第157話掴み掛けた想いの中で

「ミランダー!

 そこで何をしているの!」


 さらに話を続けようとしたタイミング。

 下の方から誰かが怒鳴っている。

 それに即座に密偵ちゃんが反応する。


「ごめんなさい! お義母様!!!」


「誰がお義母様ですかぁぁああああ!!!

 私は侍女長だと何度言ったら分かるんですかぁぁああああ!!!

 第1、貴女は侍女であってメイドがするような窓拭きなどして、どうするのですか!」


 あわわと下を見ながら慌てる密偵ちゃん。


 確かに侍女は貴族のお付きをする者で、屋敷の雑用はメイドなどの仕事だ。

 侍女姿の彼女が窓拭き……そもそも3階の窓に張り付いているのがおかしい。


「ミランダと呼んだ方がいい?」

「ミランダは偽名だから、今まで通り密偵ちゃんで」

 小さく下に聞こえないように密偵ちゃんは囁く。


 よいしょっと下に窓枠を伝って降りていく。

 降り際に、この話はまた今度、と付け加えながら。


 密偵ちゃんがフッと消えるように姿を消すのを呆然と見送った後……。


 数歩下がると椅子があったのでそのまま腰を掛けようとすると、ズレて尻もちをついてしまう。


「……はは、ダサ」


 椅子に手を掛けて尻もちをついたままの姿で、たった今聞いた言葉を反芻はんすうする。


『ごめんなさい! お義母様!!!』


 違う、これじゃない。

 呆然としたまま、椅子に登るように座る。

 座って……座ったまま……。


『……公爵様。

 近いうちに処刑される可能性があるって』


「……どういう、こと?」

 私の呟きに応える者は居ない。

 なんで? どうして?


 王国の公爵の力は絶大だ。

 大公国のような小国であれば単独で制圧してしまえる力もある。


 実際に王国が帝国を追い返せたのは公爵家の力があってこそだと聞いている。

 王国では英雄のはずだ、処刑の根拠が……。


 ふと何かに気付き口元を押さえる。

 捉えかけている何かが溢れないように。


 椅子に腰掛け、掴みかけているものを必死に掴む。


 待て、これは……私自身が置かれている状況と似通っていないだろうか?


 権力に溺れた者の思考は似通ってくる。

 これは人間の本質の欲に由来するものだから。


 つまり知的階級であるはずの権力の上部は、普段は抑えている欲望を叶える力があるから、動物的になりやすい。

 ガーラント公爵たちのように。


 別にヤツらだけではない。

 誰でもそうなる可能性がある。

 力とはそれを御す精神性が必要であるが、それを誰もが兼ね備えている訳ではないのだから。


 私も権力がない訳ではない。

 そうなっていないのは、自らの自信の無さもあるが、何よりもそんな欲よりも大切なものがあるから。


 王国も大公国もそれは変わらない。


 疎まれている……誰に?

 公爵を超える権力を持つ者は限られている。


 ましてや処刑を命じることが出来る権力者となれば……王以外に存在しない。


『……俺にまとわりつく悪意はそんなに生優しくはない、頼む』


 彼の引っ掛かる言葉。

 細い見えない糸が頭の中で繋がっていく……紡げ、紡げ!


 彼とのあの日の別れ。


『必ず生きるんだぞ?

 進むか退くかの時は必ず退くを。

 そうすればユリーナには次がある』


 私には……?

 貴方の次は?


 気付いていた。

 あの戦場の別れの日、彼が帰って来いではなく、生きろと言ったことを。

 だから私から貴方の元へ帰ると告げたのだ。


『まあ、そんな訳で俺は以前のハバネロ公爵とは別と思っていい』


 本当に?

 掴めなかった貴方を今掴みかけている。

 本当の貴方は何処?


『それを誘導したのは、おそらくこちらの貴族だ。

 迷惑というなら、そもそも俺自身が大公国に迷惑をかけたのだ。

 謝ることじゃない』


 彼は悪意の存在に気付いていた。

 大公国に迷惑を掛けていることも自覚していながら、何故?


『王国内部から攻撃の口実にされるからだ。

 曰く、名誉ある騎士としての役目を蔑ろに〜とかな』


 それはモンスター討伐時の何気ない一言。

 だけど王国貴族が彼を攻撃する際の口実は同じようなものではないか?


 つまりあの大戦時に彼を追い落とす口実を得て、彼を処刑しようとする動きが、ある……?


 それは一過性のものではなく、おそらくずっと前から。


 ……彼は悪虐非道と言われる何かを行う必要があった?

 苦しめられた者からすれば、そんな話は理由にはならないだろう。


 ……だけど。


 フラッシュバックするように、全ての糸が繋がる感覚。

 密偵ちゃんが言った女神の因子、大公家の血筋……。


 そこには大きな意味があるのではないだろうか?

 例えば、ふとした時に感じる直感。


 大公国は王国と祖を同じくする邪神を討伐した聖騎士の末裔。

 ただ大公国には連綿と続く使命があった。

 邪神が復活してしまった際に世界を救うという使命。


 その使命は今も大公国では、聖騎士になる者は誰もが心に誓う。


 ガイアの記憶の中でハバネロ公爵が破壊したという何かの装置。

 邪神を封印する装置。

 それがもし実在するなら、ハバネロ公爵は何故、それを破壊した?


 世界を滅ぼしたかった?

 ううん、それは彼の行動と何も一致しない。


 悪虐非道の噂のみの狂気に染まったハバネロ公爵が真実ならば、そう思ったかもしれないけれど、今のレッドならばきっと……何かを護るため。


 さらに彼の言動から何かを辿ろうとして……。


『結婚して下さい!』


 赤騎士と名乗った彼が誤魔化そうとしたのか、放った一言を思い出し。


 クスリと笑ってしまった。


 ああ、なんだかなぁ。

 こんなにも貴方を思い出す。

 まだ数えるほどしか一緒に居たことはないというのに。


 私も誓うように、一度だけ目を閉じて。

「はい、結婚します、……貴方と」


 それにはまず……彼を覆う悪意をなんとかしないといけない。

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