第156話悪夢は突然と、だが確実に進み始める

「あー、うー」


 あ、どうも、ユリーナです。

 え? 何やってるって?


 レッドに会ってイチャイチャしたい。

 そんな訳でテーブルの上に顔を置いて唸ってます。

 誰に言ってるんだ私は。


 え? 会いに行けば良いじゃんって?

 どのぐらいの距離があると思ってるんですか。


 しかも貴族同士が会うにはややこしい手続きもあれば、他国ですよ?

 さらにさらにガーラント公爵のところに私は仕事で来ているのです。

 ガーラント公爵と全く話が出来ていないけど。


 なのに舞踏会は何度も開かれ、ガーラント公爵の子息とかいう嫌味ったらしい性格が顔に出たオッサンを何度も紹介されている。


 一回見れば十分もう結構、2度と会いたくない。

 レッドの悪逆非道の噂はあくまで噂で実態を見た事はないが、その子息のクズぶりは目の前で見せられた。


 ガーラント子息のクズは使用人に意味もなく暴力振るったり、見目の良いメイドに手を出そうとしたり……この滞在中の僅かの間に何度か見かけてしまい、その度に睨み付けて止めた。


 遭遇してしまう度にそんな姿を見るということは、本当にひっきりなしにクズ行為を繰り返しているということだ。

 ……働けよ。


 そもそもレッドの悪評は大公国にもその責任の一端はある。

 いわゆるプロパガンダというやつである。

 事実として、大公国は彼に苦しめられている。

 だけど同時に大公国はそれを理由に国内の統制を図っていたのだ。


 ハバネロ公爵に対抗するためという名目で、軍事費用を確保したり、ハバネロ公爵家の者が入り込まないようにと市場統制したり。

 王国との交渉時にハバネロ公爵家からの締め付けを理由にしたり。


 仮想敵というのは、国家運営にとっては利用出来るカードの一つでもあるのだ。


 それ故に彼の悪評は全てが全て彼の責任というわけでは無い。


 当然、彼がそのことを知らぬはずもない。

 知っていてなお、私に愛を囁いていたことも私の感情を複雑にさせた。


 簡単に認めることは出来なかった。


 私自身がレッドの悪評を広めたことはなくとも、大公国としては彼自身を大いに苦しめることを当然の権利のように、積極的にその悪評を利用した。


 公女として、それを知りませんでしたでは済まされない。


 だけど愛を囁き抱き締められ、その視線で貫かれ私は堕ちた。

 一度信じようと決めると、彼の私への深すぎる程深い愛情を感じてしまったのだ。


 ……なんだか、自分で言っててムズムズするというか、何というかキツいんだけど。

 事実だけにタチが悪いというやつだ。


 何故なら、彼は彼自身の苦難の一端を大公国が担っていることを知りながら、私を求めたことになるのだから。


 仮にそれが彼の周到なる演技だとしても、もう戻れないほど。


 なんという事はない。

 信じまいと頑なであっただけに、溜め込んだダムが決壊するように私の心を狂わせたのだ。

 それがこの異常なほどの恋煩いの理由だ。


 ……例え彼が演技だったとしても、受け止める覚悟を持って。


 早く帰りたい……、というかレッドに会いたいです、はい。


 ……ぐぬぬ、こんな自分は嫌だぁ!!

 これが、これこそが悪名高き恋煩いかぁ!!

 うっとおしい!!!!!


「ユリーナさぁ、公爵様に好きですってちゃんと言った〜?」


 密偵ちゃん、窓から顔を出していきなりそんなこと言うなんて、ほんと自由ね?

