第214話回想⑥ただ一緒に眠るだけ

 姫様……?

 唾液がどうしたの?


 私は恐る恐る姫様を覗き見る。

 幸いというか、隣に居る私以外に姫様の呟きは聞こえなかったようだ。


 深淵を見る時、深淵もまたナンチャラカンチャラのように姫様も私を見た。


 姫様は口元を押さえ、しまった、という顔で目を逸らした。

 その顔はほんのり赤かった。


 自分の口の中で何故かモニュモニュしてしまう。

 深くは追及しない。

 お互いのために。


 ……ただ一つ。

 あのエロ唐辛子、ヤリやがったな?


 そんな私たちをシーアはジッと見ていた。

 茶化したりすることなく静かに。


 慌てて私がシーアに顔を向けると、彼女はむしろ優しい笑みを浮かべた。


「繰り返しになりますが本来なら、生きていることが奇跡です。


 今後、小康状態を保つためにはできるだけ早く、私が眠っていたゲームの装置のある場所に移動させた方が良いでしょう

 ……それと公爵さんが目覚める可能性ですが」


 そう言ってシーアは静かに息を続けるハバネロに目を向ける。

 見た目にはなにも変化は見えない。

 ただ眠っているだけにしか……。


「本来、ゲームの設定は聖女の信頼を得て契りを結んだ者が発動出来ると言われています。

 それはいわゆる魔導力のパスを作ること。


 パスを作れるならば、公爵さんの身体の中で暴れ回る魔導力を放出させることも可能かもしれません」


 それはなにもわからない状況の中で小さな希望であった。

 同時にシーアは私たちに絶望も告げた。


「……ですが、急がねばなりません。

 このままならば、遠からぬ日に公爵さんは魔神化することでしょうから」


 誰もがそれを聞いて息を飲む。

 魔神について全員が知っていたから。


 それを聞いた以上、この公都にこのままハバネロを置いておく選択肢はなかった。


 早急にハバネロをゲームの装置のあるところへ移送させる話をした。


 そこで魔導力研究の第一人者であるDr.クレメンスや専門家を集めて、魔導力について研究を進めることになった。


 装置のある場所は、代々ハバネロ公爵家が密かに管理する隠れ里の中にあるそうだ。


 さらにシーアが装置を起動している間に安全に眠りにつけるようにするため屋敷が作られ、安全性を高くしてあるとのこと。


 その屋敷はセバスチャンが記憶を失う前のハバネロに指示されて整えていたらしい。


 姫様は公都で大公国と公爵領の差配が必要なために、ハバネロと一緒に行くことは出来ない。


 眠っている状態であるとはいえ、会えなくなるのは身を切られるような想いがするだろう。


 ハバネロを移送することを決めた時、姫様は一度静かに目を閉じて、何かを飲み込むように深く数度深呼吸をした。


 そして私を見て微笑んだ。


 それは私の方が身を切られるような気持ちになる……辛い笑みだった。





 私たちが部屋を出ると、リリー様が姫様の元へ駆け寄ってきた。

「おはなし終わったぁ〜?」

「リリー、良い子で待てましたね」


 姫様が慈愛の笑みと共にリリー様の頭を撫でる。


 姫様が居るので、どうやらリリー・the・スカッド、通称リリーミサイルは私のお腹には飛んで来なかった。

 油断していたから危ない、危ない。


 ふぃ〜っと、私はかいてもいない額の汗を拭う。


 リリー様はレイリア様の娘で、姫様の妹なので大公国のお姫様でもある。

 もっとも、今回のパールハーバーの事件で大公国は王国に吸収されることが決まっている。




 結論でいえば、大公国は公爵領の一部となる。


 大公国は国家元首が亡くなり、更には立太子が居ない中。


 大公位継承権1位である姫様は王国公爵夫人となり、継承権がそれに続くはずのガーラント公爵は反乱者となったからだ。


 姫様ごと公爵家に移るという筋書きだ。


 すでにこちらからの要請という建前で、ガーラント公爵討伐の兵が王国から送られて来ている。


 ハバネロが眠りにつく前に王国王太子を通じて、王国に根回しを行っていたようだ。


 ハバネロが昏睡状態に陥った今、王国貴族たちはハバネロへの警戒はどこへやら。


