第186話ただ共に生きたいだけ

 混乱と混沌が私の中を渦巻く。

 望むように生きることまで求めた訳じゃないけれど、認めたくない現実は何度でも私を苛む。


「あれが……父なんですね」

「そうか……知っていたか。

 なら足止めは本当に余計なことだったな……」


 寄り添うように私はレッドのそばにしゃがむと、彼は寂しそうに父だった黒いモンスターを見つめる。


 夢で見て知ったのだと言うと彼は何と言うだろう。

 夢ではモンスター化した父の姿は見ていないが、直感でそう言ったのだけれど……正解だったようだ。


「やはり愛人にされていたか!

 この裏切り者めが!!」

 その反対側ではメラクルと対峙したパールハーバーがメラクルに食ってかかる。


「されてないって言ってるでしょ!

 あれ見て分かるでしょ!

 所構わず、すぐイチャイチャしたがるんだから!」


 メラクルがこちらを指差しながら言い返す。

 ご、ごめんねぇー!


 それに対してレッドはハハハと小さく笑う。


「……全くメラクルに掛かれば、パールハーバーと言えど形無しだな」

 そう言いながら彼は肩を貸してくれと私に頼む。


「……どこかぶつけたなら無理をしない方が」

「大丈夫、あの攻撃は咄嗟に自分から後ろに飛んだから、衝撃はそれほどではないから」


 それならなんで……。

 彼の手を取りながら、私は少し指先が震えた。


 彼の手があまりに冷たかったから。

 レッドは私の反応を見て、小さく目だけで優しく笑う。


 それから彼は私の反応に触れることなく、メラクルとパールハーバーにまた目を向ける。

 目を逸らすように。


「私はね、パールハーバー。

 あんたを信じてた。


 あんたは私にとっても……コーデリアにとっても信頼出来る団長で、先生だった。

 聖騎士として……尊敬していた。

 でも私は分かって居なかった。


 人の心は弱いのだと。

 そして、真実は片側では見えないことも知ったわ」


 パールハーバーはそれをフンッと鼻で嘲笑う。


「おまえたちは正義の何たるかを知らん。

 この世界の絶望を知りもせず知ろうともせず、ただ漫然と言われるがままに過ごしたその結果よ。

 大人しく正義の礎になっていれば良かったものを!

