第213話回想⑤ハバネロが目覚める可能性

 私の手が膝の上で震える。

 絶望という名の黒い闇が心に広がるのを感じて。

 座っているのに平衡感覚が無くなり血の気が私の身体から失われるような感覚。


 なにもかも終わりなのだ、と告げられた気がした。


 その手を隣に座る姫様がそっと握ってくれた。

 姫様は少しだけ目を伏せる。


 私はそれに勇気付けられ顔を上げ、シーアを見つめる。


「何か……、なんでもいいから可能性はないの?」


 シーアは静かに一度目を伏せ、それから顔を上げて真っ直ぐに私を見つめる。


「……公爵さんはアルカディアの宝石を飲み込みました。

 アレは言うなれば魔導力の塊。

 人体の限界を超えたエネルギーの塊でもあります。


 私という発信機から届いた信号をその塊に受信させることで、彼の頭の中のゲーム設定という記憶を発生させたのです。


 それは私という発信機からの信号が無くなった今も、彼の身体の中に影響を及ぼしています。


 それを一時的にプライアの剣の方に過剰な力を流し込むことで、公爵さんの身体に影響が出ることを少しでも防いでいます。


 それも一時凌ぎ。

 可能ならば、私が発信機の役割を担うために眠りに付いていた場所に連れて行った方が良いでしょう」


 シーアは静かな口調で語る。

 この姿を見れば、なるほど聖女と呼ばれるのも分かる。

 それだけ語っている内容もその姿も神秘的に見える。


 全員がおごそかな気持ちでその言葉を聞いていた。

 あ、いや、1人だけ。


 ミヨちゃんは半目になりながら、ビスケットをかじっている。


 もしハバネロが起きていたら、私もミヨちゃんと同じように半目でビスケットを齧っていたことだろう。


 難しい話はハバネロに任せておけばいいやぁ〜って感じで。


 カムバック、ハバネロ早く起きて!

 私に難しい話は無理。


「……それでゲーム理論とかラプラス方程式とか社会行動心理学って、何?」


 ミヨちゃんはビスケット齧りながら、つまらなさそうに尋ねる。

 言葉の意味が分からなかったらしい。


 その緊張感のない感じは私を落ち着けさせる。

 もしかしたらミヨちゃんは態度で私たちに落ち着けと促したのかもしれない。

 ……うん、きっと気のせいだ。


 仕方ない、ここはプリティメラクルが華麗に答えてしんぜよう。


「いやあねぇ、チェスのゲームで姫様が疲れてくると晩御飯何かなぁ〜、とか考えるでしょ?


 それを私は事前に予測して、希望の晩御飯をローラに作ってもらうの。


 その時に作るのは過去の天才料理人と呼ばれたラプラスという人物が、幾通りもの思考の末に編み出した至高のメニューを作るのよ。


 つまり社会活動にはご飯が食べるのが大事。

 だから、今日の晩御飯を誰もが考えて行動しているということよ!」


「……メラクルはご飯を決して自分で作らなかったわよね」


 ローラがジト目で私を見る。

 し、しっらないなぁー。

 そこで姫様も口を開く。


「なんでたとえ話でチェス?

 私、ほとんどチェスしたことないけど?


 私が仕事している横でコーデリアとチェスしてたのメラクルよね?

 そのままローラにご飯作ってもらって……」


 姫様までツッコミを入れてきた!?

 私は斜め上を向いて口笛を……ダメだ、ヒューヒューとしか鳴らない!

 大ピンチだ、私!!


「微妙に近いのよねぇ……」

 シーアは頬に手を当てて、なんとも言えない顔でため息を吐く。


 彼女曰く、ゲーム理論なんちゃらやら、それらのワードは未来予測における理論なのだそうだ。


 その理論にもとづいて作られた黙示録……いいえ、ゲームと呼ぶべきかしら。


 それはつまり……。


「黙示録の未来予測は人為的に作られたってこと!?

 なんで先にそれを言わないの!」


「そう言いましたよ!?

 人為的に作られた黙示録は聖女だけが限定的に使える預言だって!

 さっき言いましたから!」


 シーアがバンバンとテーブルを叩く。

 ビスケットを器ごと華麗にミヨちゃんが守る。


 いやぁ〜、厳かな雰囲気で言われると何だか眠くなって来ちゃって〜、ダメ?


「ダメね」

 ……姫様、私の心を読まないで?

 精度高過ぎて怖いわ。


「不思議ね?

 今日は何だか勘が冴えてるの。

 メラクル限定だけど」


 私限定なあたり余計に訳が分からないよ……。


「それってやっぱりメラクルが読みやすいだけじゃ……」


 シャラップ、ローラ!

 しゃらーーーーーーっぷ!!


 それじゃあ、私がまるで単純みたいじゃない!


 ……否定はしないわ。


「……果たして、そうでしょうか?」

 シーアが思案するようにあごに手を当て誰に言うでもなく、ポツリと小さく呟く。


 そういえば人ってどうして考える時にあごに手を置くのかしら?

 頭の重さを支えるため?


 ……謎は深まるばかりである。


「……ところで閣下が解離性障害かいりせいしょうがいになっていたというのは?」


 わちゃわちゃしている私たちをよそにサビナがハバネロの身体のことをシーアに尋ねる。

 そのクールさが羨ましい。


「そうそう、それに解離性障害ってどんなの?」

 まず私はそこがわからない!


 ポンコツというなかれ、サビナ以外の皆もわかっていないらしく首を傾げているから。


 さっきからシーアの聖女モードとポンコツモードの差が激しくない!?

 難しい言葉使い過ぎ!


 シーアは聖女(?)モードのまま、私たちの質問に答える。


「解離性障害はいくつかの症状を総合した呼び方で、主なものとしては記憶喪失や二重人格などです。


 ……表向き、公爵さんはその様子は見せていなかったと思います。


 ですが、ゲーム設定とは本来、自身の視点で血や相手の髪、唾液など遺伝子情報と呼ばれるものから、その当人が関わる未来の可能性を限定的に知るものです。


 この時、大事なのは『自分の視点』であることです。

 彼は頑なに自分がその『主人公』であることを拒みました。

 無意識化ではあったようですが、公爵さん自身に強烈な自戒じかいがあったためでしょう。


 自分は誰かを救えるような存在ではない。

 悪逆非道と呼ばれる存在でしかないと。


 それはある極度のストレスがかかった際に、私と共有した仮想空間……公爵さんからすれば夢の中ですが。


 記憶を失ったあなた方が知る公爵さんと、記憶を失う前の悪逆非道の汚名を受け入れたハバネロ公爵さん。


 1人の人間が分裂して存在するという『有り得ない』現象を引き起こしました。

 結果的にそれは彼の精神に更なる負担を強いるものとなったのです。


 そのギリギリのところに彼を追い込む極度のストレスがかかった。

 今回、急に公爵さんに限界が来たのは、それも理由の一つです」


 ハバネロが抱えていた極度のストレスに私は思い至るものがあった。


 きっと王都でのあのとき……。

 彼が自分が詰んで、姫様すらも手放す覚悟を決めてしまったあの時。


 あのときから、彼の残り時間は急速に減っていってしまったのだろう。


 その中でいつもそばにいた私にはわかっていた。

 ハバネロがずっと終わりを探していたのだと。


 姫様の方を見る。

 姫様は何かを考え……思わず呟く。


「……唾液」


 え? 気になるところ、そこ?

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