第163話リターン29-サビナは見ていた
「メラクル。
閣下のご様子は如何でした?」
「どうもこうもないわよ、サビナ。
あんな深酒して身体ボロボロにするなら、せめて女遊びでもしてくれた方がマシよね」
そう言ってメラクルはテーブルの上に置いたお気に入りのビスケットも口にせず、ソファーにグデーンと転がる。
その方が良いとは私も思うが、閣下は受け入れまい。
私たち公爵軍は公都内のとある屋敷を拠点に活動している最中だ。
可能な限り公都の民に被害を出さずに、城を制圧しろなどと閣下も無茶を言われるものだ。
「メラクルは……今、閣下に手を出されたら嬉しい?」
メラクルは不貞寝するように背を向ける。
それを見てすぐに私は訂正する。
「……ごめん、変なこと言った」
嬉しい訳ないじゃん、と小さくメラクル。
私はその背にごめん、ともう一度。
メラクルの視線が最初から、どこを向いているかはよく知っている。
それでも心は複雑だろう。
今じゃないというか……。
それよりも生きて欲しいと……メラクルが誰よりもそう願っているはずだ。
それでも閣下は王国から、公爵という立場から逃げたりはしない。
ノブレス・オブリージュ。
平民からすれば理解出来るものではないけれど、自らの命さえ義務の前には犠牲にする。
……例え閣下が領民からすらも嫌われ者の悪逆非道と恐れられようとも。
王国に抗えば閣下だけでも生きる手立てはあるかもしれない。
大きな大きなもの、沢山の人々……もしかすると世界すらも犠牲にすれば。
メラクルもそれが分かっているから、余計に何も言えない。
閣下も何かを抑え込んでいるようだった。
いつも何かを忘れるように、寝る前に大量の酒を身体に流し込む。
『下らん下らん、実に下らん!!
来世ではきっと、とでも言うつもりか!?
今世で出会った大切な人は今世にしか存在しえないのだぞ!』
ロルフレット卿に言い放った言葉。
閣下、貴方は誰よりもその意味をご理解していたはず。
だからこその言葉だったのだろう。
死にたいはずはない。
生きられるなら……生きて愛する人を抱きしめられるなら、誰もが迷わずそうしていよう。
義務や責任。
それは人生の大きな壁である。
いつでもそれは人に重くのしかかる。
義務や責務よりも命よりが重いという人も居る。
それはある種事実だが、誰かが誰かを護るためには、その重荷を背負わないといけないこともある。
そうでなくば誰も何も護れはしない。
逃げたくなるだろう。
死を救済とすら誤認してしまうこともあることだろう。
その矛盾を内包した心の壁には、向き合うしかないのだ。
何故なら壁は何も変わりはしない。
詰んでいる。
そう言いながらも閣下は今も生きる道を探している。
諦めたように、諦めたふうを装いながら、それでも本当は生きることを諦めてはいない。
だがそれと同時に、その度毎に何かを思い出し自嘲するような笑みを浮かべる。
繰り返し答えのない自問自答をするように。
……恐らく閣下が生きるためには、現状では沢山の血を見る必要があるだろう。
私たちはそれでも付き従うだろう。
いいや、喜んで付き従うだろう。
私たちの誰かが死に向かうとしても。
閣下はそれを選ばない。
まるでその価値が自分にないと言い聞かせているかのように。
以前から……時々粗暴で傲慢な態度をしていた頃から。
不思議とお酒が入った閣下は穏やかで、暴力を振るってくるようなことも、怒声を浴びせるようなこともただの一度もなかった。
……まるで、酩酊している時の方が本来の閣下のようで。
普段はまるで悪虐非道の仮面を被ろうともがき苦しんでいるようでした。
メラクルが来てから……、正確には、ユリーナ様に口付けをした日から閣下は変わられた。
それを私は確かに見ていた。
優しい目をして。
酩酊していた時と同じ目をして。
今も閣下は同じ目をしていらっしゃる。
それはとても優しく、ただただ哀しい目で。
「閣下は優し過ぎるのです」
私は呟く。
本人は是が非でも認めないだろう。
優し過ぎることは弱さと思っているフシがある。
ある意味でそれはそうだろう。
だが、その優しさでしか救われない者もいるのも事実だ。
なのに、その優しさは閣下を追い詰める。
世界も人も矛盾でいっぱいだ。
「は〜ばねろー、起きた〜?」
ひょこっと、扉の影から3歳ほどの黒髪の少女がちょこちょこと歩いてきて……転がるメラクルのお腹にジャンプして身体全体でポンっと乗った。
「ゴフッツ、リリー様。メラクルから乙女が迂闊に見せてはいけないもの……ぶっちゃけゲロが飛び出るから、お腹に飛び乗るのはやめて?」
メラクルが閣下を毎朝起こしに行くのを知っているので、その結果を聞きに来たらしい。
拠点にしている屋敷の主人の1人娘のリリー様は閣下を見ると走り寄って来る。
お気に入りなのだとか。
閣下もリリー様を可愛がっている。
それが閣下のお心を慰めになれば。
段々と閣下は以前のように戻ってしまわれるのか、それは私には分からない。
追い詰められ、やがて来るべき時が来てしまうのだろう。
他にどうして良いのか、それも私には何も分からない。
それでも私、サビナ・ハンクールは最期まで付き従おうと思っている。
それが如何なるものであれ。
それが忠義というものか、それとも他の何かか、私はどうでも良いと思っている。
ただ私自身が、忠義を尽くすに値する主にそうしたいと。
そうしたいという生き方でこそ、私は真っ直ぐに生きられる。
その心から目を逸らしたくないだけだ。
つまり……私自身の存在を懸けた意地みたいなものなのだ。
それはきっと閣下もメラクルも、皆。
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