第142話リターン20-残響
更なる夢の中、今度はあの日のことを思い出していた。
大戦が始まる数日前。
初めてユリーナとゆっくりと話が出来た日の甘い柔らかく……残酷な思い出。
「今後の詳細については、大戦が開始され事態が想定通りに動いた場合に改めて話をする」
ユリーナは強く頷く。
根っからの真面目な娘なのだろう。
それに囚われ過ぎないと良いが。
そう思ったことに内心で苦笑いする。
……俺が言えた話ではないな。
俺に残る時間はもう少しだけ。
俺の隣に座るユリーナにもっと近付いてもいいか、と尋ねるとおずおずと警戒しながらもユリーナは少しだけ横移動で俺に近付いた。
首筋に掛かる髪にそっと触れる。
「ひゃ!」
ユリーナが即座に赤い顔でビクッと反応する。
逃げ出さないようにそっと半ば乗り掛からせるように、ユリーナを抱き締める。
ブルブルと震えつつも、逃げる素振りはない。
嫌われて震えているのではないと信じたいところだ。
胸の中が疼く。
戦争は殺し合いだ。
そこに情けも理性も存在し得ず、名誉や形だけの建前だけが人としての体裁を辛うじて保つ。
そんなものを好き好んで実行する奴の気が知れない。
それを利用しようとする俺が言えた話ではないか。
俺は腕の中のユリーナの首筋に触れるようなキスをする。
「ぴぎゃぁ!」
その白い肌に俺の痕を付けたいが、俺は鋼の意志で我慢した。
俺、偉い!!
「……ねえ、私、また何見せられてんの?」
正面に座るメラクルがハイライトの消えた目で俺たちを見ている。
あれ? そういえば居たな?
小動物のようにぷるぷるしながら、目だけでユリーナはメラクルに助けを求める。
それを見ながら諦めたようにメラクルはため息を吐く。
「イチャイチャするなら、私居ない方が良いよね?」
嫌味ではなく気遣いでそう言っているのが分かる。
穏やかな表情でメラクルは言ってくれた。
ユリーナが行かないで!!! と言葉には出さず手をバタバタして訴える。
ちなみに逃さないように俺が捕獲したままだ。
「いや、出て行かなくて良い」
俺はそれを止めた。
うろんげな目でメラクルは俺を睨む。
「なんでよ。
人のイチャイチャ見せられる私の立場になってみてよ」
俺は仕方ないなぁと首を横に振る。
そしてユリーナと反対の空いてる左腕を持ち上げ。
「分かった分かった。
ったく、しっかたねぇなぁ〜。
こっちに来い、一緒に抱き締めておくから。
それなら寂しくないだろ?」
「なんでじゃぁぁぁああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
メラクルは勢いよく立ち上がり真っ赤な顔で地団駄を踏む。
「お前が言ったんだろ?
人のイチャイチャを見せられる立場になれって。
手っ取り早く混ざれば良いだろ?」
俺の言葉にそれを援護するようにユリーナが涙目でメラクルに懇願する。
「メラクルゥ〜……」
メラクルが手を全力でふりふりして、動揺しながらも言い返す。
「いやいや、おかしいから姫様。
なんでこっち来てみたいな目で訴えてるの?
常識的にないから」
「お前が常識を語るとはな」
フッと俺は鼻で笑う。
ポンコツが常識を語るとは……世も末だな。
あ、悪魔神に滅ぼされかけた世界だったな!
はっはっは、末期だ。
「キシャァァアアアア!」
ついに暴走したメラクルがソファーごと俺たちを放り投げる。
馬鹿な! 駄メイドの独り身パワーがこれほどとは!!
「なぁに見せられてるのかなぁ〜?
なぁに見せてくれてんのかしらぁぁぁああ!?」
「え? イチャイチャ」
「当然の顔して言うなぁ!!」
当然のことなんだから仕方ないだろ!
その間も俺はユリーナは手放さず、座り込んだままで再度首筋にキス。
「メ、メラクル〜!?」
俺はユリーナを人質に取った極悪な魔王のような顔で言った。
「良いのか? 聖騎士メラクルよ。
俺は2人っきりになって理性を保てる可能性を微塵も感じないぞ!」
「自信を持って言うなァァァアアアアア!!」
自信満々に決まってる!
