第164話リターン30-止めてくれませんか
初動が完全に遅れた。
ガーラント公爵が兵を集めるのを待っていたせいで、ユリーナたちが大公都に到着した際にはすっかりとハバネロ公爵の軍により大公都は混乱の中にあった。
物事において大半のことが拙速は巧遅に勝る。
到着後すぐにハバネロ公爵の軍と激突したが、数は互角なれどその練度が違い過ぎた。
つまるところ、対抗するには兵の数が少な過ぎたとも言えるが、元より限界まで集めたところでハバネロ公爵の軍には敵わなかっただろう。
必要な兵の数が集められない、その時点で戦略以前に何もかもがすでに敗北していると言うことなのだ。
その程度のことすら読み切れる知恵者は、ガーラント公爵たちの中には居なかったし、ユリーナたちがそれにアドバイスする機会はついに与えられずに、ここまで来ることとなった。
主力が大公都正門付近で激突する中、ユリーナは少ない手勢でもって隠し通路から城に潜入した。
リュークや黒騎士、それにシルヴァたち傭兵はガーラント公爵領には連れて行けなかったので合流していない。
長い通路の途上で、隠し通路の存在を気付かれ追っ手がユリーナたちに追いすがる。
「ユリーナ様行ってください!」
「ここは私たちが!」
コーデリアたちが追っ手を足止めすべく立ち止まる。
ユリーナは頷き止まることなく走る。
そしてたどり着いた玉座の間で、まさにその瞬間、サワロワがハバネロ公爵に切り捨てられたところだ。
「お、お父様……」
すでにパールハーバーとシーリスは倒れ伏し、他の聖騎士たちと共にこと切れている。
ハバネロ公爵はこちらに気付くが、何も言うことはなく冷たい目でこちらを見ている。
「ユリーナ様、不味いぞ。
ハバネロ公爵の兵が集まって来ている……」
レイルズがユリーナに耳打ちをするが、何処かその声が遠くに聞こえる。
伝令がハバネロ公爵に駆け寄り、何事か告げる。
ハバネロ公爵は頷き。
「掃討戦に移れ。
ガーラント公爵の首は見えるように飾ってやれ。
……そこに居るユリーナ姫だけは捕縛、他は全て、殺せ」
淡々となんでもないように。
ローラとセルドアがユリーナの前に出る。
それでもハバネロ公爵は冷たい目のまま。
「サビナ」
「ハッ!」
閃光が走る。
それがローラとすれ違い、ローラがゆっくりと膝を付き彼女の剣が手からこぼれ落ちる。
「ユリーナ、さ、ま……お逃げ、くだ……」
「ローラァァァアアアア!!!」
慌ててレイルズがユリーナの腕を引っ張る。
「ま、まずい!
おい! ユリーナ様!」
視界の中にハバネロ公爵と倒れ伏した父の姿が焼き付いてはがれない。
「ここは任せて行って下さい!!」
そのセルドアの声でようやくユリーナの足は動き出す。
少しずつ少しずつ、次第に早く。
「どうして……、どうして!!」
誰に問い掛けるでもなく、ユリーナは叫んでいた。
どうしてこうなったのか。
かつてクリストフ大公国で、彼が訪問して共に時間を過ごしたあの穏やかな残照のような日々以来。
『婚約者になるんだ。俺がユリーナを守るから』
あの日、彼がかけてくれた言葉が無惨にも砕け散る。
「嘘吐き……、嘘吐きーーーー!!!」
ユリーナにも自分が何を叫んでいるのか分からなかった。
あの残照のような何かが、今までのユリーナを支えていたのだと今更ながらに気付いたとしても。
そこに居たのは、あの日の彼ではなく残酷な悪逆非道のハバネロ公爵。
その噂を違えることなく。
セルドアが戻って来ることはない。
すでにその後背からはハバネロ公爵の兵が追いすがって来ている。
逃げ切れるか分からない。
コーデリアたちが足止めをしている隠し通路の出口方向も、ハバネロ公爵の兵が居たはず。
このままでは挟み撃ちにされるだけ。
それでも走るしかない。
犠牲になった者たちの死を無駄にしないためにも。
それで何が出来るのか、今のユリーナには何も分からなくとも。
「どっかーーーん!!」
前方からそんな声と共に足止めをしていたコーデリアたちが、ユリーナの後ろから来る追っ手に飛び込んだ。
それと同時にハバネロ公爵の追っ手が吹き飛ぶ。
「ユリーナ様、無事だった!!」
「早く、早く!!
リュークとシルヴァが来てくれて、逃げ道確保してくれてる!!」
追っ手に5人が再度、一撃を与えたところで反転し全員で走り出す。
逃げ切れたところでサリーがポツリと。
「ローラさんたちは……」
私は前を向いたまま首を僅かに横に振る。
キャリアもソフィアも何かを堪える。
クーデルは表情を変えず、涙だけ流す。
コーデリアはその目に憎悪を浮かべ呟く。
「ハバネロ公爵……必ず、殺す……」
人の憎悪は膨れ上がり、それはもう取り返しがつくことは無い。
その憎悪の目にユリーナはそっと目を逸らした。
「
「へっ!?」
何故か、ずずっとお茶を飲んでいる青みがかった緑髪の少女が目の前に現れ、唐突にそう言った。
周りの情景ははっきりしない。
夢の中……。
私はそんな感覚がした。
「困るんですよね、諦めてもらっては」
だからどうしたら良いかなんて、私にも分からないんですが、と少女はまたお茶を音を立てて飲む。
なんの事を言っているのか、私にはさっぱり分からない。
諦める?
「主人公とか言いながら、私たちにしてみれば貴方がその主人公ですのに。
……まあ、人それぞれ自分の人生を生きる主人公なわけですから、物語みたいに主人公に固執すること自体がちゃんちゃらおかしいと言えば、そうなのですが」
少女は怒っているのかいないのか、言うだけ言ってまたお茶をずずっと音を立てて飲む。
やっぱり何を言っているのか、さっぱり分からない。
私は首を傾げ、その少女に尋ねる。
「ガイア?」
「違います」
にべもなく、そう言い切られる。
ガイアに似た顔立ちの少女はすくっと立ち上がり、早口でまくし立てる。
「いいですか。
あの人を止めてくださいね。
あの人、なんだかんだ言いつつ、貴女を護れれば他はどうでもいいみたいな、困ったちゃんなところがあるんですから。
それでは困るんですから。
ハッピーエンドは掴めるところにあるのに、それに手を伸ばさずにシリアスに負けていくとか困るんです!
あと私のことは秘密です。
特にガイアとかいう娘に聞いたらダメですよ。
絶対絶対ダメですからね?
謎溢れる美少女が満を持して登場するのが、私の大事な見せ場なんですから。
たまたま向こうの精神が揺らいで、黙示……じゃない、とにかく、女神の……これも言っちゃダメなのかしら?
あれ? 何をどこまで言っていいの?
記憶の影響がどこまでどう影響するか、さっぱり分からないわ。
いっそ全てバラして良いのかも?
あの人が結局、ユリーナさんを救うためだけで自分の記憶を塗りつぶしたのだとか。
あー、時間がーーーー!
あいるびーばーーーっく」
どこかぽやんとしたというか、のんびりしたような口調で、それでいて早口でありながら緊張感もなく声が遠ざかり……。
……そうして私は目が覚めた。
「あの娘……。
多分、1番言っちゃいけないこと言わなかった?」
ただの直感だけど、私はそう感じてしまった。
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