 そうでなくば、ローズが何故死んだのか分からんではないか!!」


 ローズとは……私の母だ。

 生きていればパールハーバーの2つ上。

 どんな関係だったかは知らない。

 関係があったのかどうかも。


 それを説明するように口を開いたのは、大公国の人でもないレッドだった。

 本来誰も……モンスターになった父しか知り得ないはずの説明を。





「20年前、邪教集団がまだ邪教と呼ばれる前。

 パールハーバーはな、大公妃の護衛騎士だったんだ。

 敬愛……盲愛してたんだろう。

 サワロワ大公がその王配となり、大公妃が生贄になることを認めたことが気に食わなかった。

 生贄になったのは本人の意思だったがな」


 元より悪魔神は女神教の中でも黙示録に刻まれた終末信仰とも言える禁忌。

 ……しかも母が命を捧げたその封印も長くは保たないことが分かってしまった。


「だから、封印を神聖視する集団は邪教扱いとなったのだ」


 ……もうそれでは、世界は救われないから。


 世界は緩やかな滅びを選択し、真実を知る者は破滅の未来を黙秘した。


 悪魔神が復活すれば全てが滅ぶ、それは現実のものだと言われれば人は穏やかではいられない。


 社会は容易く崩壊するだろう。

 そうなれば、一切の希望も未来は悪魔神関係なく無くなってしまう。


 大公妃の死後、その邪神の封印を神聖視する集団と悪魔神による救済があると信じる集団とが一緒になった。


 彼らもまた、望んだのは未来ではあった。

 歪んでいても。


 邪教集団の口車に乗り、私を生贄にすることで世界を救おうとした。


「パールハーバーはサワロワ大公にはユリーナを生贄にすることを反対された。

 そのことをパールハーバーは嘆いた。

 大公妃は犠牲にしたではないかと。


 だから邪教集団の手引きの元、サワロワ大公をモンスターに変えた。

 自分の行いこそが正義だと自らに誤魔化しながら」





 レッドが知るはずもない20年前のこと、同じように知るはずのない父とパールハーバーとのやり取りを語りながら、彼に触れる私だけには分かっていた。


 ゆっくりとゆっくりとそれは静かに進行していた。

 震えているのは私。


 レッドは私に支えられながら、口調とは裏腹に穏やかな笑みで私に目を向けてくれる。


 私の母が本当は何故、亡くなったのか。

 彼が変貌してまで護ろうとした真実を。


 私の母、大公妃の最期のこと。


 世界は何度も悪魔神復活の危機を迎えていた。

 その度に大公国の血筋で女神の因子を持つ者が生贄となり、自らを邪神へ変えて悪魔神封印の蓋となっていた。


 20年前、母もまた私を産んだ後、世界を救うために生贄となった。

 父はそのことでずっと自らを責めていた。


 だからという訳ではないが、私の中に流れる女神の因子のことを告げなかった。

 いつかは伝えなければならないと知りながら。


 ……封印は100年は保つはずだった。


 だが10年前に綻びが生まれ始めた。

 それが悪魔神の復活の予兆。

 数百年保つはずの封印はもう……封印の役割を果たさない。


 そして母の……大公家の直系の血を持つのはもう私1人。

 私を封印に捧げたとしても保って数年……。


 それでも封印に縋る勢力が生まれた。

 それが邪教集団。


 彼の両親はその世界の裏側で起こった出来事に巻き込まれ殺された。


「それから数年後、俺は邪教集団の中心人物たちの居る街を焼き払った。

 ヤツらは公爵家の反乱分子でもあったからな」


 事情を知らない無関係の街の住人を巻き込みながら。


 ラビットが僅かに反応するのが見えたが、ラビットはそれでも振り返ることなく、前を向きパールハーバーの部下の聖騎士と切り結ぶ。


 気付きたくなかった。

 どうして彼が悪逆非道と呼ばれながら、それでも進み続けて来たのか。


 私には、私だけには全て分かってしまうから。


 私のためだった。

 何もかも、何もかも私を救うためだけに。

 ……彼は今、命を失おうとしている。


『だってあいつ、あんなに姫様に愛を囁きながら、自分がここに居ないみたいに……。

 自分がいつか姫様の元から居なくなるみたいに!』


 メラクルはそう言った。


 彼の頭の中に彼本来とは違う何かの記憶がある。

 それは……人が得てはいけない力。


 ガイアの記憶と違い、彼の頭の中にある記憶は何処かいびつだ。

 彼本来の人格を捻じ曲げ、過去の記憶さえ塗りつぶし鎮座するソレは本来誰も知り得るはずのない知識。


『あの人が結局、ユリーナさんを救うため自分の記憶を塗りつぶしたのだとか』


 夢の中に現れたガイアの姉、シーアの言葉。


 ソレは……彼の頭の中をどれほど蝕んでいるのだろう。


 かつて彼が産まれる前の……当時の人でもほんの一握りの人しか知らない悪魔神にまつわる出来事。


 それを語るたびに冷たい彼の身体から、熱が奪われていくように彼の吐息は熱い。

 額にはじっとりとした冷たい汗が一筋。


 震える手でその汗を拭うと彼はまた微笑んだ。


 寂しそうに、優しく。


「世界はユリーナを犠牲にしても救われることはない。

 例えそれで世界が救われることがあっても、元よりその犠牲を俺が許容することだけは絶対に、ない」


 レッドは世界よりも自分よりも……私を選んだのだ。


 モンスターとなった父が咆哮をあげ、動きを止める。

 それが私には嘆きに聞こえた。

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