第135話リターン17-ユリーナ・クリストフは自信がない

 突然だが、ユリーナ・クリストフという女性について簡単に説明するならば、物静かな委員長タイプとでも言えば良いだろうか。


 世が世なら、グルグル眼鏡で三つ編み髪のやや地味目な格好を好む真面目タイプであったかもしれない。


 もちろん大公女としての立場があるので、そのような地味めな格好などはすることはないが、性分がそのようなものだということだ。


 真面目でまとめ役。

 大公国の姫であるから、自然と人を取りまとめる役が回ってくるのは仕方がないことではあった。


 さりとて本人がその役割に納得がいっているかと言えば、そういうことはなかった。

 何故ならユリーナ本人はその自らの立場に、自信を持ったことは一度もなかったからだ。


 そんな彼女だが、ある非常に治療困難で時には不治の病とさえ言われることもある、とても恐ろしい病にかかっていた。


 今も体調を崩し倒れてしまったサワロワ大公の代わりに、大量の書類と共に執務をこなしながら、我知らず締め付けられた胸元を押さえる。


 執務室にはユリーナただ1人。

 他の者がいれば、ただならぬ彼女の様子に慌てて駆け寄ることだろう。


「んっ」

 ユリーナは顔を顰め、ギュッと締め付けられる胸を押さえる。


 ぽたっ。


 雫が書類の上に落ちる。

 いけない、それもこれも重要書類だ。

 濡れてしまっては大変なことになる。


 しかし、何処から雫なんて……。

 外は憎らしいほどの晴天。

 雨漏りをするほど建物はボロではないはずだ。


 そこでようやく彼女は自分の頬の辺りの違和感に気付く。

「……あっ」


 急ぎ机から身体を離れる。

 手で口元を押さえる。

 ソレが来た。


「あ、あああああああ!!!!!!」

 胸が苦しい。

 ボロボロと涙が溢れる。

 口元を押さえていなければ、その絶叫は廊下にまで響いていただろう。


 普通の人はここまではならない。

 こうなる前に気付く人が大半だ。


 ユリーナの場合、何もかもが遅過ぎた。

 自覚症状が有りながらも、まさかと思い放置したことも理由の一つだ。


 椅子から崩れ落ちうずくまる。

 誰かに見られたらマズイ。

 けれど今はこの疼きにも似た衝動を抑えるのが先だ。


「うう〜……」

 泣きそうだ。

 いや、泣いているんだけど。

 苦しいのに何処か甘やかに身体に血が巡るのがこの病の恐ろしさだ。


 薬でも取り出すかのように、彼から貰った公爵家の紋章入りの金属片を胸元から取り出し、そっとその縁を撫でる。


 身体中を巡り回って役目が終えたように静まっていく発作。

 収まった胸の痛みの代わりに出るのは、ため息。


 他の人が居る場ではほとんど起こらないのが救いか、代わりにと言ってはなんだけど1人でふとした瞬間に強烈な発作は起こる。


「……ほんと、ろくでもない」


 大戦が終わり王国は勝利した。

 与えられた任務も無事に達成し、ユリーナたちは大公国に帰国した。

 彼の言うように、帝国宰相オーバルは邪教集団の幹部であった。


 邪神の胎動、そして邪教集団の言う黙示録。

 分からないことだらけだった。


 彼に聞かなければならないことは多い。

 世界を覆う闇の正体についても。

 その彼とは任務を託された日から逢っていない。


 逢いたい。

 頭の中に浮かぶ言葉を堪えるように、ユリーナはギュッと締め付けられた胸を押さえる。


 そう、ユリーナ・クリストフはある重大な病に罹っている。


 恋の病という非常にタチの悪いものに。


 考えてもみて欲しい。

 婚約者に平時は嫌われているのかと思うほど冷たい態度だったのに、ふとした時に優しい目でキスしてきたり。

 ……ちょっと舌が重なったことは記憶から抹消だ。

 今となっては刺激が強すぎる。


 その後は常に甘い態度で愛を囁いて。

 ピンチになったら、身分を隠してでも助けに来てくれたり。

 それも2度も。


 耐性の無い乙女が堕ちるには十分過ぎた。


 あ、それだけでは無い。


 トドメのトドメに殺されたと思っていた親友の命を助けてくれていた。


 恋愛初心者にそこまで畳みかけるか、普通?

 そんなに堕としたいか、ええ、堕ちてやろうじゃないか!

 堕ちちゃったよ、ちくしょう。

 もうどうにでもして、と言うしかない。


 噂に聞くほど恋とやらが、良いものではないのはよく分かった。

 よ〜く分かった。


 本当に冗談ではない。

 こんな感情が良いものだと訴える乙女たちの気がしれない。


 それを早いうちに自覚してある程度気持ちを整理出来ていれば、ここまでにはならなかったのかもしれない

 そうでなくとも不器用なタチだ。

 人並みに自覚したとして抑えられたかどうか。


 そもそもまともな恋がコレで初めてだ。

 どうやって昇華して良いのか見当もつかない。


 ユリーナの部隊も女性が増えてきて、恋バナをする人が連日のように増えて来た。


 それに紛れて相談する?

 誰に?

 相手を聞かれたらどうする?


 この大公国で彼、レッド・ハバネロ公爵は嫌われている。

 秘密裏に暗殺計画が持ち上がるほどに。

 もちろんそれは行き過ぎた暴走だ。


 それに巻き込まれたのが親友のメラクルだ。


 ……私が彼女だったら良かった。


 本気でそうありたいと思っている訳ではないが、何度かユリーナはそう思ってしまったことがある。


 今も彼の隣であの明るい笑顔で笑っているだろう彼女を思い出すと、嬉しい気持ちと共に暗い情念が浮かぶ。


 その暗いものが噂の嫉妬というものなのだろう。

 私も隣に居たかった。

 自分のその気持ちを浅ましいと思う。


 分かっている。

 私は面白味のある人間じゃない。

 太陽のように人を惹きつけるメラクルのようにはなれない。


 ただ皆の後ろでひっそりと佇む不完全な三日月みたいなものだ。

 大公国内の噂では私を月姫なんて呼ぶがえそんなのはまるで太陽のような女性と誰からも慕われているメラクルと対比させたものだ。

 地味で暗い。


 そんなのだから、抱き締められて愛を囁かれてコロリと簡単に堕ちるのだ。

 恋も碌に知らなかったせいで耐性のカケラもないお手軽な女なのだと自分で思う。


「これだから、恋も碌に知らない女は」


 自虐的な笑みを浮かべると幾分、気分はマシになる。

 小さな小国の姫という価値以外何もなくて。

 自分自身に価値がないことぐらい自分が1番よく知っている。


 そんな私が恋を出来ただけで上等じゃないか。

 抱き締めて貰えてラッキーと思えばいい。


 あの人が愛を囁きながら、本当は何を考えているのか分からなくても。

 私のことなど愛していなくても。

 婚約者で居られるだけで、それだけで。

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