第152話リターン24-大公国を覆った闇
油断したつもりはなかった。
いいや、この事態を予測出来なかった時点で大公国の密偵としては失格か。
建物の影に隠れ、ヒカゲは荒い息を鎮める。
口の中を切ったらしく血の味がする。
利き腕の左は動かない。
……これまでか。
いざとなれば自害せねばならない。
生きて捕まれば、永遠とも言える責め苦が与えられる。
それで口を割ることはない、が。
もし仮にクーデルとの関係を知られて居たら。
彼女のことを人質に取られてしまえば、ヒカゲでも口を割らないと言い切れなかった。
大公国一の密偵がざまぁない。
右腕で乱暴に口元の血を拭い、そう自嘲する。
ヒカゲはクーデルのことを思い返す。
クーデルとの出会いは合コンである。
情報収集も兼ねて、誘われて行った合コンにクーデルが居た。
下を向いて誰とも話そうとしないクーデルに、この娘の世界はどんなものが見えるのか気になった。
自然と隣に座り、合コンの間、彼女の言葉にずっと耳を傾けていると、いつの間にか付き合うことになっていた。
最初は独り身よりもカモフラージュになるぐらいの気持ちだった。
ところがクーデルはヒカゲに執着した。
大概の人は執着を嫌がるものだ。
だが密偵という仕事をしていて、人間不信が根底にあったヒカゲにはそれが心地良かった。
あらゆる意味でこの娘は裏切らない、そう思えてしまった。
何というかお互いがガッチリハマってしまったのだ。
今ではヒカゲ唯一の弱点は彼女であるが、同時にヒカゲを人間らしく繋ぎ止めてくれる救世主もまた彼女であった。
そんな彼女がユリーナと共にガーラント公爵のところに行く前のこと。
ポンコツチーム……つまりメラクル隊の4人が、隊長であったメラクル暗殺の前後の不可解な状況について調査を始めようと話し合っていた。
4人はユリーナの執務室でちゃぶ台を持ち込んで頭を突き合わせている。
この4人は誰が率先してポンコツなことを言い出しているのか、それとも4人とも均等にポンコツなのか?
元隊長のメラクルと合わせて、奇跡のポンコツ隊が出来ていたことを今更ながらにヒカゲは知る。
「例の青年が隊長がハバネロ公爵を見て、まるで懐いた猫のような反応を見せた、と?」
ソフィアがちゃぶ台の上の茶を取り、ふーと覚ましながらクールを装い、そう反応して見せる。
キャリアはちゃぶ台に肘を付き、あごを手で支えながらその報告を聞き返す。
「男がそんなに女の変化に気付くものかしら?
サリーはどう思う?」
サリーはフッと笑みを浮かべ答える。
「ええ、件の青年はユリーナ様だけではなくメラクル隊長も狙っていたわ。
そもそも例の青年は数々の女と浮世を流したモテ男。
モテない男とは違い、女性の変化をせこくも目敏く見破る目を持つイーグルアイの持ち主よ。
十分に可能性はあり得るわ」
3人の話を口一杯にビスケットを入れてもぎゅもぎゅとしていたクーデルは、口の中のお菓子を茶で流し込み、ゴックンした後、興奮したように握り拳を1つ。
「恐るべし! モテ男!」
その反応があまりにヒカゲのツボだったので、クーデルを後ろから抱きすくめておいた。
ガーラント公爵家に向かう前の最後の準備で書類をまとめていたユリーナは、ついに我慢し切れずに4人に告げた。
「ねえ? 貴方達が言ってる青年って、あの私に声を掛けさせた青年騎士のことよね?
そんな男を私に当てようとしたの?
それってメラクルも私も1番嫌いなタイプじゃない?
……あー、というか、なんで私の執務室でそんな話をしているの?
それにしれっとヒカゲまで一緒だけど……何か報告?」
ヒカゲはクーデルを後ろから抱きすくめ、表情を変えない。
なお、クーデルは次のビスケットに手を伸ばそうとして、キャリアに阻止されている。
そこからちゃぶ台の上でビスケット争奪戦が始まった。
ユリーナはそれをチラッと見て、少しだけ口の端をひくひくさせたが、堪えて再度ヒカゲを見た。
「……いえ、ユリーナ様ではなく、クーデルたちポンコツ隊に釘を刺しに。
たしかにメラクル隊長の死には疑念がある。
だからこそ事態は複雑だ。
軽率な行動を取ればどうなるかは分からない。
その件はこちらで調べておくから、クーデルたちはユリーナ様をしっかり頼む、と言いに」
ヒカゲは4人ではなくユリーナを見ながら答えた。
「ヒー君、それ……ほんと?」
クーデルが何かを伺うようにヒカゲの袖を引く。
見れば他の3人も複雑そうな表情だ。
彼女らもメラクル・バルリットの死の真相は知りたいだろう。
だけど、ともすればそれは信頼する上司パールハーバー伯爵への疑念ともなる。
ヒカゲは迷いなく頷く。
いずれ真実を知り得たら、彼女たちに伝えねばならないだろう。
見たくないものに蓋をしたところで、いずれ待っているのは破滅だけだから。
どうにかしたければ、今、己のやるべきことを精一杯行うこと。
……それしかないのだから。
つくづくあの日、ポンコツチームの暴走を止められて良かった。
彼女らがガーラント公爵領に旅立った後。
メラクル・バルリット生存が確実となり、疑念が確信となり事態は一気に動き出した。
そして今に至る。
誰が裏切り者かも分からない中で、ヒカゲは襲撃を受けた。
城も混乱状態になっているはずだ。
執務を一手に引き受けて、城に詰めていたレイリアも無事かどうか。
身体が冷たくはなっていくが、荒い息は少し収まった。
最後に1度だけ目を閉じ、愛しい彼女の姿を想い浮かべる。
……クーデル、ごめん。
「居たぞ!」
ついに追いかけて来たパールハーバーの手の者に見つかり、ヒカゲは建物の影から飛び出す。
こちらから動いて機先を制さねば勝機はない。
相手の1人の懐に入り剣を薙ぐ、低い体勢のまま返す刀で更にもう1人。
そこで別の1人に怪我をしている左から蹴り飛ばされる。
「ガッ!?」
防御が間に合わずみぞおちに入る。
……息が、出来ない。
今度こそ、これまで、か。
覚悟をしたその刹那、赤い残像が見えた。
その直後、血が弾け飛ぶ。
自らの血ではない。
赤髪の男がヒカゲを斬りつけようとした敵との間に割り込んで、相手を斜めに切り捨てたのだ。
……早い。
その背後を別の敵が斬りかかるが……、茜色の髪の美しい女性が横からそれを防ぎ、トンっと男と背合わせに敵と対峙する。
気付けばその男女だけではなく、周りにも人影。
皆が手練れであろう、瞬く間に敵を切り裂いていく。
剣戟が鳴り止み、その内の1人がしゃがみ込んでヒカゲの顔を覗き込む。
茜色の髪が垂れ下がる。
「あれ? ンー? どっかで見たことあるような……」
ヒカゲはその人物のことを知っていた。
「メラクル・バルリット、隊長……」
死んだはずのクーデルたちの隊長。
茜色の髪の美しい聖騎士。
「ひょえ!? バレた!?」
「当たり前だろうが!
お前、ここでは超有名人だろうが!!」
「そ、そんなことないわよ!
モテなかったし!」
「……お前の言うこと、アテになんねぇよ」
「ひどい!」
そうしてヒカゲは意識を失った。
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