいぶん早く訪れたのだ。
俺はただ
「そうか。
……わかった」
主だったメンバーを集めるように指示すると、その兵は俺の指示を受けてまた駆け出した。
同じ執務室にいたユリーナが俺の様子をうかがっている中。
俺は立ち上がり……壁をぶん殴る。
全力で殴ったせいで壁が壊れ、護衛の待機部屋にしている部屋と繋がる。
突然のことで、崩れた壁の向こうでその部屋に待機していたメラクルとコーデリアがビスケットを咥えて、並んで両手を挙げて飛び上がった。
後で怒られるやつだが、いまは気にしてられない。
「レッド……」
「ヒョッ、ハバネロ!?」
……早すぎる。
夢の中の悪魔神を見たときから感じていた。
まだ悪魔神の討伐の方法どころか、悪魔神がどこにいるかすら見つかっていないのだ。
少しでも時間が必要な中、世界中で魔神が暴れ出す。
その絶望から少しでも逃れたくて、ユリーナを生け贄に捧げ時間を作ろうとする輩も出てくる。
ゲーム設定の中のハバネロ公爵は正しかった。
装置を破壊して、ユリーナが生け贄になる可能性を止めていなければ、恐怖にかられた人は救世のための英雄の命すらも捧げていただろう。
どれほどの絶望を産もうとも人は自らを正当化さえできるなら、どこまでも残酷になれるのだから。
俺がそうであったように。
終わりに向かっている、そんな焦燥感と絶望感。
この先に未来などないのだと。
その先には大切な者を失う未来だけだと。
あの廃墟となった世界に1人佇む青髪の男と同様に……。
魂を賭けて願ったモノを失って。
ユリーナが俺の拳を包み込む。
メラクルが俺の壊した壁から部屋に入って来て、俺の周りを踊るようにワタワタと回る。
動揺しているようだ。
その2人を抱き寄せる。
「えっ? えっ!?」
「ひょっ!? ひょひょひょ!?」
構わず2人の唇を交互に奪う。
唇を離すと示し合わせたようにバシバシと俺を叩き、無言の抗議。
……覆してやるよ。
ならばどうするかだ。
大切な者を救いたいなら、それを考え続けるしかない。
迫り来る終わりの予感が幾度となく俺の胸を去来しようとも。
そう心に決める中、2人はバシバシと俺を殴り続けている。
「イテェよ!」
叩かれ続けてメラクルのおでこに手刀を喰らわしながら言い放ち、ユリーナには再度、その唇を激しく奪う。
「むぐーっ!?」
……しばらくして。
ユリーナが耳まで真っ赤な顔でぐったりしたところで口を離してやる。
「……な、なんでメラクルには手刀を落として、私にはキスしてくるの!?」
何故かユリーナがそう抗議してくる。
それを俺はキョトンとして、メラクルと顔を見合わせ同時に首を傾げる。
「そりゃあ、ユリーナにはキスするだろ?」
「姫様にはキスするしかないでしょ?」
「なんでそこは息が合うのよ!?」
俺とメラクルは再度、顔を見合わせる。
そして、また同時に首を傾げた。
「当然のことだから?」
改めてなぜと言われると自然の摂理?
ユリーナは赤い顔のままアウアウと悶えて……、結局、言葉をそれ以上出せずガクッと肩を落とした。
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