俺がどれだけ鋼の、いや伝説のアダマンタイト並みに精神力で我慢していると思っているんだ!
絶対我慢出来ん!
婚約中とは言え婚前だ、流石にこれ以上は不味い、だが理性は保たん。
よってストッパーがいるのだよ、ストッパーメラクルよ!!
「きゅう……」
ユリーナが赤い顔でクタッとしてしまう。
落とさぬようにしっかり確保。
「はっ!?
姫様!? 気をしっかり! 寝たら襲われるわよ!?」
「はっはっは、よく分かっているではないか、駄メイド」
「あんたは少しは理性を働かせなさいよ!」
「何を言っている、精一杯我慢してるぞ!」
そうして目を回したユリーナにキスを落としながら、俺は自分の精神力の強さに感心した。
「姫様にキスしながら、自信を持って言うなァァァアアアア!!!」
……ちょっと暴走してしまったお茶目な過去の思い出だ。
あの日、初めてユリーナの本当の婚約者になれた気がした。
選択肢によっては、こんな毎日があったのだろうか?
いいや、ありはしない。
俺が覚醒したあの日から俺はすでに詰んでいて、そこからの選択の連続で今という時間が存在する。
その前に暗殺される可能性もあった。
ゲーム設定のように致命的なほど、ユリーナに嫌われていた可能性もあった。
帝国との大戦に負けて全てを失った可能性もあった。
今、生きているこの時は誰しもが一つの軌跡なのだ。
嫌われ者のハバネロ公爵がこんな時を過ごせただけで、それだけで。
俺は静かに閉じていた目を開く。
外からの陽光が俺の心の中と裏腹に明るく世界を照らしている。
側では俺の額の汗を布で拭ってくれているメイド姿のメラクル。
「かなりうなされてたわよ」
「そうか……」
うなされるような夢では決してなかった。
覚えてない夢の中で絶望に染まる夢でも見たか。
現実の方が大概、悪夢だがな。
それに悪夢は悪夢でキツいけど、優しい夢もそれはそれできっついな……。
結局、メラクルは今回の行軍でもメイド服で付いてくるようだ。
そりゃまあ、母国に行くのに接収しようとする公爵家の騎士服というのも、ケンカを売っているようにしか見えないものな。
「直前まで俺たちの動きを察しているヤツは居ないだろうから、そこまで護衛で引っ付いている必要はないぞ?」
「念の為よ。
あんたが姫様以外の誰かをベッドに引きづり込まないようにね。
もしどうしても引っ張り込みたいなら私にしておきなさい」
メラクルらしくないような物言いに、俺はいつも通りの笑みを浮かべる。
「誰も引っ張り込まねぇよ」
俺に誰かに触れる権利はない。
ユリーナに触れてしまうのも、どうしようもない感情の嵐ゆえで最初から触れる気などなかったのだから。
……散々触りまくって今更だったけど。
「そう、ならいいわ」
プイッと顔を背ける。
メラクルに特に顔が赤くなっているなどの変化はないので、彼女も本気ではなく軽口の一つのつもりだったのだろう。
彼女らしくない言い方なのは……俺のせいだな。
処刑されるなんて聞かされたせいで、メラクルにも気を使わせてしまった。
無造作に濡れたままのタオルが差し出される。
「んっ」
起きたなら自分で拭けということだろう。
たっぷりと水に濡れたタオルを受け取る。
「……なあ、いくらなんでもちょっとは絞らねぇか?」
前にも同じことしなかったか?
「うるさいわね!
水の節約よ!」
「いやいや、それなら濡らすなよ、ポンコツ!」
「何よ! 人の優しさを仇で返す奴はバチが当たるわよ、バチが!」
そう言ってぷりぷりと頬を膨らまして立ち上がり、テントを出て行こうとするメラクルに俺はふと声を掛ける。
「……悲しませたら世界を救ってやる、だったかな」
テントの隙間から明るい朝の陽光が入り込む。
メラクルは俺を見ることなく、真っ直ぐに外を見ながら答える。
「……救ってみせなさいよ。
約束、したんだから」
そう言ってメラクルはテントを出て行き、僅かに俺は苦笑する。
「……悪いな。
それにユリーナはそこまで悲しまねぇかもしれねぇしな」
鳴り止まぬ絶望への叫びがいつまでも俺の中を木霊しながら。
それでも人は死ぬまでは生きていかなければならないのだ。
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