 2人の時だから良いけど。

 すでにいつのまにかユリーナ呼びになってるし。


 ここ数日で他に人が居ないタイミングで顔を出して来てこうして話をしている。

 大公国では得られない各地の話や状況も教えてもらった。


 報告は上がって来ないが、大公国内で要塞型と呼称する超大型のモンスターが発生し、街を破壊したらしい。


 なのにガーラント公爵内では、そんな事は起きていないかのように、舞踏会やパーティーが開かれている。


 公都でレイリアが対処していれば良いけど、密偵ちゃんが言うには、その土地の貴族が隠しているかもしれないので、ちょっと怪しいとか。


 私の方にも当然、表向きそんな情報は上がってきていない。

 大公国のボロボロ具合はかなり深刻だと言える。


 密偵ちゃんたちは邪神についての調査を行っていた一族であるため、優先的にそういう情報を集めているから、たまたま収集出来た情報だとか言うけれど。


 基本的にその国の情報機関より、その国以外の組織の情報収集能力が優れることなどあり得ない。


 それが覆るということは大公国が末期であるためか、大公家よりも強力な組織が内部に食い込んでしまっているのか。

 それを考えると、一気に重たいものが私の両肩に乗っているのを感じる。


 一応、密偵ちゃんの一族は私たちに敵対はしていない……というか積極的に私に情報を渡してくれているというのが、なんとも。


 ともかく黒髪の清楚な雰囲気を持った侍女姿の密偵ちゃんが雑巾を持って、窓の外から顔を出してそんな重要情報をボロボロとこぼした後に、唐突に言ってきたのがそんな言葉だ。


「なんというかタイミングが無くて……」


 愛は囁かれていたけど、油断すると唇を塞いでくるから気合を入れて告白するのも難しかった。


 ……まるで何も言わせないようにするかのように。


 そもそも、必死に自覚しないように押し込めていたから、言うも言わないもなかった。


「あー、ジレったい!」

 窓の外で頭を両手で抱えて悶える。


 ここ3階……。

 流石は密偵ちゃん、バランス感覚良いわね。


 密偵ちゃんは身を乗り出し、私に食い下がるように言い放った。

「ダメよ! 言える時には言わないと!

 だって……、公爵様は!」


 何か引っ掛かるものを感じて私は密偵ちゃんを真っ直ぐに見る。

「……公爵様は?」

「……公爵様はぁ〜、えーっと、ユリーナLOVEだし、それに私たちのパトロンってぶっちゃけ公爵様だし〜?」


 ……よく考えれば黒騎士の雇い主がレッドなんだから、黒騎士の一族の1人である密偵ちゃんの雇い主もレッドよね。


 王国の公爵とのあまりの力の差を感じる訳だけど、今言った言葉の意味がそれだけではないのを直感する。


 密偵ちゃんはわざとらしく目を逸らす。

 密偵ちゃんがそんな態度を取るのは珍しい。

 ジーッと見てると、あらっ、汗?


 そういう隙を見せるのも珍しい。

 よっぽど言ってはいけない何かがあると言うのかしら?


「……レッドに何かあったの? そうなのね!」

 逃げられないように、密偵ちゃんの腕を掴む。


 心臓が早鐘を打つ。

 信じたくない以前に全ては自分の考え過ぎのはずなのに、嫌な予感が止まらない。

 そのキーワードが鍵で閉められていた不安の扉を全開で開いたように。


 この感覚がなんなのか分からない。

 段々とこの不安が確信に変わっていくような嫌な感覚。


「な、なんで今の一言でそんな確信持って言い切るのー!?」

「レッドに何があるの!

 教えて!」


 ……私は何も知らない。

 何も知ろうとしなかったという訳ではない。

 情報を得る術が何もなかったのだ。


 公女という立場で一般人よりも多くは知ることが出来る。

 だけど、それではあの人の……レッドの抱えているものに何一つ届かなかったのだ。


 彼を覆う悪意は何処から発生して、何処まで彼を侵蝕しているのか、何をどうすれば良いのか、何も。


 どうして私を抱き締めながら……キツく抱き締めていながら、まるで『私が貴方の手から零れ落ちる』かのように悲しげな目で見てくるのか。


 観念してついに密偵ちゃんは言葉を紡ぐ。


「……公爵様。

 近いうちに処刑される可能性があるって」


 それは私の想像以上に目の前を真っ暗にさせた。


 足元が消失した。

 足に力が入らない。

 世界が消える感覚がする、なのに心臓は激しい早鐘を打つ。

 大きく息を吸うが、吸い込める量が少なくて荒い息を何度も吐く。


 もう会うことさえ出来ない?


 何ということはない。

 私は貴方の元にずっと居るよ?

 そう言ってそばに居れば良かったんだ。


 それが叶わぬことであっても。

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