第172話リターン34-ただそばに居てくれるだけで

「ねえ、あんたいつから姫様のこと愛してるの?」


 大公国で拠点にさせてもらっている屋敷で、ハバネロの部屋にお茶を持って来たメラクルは俺の様子を伺いながらそう尋ねた。


「あん?」

 椅子に座り報告書を眺めていた俺が顔を上げ、訝しげな反応をする。


 唐突だな……。


 よく考えてみればメラクルはいつも突然な気がするので気にしない事にした。


 最近、妙な頭痛がする。

 大公国に入った辺り、もっと言えば夢の中でハバネロ公爵が出て来るようになってからそれが増えた。


 記憶喪失というのは、無理に思い出そうとするとそういうものらしいが。

 いや、これは絶望感のせいか。


 眠気すら感じるようになっているから、単純に疲れているだけかもしれない。

 リリーの屋敷に逗留させてもらってから、気が緩んだのか。

 酒の量が減ってきた気もする。


 良いことだ。

 そう思ったから口がすべったのか。


「分かんねぇよ。

 過去の話なら……もしかしたらユリーナに聞いてくれた方が思い当たることがあるかもな。

 聞いてみたらどうだ?」


 ……俺が居なくなった後。

 言外にそう言ってしまったようなものだった。


「……悪い」


 はっきりと傷ついたような顔に思わずそう言ってしまった。


 メラクルはワナワナと震え、それからポケットからビスケットを取り出し、俺の口に突っ込む。


 おまっ!? ポケットから取り出したビスケットを公爵にそのまま突っ込むって何してんだ!


 そうツッコミをしたかったが、俺の口をビスケットで封じている間に、メラクルは犯行現場からの逃走をすでに実行していた。


 ……逃げやがった。


 俺はため息を吐きそのやり取りをいつも通り、何も言わず見守る慈愛の女神のようなサビナに報告書の紙を渡す。


「モドレッドにはいつも苦労をかける」

 報告書は彼からのものだ。


 外交の話。

 弱みを見せられない立場。

 人材不足。

 周囲からの圧力。


 モドレッドだけではないが、それらの中で皆がよくやってくれている。

もしもの時の指示も踏まえて、かなりの無茶をしていると思う。


 サビナをチラッと見ると、その気配を感じてかサビナもこちらを見たので、なんでもないと苦笑いの上で軽く手を振る。


 ゲーム設定のハバネロ公爵の時も、サビナは最期まで付き従った。

 いっそそれが騎士の忠義というロマンなのかもしれない。


 恋、とかではなさそうだな。

 そう思う。

 サビナが俺に接する形とモドレッドに対するものは見ただけで分かる程度には違うものだ。


 ……ちゃんと生きて返してやらないとな。


 彼女の本心についても、いつものようにゲーム設定では語られない。


 今更、このゲーム設定の記憶に転生などという訳が分からないものがセットだとか、そんなものは思いはしない。


 それでも未来予知の『ようなもの』が備わっているのも確かだ。

 それは一部の例外を除き、あり得ないものでもある。


 それだけのモノを得たなら、何らかの代償があって然るべきだが。


 ……それなのに。

 本当に最初から最後まで分からないことだらけだ。


 いいや、人の記憶だってそんなものかもしれない。

 真実というのは、その人それぞれの心の中だけにある、と。


 俺の心の中はすでにグチャグチャだ。

 生きたいのか、ゲーム設定を辿りたいのか。


 死にたい、などではない。

 強いて言うなら、救いたい。

 それだけ。


 サラサラと砂時計が落ちるように、俺の時間が消えていくのが分かる。


「……悪い、サビナ。

 少し横になる」


 ハッとしたようにサビナは顔をあげ、頭を下げ退出していく。

 それを確認しソファーで横になる。


 メラクルに俺のことを話してから、大公国に移動を始めて、久しぶりになるほどの眠気。


 いつから愛している、か。


 それがトリガーとなったかのようなタイミングだな。

 軽く自嘲するように笑う。


 言われてみれば、である。

 愛とは好きの上位互換である。

 恋とは違い、愛に至るには多少なりともそう思えるまでの時間が必要なものである。


 ユリーナを愛している。


 それが一方的であったとしても、そう思えるだけの記憶にはない何かが、俺の中には存在したということだ。


 ……相変わらず理由もなく本質を突く女だ。


 人は恋に陥っても、それは一時の熱病のようなものと言える。

 冷めれば嘘のように忘れる。


 故に、恋だけの関係はいつか終わりを迎えるものである。

 好きかどうか、それだけで恋人関係を続けられないことは人のごうというものかもしれない。


 だが、愛は違う。


 親子や兄弟などの家族愛や友への友情、それらはひとときの感情のみで消え去るものではない。


 夫婦の愛はどうか?


 それが愛に至っていなければ厳しいだろうな。

 そもそも王国貴族は『家』が第一で、互いの愛を持って夫婦になる訳ではない。

 なんだか皮肉な気がして俺はクスリと笑ってしまう。


『それに貴方のお父様とお母様も、そんな風に支え合っているように見えたよ?』


 あれはいつのことか。

 ユリーナが俺にそう言った。


 ……貴族家の一般とは違う夫婦の在り方を求めるのは、ハバネロ家の血筋なのかもな。


 同時に。


『貴方の荷物は、私も一緒に持って歩きます』


 そうも言ってくれた。


 ……持たなくても良い。

 持たなくても良いから、俺のそばに居てくれ。


 その言葉を口から出すことはなく、俺の意識は闇に沈んでいった。

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