第236話旅立ち……の前

 旅立ちの日……。


「おかえりをお待ちしてますから」


 俺は屋敷の部屋の中でユリーナを抱き締めひとときの別れを惜しむ。

 ユリーナのその言葉に俺は苦しくないように気を付けながら、彼女をさらに逃すまいと腕に力を込める。


「ああ……。

 よし! とりあえず今回は出発なしで!」


 俺が出発の延期を決めるとソファーに腰掛け、勝手に茶を飲んでいたメラクルが呆れながらツッコミを入れる。


「あんたそれ3日前に同じこと言ったわよ?

 もういいから行くわよ」

「後生だ!

 あと1日、いや、あと3日だけ!!」

「言い直しながら増やすな!!」


 そう言いながら俺たちはそもそも出発準備を済ませているわけではない。


 流石に全ての準備を終えてしまったら、旅立たないとかわがままを言うわけにはいかない。


 ただいずれは旅立たなければいけない。

 それがいつか、という話だ。


 少しでも早く動き出す必要はある。


 ここでやるべき最低限はやっておいた。

 旧公爵領と旧大公国公都の連携を強めるように手配しておいたので、少しは公爵領全体のこともスムーズにいくはずだ。


 放置していれば、いずれは旧公爵領と旧大公国との間で致命的な亀裂を生んでしまっていたことだろう。


 軍事面のことはアルク、公爵家のことはセバスチャン。


 この2人は問題はないが、公爵領の内政面の実質の長は内政三羽烏の1人カロン・セントルイス、こちらが問題だった。


 能力ではない。

 立場の問題だ。

 吸収した大公国との調整に不安な部分の方が多かったのだ。


 公爵領には実質、ユリーナとカロンという2人の内政トップがいたことになる。


 色々な調整は行ったが最終決断はユリーナに託し、カロンはそのサポートに徹しろ、ということを指示した。


 事実上、ユリーナとカロンの間に順位をつけたのだ。


 ユリーナには負担をかけるが、ユリーナの決断したこと全てにオールオーケーの俺としては他に選択肢はなかった。


 このことにカロンの反応はというと……。


 泣いて喜ばれた。


『やったぁあああああああああ!!!

 上司!!!

 ビバ、上司!!!

 さよなら、責任の重さで苦しむ日々!

 ユリーナ様サイコー!!!!』


 だがすぐに、カロンはこの人事がおかしいことに気づく。


『あれ? この人事って誰の指示です?

 アルクさんは軍事面、セバスチャンは貴族間のあれやこれや、ユリーナ様は元大公国の統治。

 私たちって横並びでしたし命令権がある人って……あぁぁあああああああ!!!!』


 そう、気付かれた。


 ユリーナ、アルク、セバスチャンに指示できる公爵家の人間って俺しかいないよね、という話。


『逃げるなぁぁああああ!

 逃げないでくださいよぉぉぉう!

 帰って来てください!

 いえ、帰って来なくてもいいです!!!

 そっちに決済文書全部ぜーーーんぶ送ります!!

 にげるなよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 何故、こんなに事細かに知っているかといえば、全部余すところなく伝えてくれとカロンが通信員を通じて伝えて来たからだ。


 その通信員もそのカロンの様子が想像がつくような、そのままの叫び方で伝えてきたのだ。


 とにかくカロンについては、その情熱と元気があったらまだまだ大丈夫だな。

 ユリーナをサポートしてくれたら好きにしていいから頑張れと伝えておいた。


 泣きながら執務室で書類と戦っているそうだ。

 サボったり不正をしようとしないから実に真面目なやつだ。


「お土産買って帰るから大人しく待ってろ」

 そう伝えるように告げた。


 それから通信を利用して1日もかからず返事が来た。


 可及的速かきゅうてきすみやかに返事をしたそうで、最優先事項として魔導力持ちの通信員から連絡が来た。


『大公国のアブラヤの肉まんをください、だそうですよー』


 それが文書で来たのなら、速やかに俺は破り捨てていたことだろう。

 残念ながら通信であった。


 いいや、それを仲介した通信員の言い方がどこかポンコツ臭漂う伝え方だったから余計にそう思ったに違いない、きっとそうだ。


「アブラヤ?」

 俺が首を傾げるとユリーナが教えてくれた。


「最近人気の肉まん屋さんですよ。

 ほら……メラクルもこの間、山盛りにしてコーデリアのところに行ったでしょ?

 ガイアも大好きでよく食べているわ」


 その言葉にメラクルは深く頷き、どこかの詩人のように朗々ろうろうと語りだす。


「職人アブラヤ・ソウベエによる熟練の技でふっくらと仕上げた皮とそれに包まれた肉汁あふれ具。

 そのコラボレーションはまさに奇跡の出会い。

 運命の深みと言われているわ。


 ちまたにあふれる似たような味しかしない肉まんとは一線をかくすと言っても過言ではないわ」


 運命の深みってなんだ?

 とにかく美味いってことでいいよな?

 それとあの肉まん、そんなに人気だったのか。


「でもメラクルは普通の肉まんも好きよねぇ」

「だって美味しいもの。

 その中でアブラヤの肉まんはもっと美味しいってだけよ」

「おまえ、ビスケット専門じゃなかったのか!?」


 今(頃)明かされる衝撃の真実!!!


「なに言ってんのよ、ビスケット主食にしたら太るじゃない!

 あれはオヤツだったり保存食だから丁度いいのよ。

 ドライフルーツとか入れて栄養があっても、それだけだとバランスもかたよるし」


 言っていることはもっともなんだが、釈然しゃくぜんとしない。

 そんな俺にユリーナが首を傾げる。


「メラクルの開発したフルーツビスケットは軍用食として正式採用したのってレッドですよね?

 メラクルはそれの開発のためにビスケットをよく食べてたって聞きましたけど?」


 なんと、メラクルがビスケットを食べていたのはひどく合理的理由だった。


 持ち歩いていたのも、緊急時に活動する際の携行食として俺の分まで確保してくれていたらしい。


「なんであんたが知らないのよ!」


 軍用食に丁度いいと思って正式採用したのは俺だったが、その開発にメラクルが真面目に取り組んでいたことまでは知らなかった。


 それに兵を動かす際に食糧などの手配は徹底させているし忘れることはないが、単独での行動時の食糧確保までは忘れていた。


 これでも腐っても公爵の俺は野外での単独行動なんてほとんどないもんな。

 冒険者をするならその感覚は持っておかないと死活問題だ。

 危ない、危ない。


「てっきり妖怪ビスケットお化けなんだとばかり……」

「そんなわけあるかァァァアアアア!!!」


 その後、特に関係ないが公爵領公爵府に肉まんアブラヤ2号店ができて、カロンが狂喜乱舞したとか。


 食事、大事。

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