 今ではホワイトナイトを気取りつつ姫様をいたわるフリをしながら、ガーラント公爵の土地を中心に大公国の領土を分捕っていく。


 名誉も領土も得られるとあって、大戦にすら参加しなかった王国貴族すらも率先して大公国になだれ込んでいる。


 ガーラント公爵の言い訳の手紙が王国と公都に送られてくるが、それはもはや完全に無視されている。


 自業自得ではあるが、ガーラント公爵は散々だ。

 傘化の貴族の領地が要塞型と呼ばれる巨大モンスターの出現で壊滅もしている。


 モンスターの出現はハバネロが眠った日を皮切りに、世界全体で深刻化している。

 すでにいくつもの街が被害に遭っていた。


 現状確認されている要塞型は大公国と共和国と帝国にそれぞれ1体ずつ出現して計3体。

 早急に対処が必要だと各国ともが対応に追われている。


 近いうちにそれらの擦り合わせとハバネロの見舞いも兼ねて、王国の王太子が公都にやって来る。


 王国のNo.2を元大公国公女として、現王国公爵夫人としてなおのこと、姫様は公都を動くわけにはいかないのだ。





 意外に思うかもしれないが、今回の合併吸収は大公国内でも概ね好意的に受け入れられている。

 今までであれば、悪逆非道のハバネロを受け入れる素地は大公国にはなかった。


 しかし今回の事件で公都でのハバネロ公爵兵の振る舞い、それにハバネロが眠りについたことにより、大公国の姫を命懸けで救ったという『美談』が受け入れられた。


 これは形こそ違うが、事前にハバネロが商人やラビットたちに金を回して、美談を広める用意をしてあったのだ。


 ……本来はハバネロの美談ではなく、私の美談にするように準備されていたのだと後でサビナに聞かされた。


 本当に皮肉なことだが、ハバネロに対しての印象は悪逆非道の噂があったからこそ余計に美談を強調させた。

 全ては姫様のためだったのだと。


 人々はこの騒動の落とし所をどこかに求めたかったせいだろう。

 ただ単に権力者たちの私利私欲による暴走よりもドラマを心のどこかに。


 大公国にやって来た時、ハバネロは規律を徹底し公都内の人々の暮らしの安定に努めた。

 邪教集団を即座に摘発し、混乱をすぐさま鎮めた。


 公都内の人間は邪教集団が暴れ始め、救いを求めたその絶妙なタイミングで公爵軍が来たものだから、ヒーローがピンチにやって来たと思ったのも仕方ないし、私たちもそのように誘導もした。


 また、公爵兵たちは公都の兵とも融和を率先して行った。


 悪逆非道と思われていたハバネロ本人が、リリー様に微笑みを浮かべビスケットを渡す光景も何度か公都の人々の目に止まった。


 どこから聞いても美談そのもので、人々の中にはこれを懐疑的かいぎてきに思う人もいたが、これがまた真実なだけに事実はホニャララより奇なりである。


 とはいえ、そもそもハバネロが姫様の嫌がることをする訳がないのだ。


 あとハバネロがアイドルと呼ばれる大公国の聖騎士と夫婦漫才をしていたという噂も流れたとも聞くが、これに対しては私に思い当たるものはない。


 噂とは実にいい加減なものである。


 ハバネロがどこぞの泥棒猫と浮気していたならば、その女ごとメラクルチョップでお仕置きしなければならない!


 まあでも、このように真偽のほども定かではないような噂も、悪逆非道イメージ払拭ふっしょくに一役を買ったのは結果オーライだろう。


 だけどこれもそれもハバネロが眠りについていなければ、こうは上手くはいかず情報操作でしかないと思われたことだろう。


 なんにせよ、状況の改善の見込みがあるとなればやるべきことは多い。


 幸いというかなんというか、様々な活動に必要なお金は、あり過ぎるぐらいハバネロからラビットたちに送られており、受け取ったラビットたちを随分困らせたそうだ。


 こうまでして世界唯一のアイドル、メラクル・バルリットを誕生させようとしたのだから、あの男は本当にタチが悪いというか。


 ……でも、ね。


 私はあんたが起きないとなにもしてあげないよ?


 あんたが最期まで眠るなら、その隣で姫様と3人で一緒に眠るだけだよ?


 そうして、夢の中で世界の終わりを見よう?

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