第116話リターン15-彼らはもう詰んでいた

 帝国の第1皇女ベルエッタは昔から本が好きだった。

 宮廷ロマンスに限らず、英雄譚や歴史書まで幅広く、小さな頃から手当たり次第に本を読む乱読家と言えた。


 社交界は苦手だった。

 幼い頃よりそのフワフワとした可愛らしい容姿は幾多の男たちを虜にし、求婚の願いはひっきりなしであった。


 それが元でというべきか、男性も社交界同様苦手で、唯一と言って良いほどに側に居て心を許した護衛騎士ロルフレットに、好意以上の感情を抱くのはむしろ当然とも言えた。


「私の婚姻先が決まりました」


 されど、皇女と伯爵令息。

 その身分の差はあまりにも大きく隔たり、皇女17の時、ついに残酷な現実が2人を襲った。


「どなたのところへ?」

 ロルフレットは柔らかくいつものように優しくベルエッタに問い掛けるが、その声は僅かに震えていた。


 ベルエッタは感情の全てを押し込み事実だけを答える。

「王国第4王子マボー殿下です」

 ロルフレットは天を仰ぐ。


 良い噂は全く聞かない。

 粗暴で女遊びが酷く人を顧みない。


 同じように悪逆非道の噂のある王国のハバネロ公爵の方が女遊びの噂がない分、マシだったかもしれない。

 もっとも似たり寄ったりといったところだろうが。


 だが皇族の上に立つ者の責務として、この婚姻を断る術は、ない。


 2人にしてみれば、いつか必ず来る絶望がようやく来てしまったに過ぎない。

 元より2人が結ばれる未来など存在し得ないだろうから。


 帝国最強という飾りがあろうとも、実力主義が通じるのはある程度の地位や名誉までで、帝国もまた身分制度に絶対的な差異が存在した。


 おそらく彼女が第1皇女であったこともそれに拍車をかけた。

 もしも第2皇女以下ならば、降嫁の望みもあり得たのだから。


 ロルフレットは人目を確認することなく、愛しい彼女を抱き締める。

「……なりません。

 このようなところを見られたら、貴方の経歴に傷がつきます」


 彼らが心以外で触れ合うのは、これが初めてであった。

 同時にこれが最後になることも。


 皇宮の裏にある皇族と一部の者のみが入れる庭園だが、それでも人が居ないとは限らない。


 婚姻が決まった皇女を抱き締める護衛騎士。

 見つかればどのような責任を取らされることになるか。


 言葉では否定しながらもベルエッタは彼を離さない。


 ふと2人の目が合った。

 吸い込まれるように2人の唇が重なった。

 最初で最後の悲しいキスだった。


「……誰に抱かれることになろうとも、ずっと貴方を愛しています」

 それはベルエッタが大好きな宮廷ロマンスのワンシーンのセリフ。

 騎士に令嬢がただ一夜の夢を懇願するのだ。


 でもその言葉の裏に、こんな絶望的なまでに悲しい気持ちは書かれていなかった。

 そして皇女である身では、一夜の夢すら叶わない。


 それが貴族という種族に定められた運命であり、数々の宮廷ロマンスはその残酷な現実を、それらしく愛などという『幻想』のオブラートに包んだものに過ぎないことを2人はこれ以上なく知る。


 しかし状況が変わったのは、そこから1ヶ月も経たない時のことだった。


 王国との開戦が決定され、王国第4王子との婚姻も一時白紙となった。

 この急転直下にはもちろん裏がある。


 元より主戦派の宰相オーベルは再三にわたり王国討つべしの声を上げており、それらは皇帝といえど無視出来るものではなかった。


 しかし戦争というのは、唐突に始まることもあるが勝利を見据えるならば、当然、多量の物資や人手、とにかく膨大な準備がかかる。


 しかもそれらはどれだけ準備しようが、万全ということは永遠にない。


 故に主戦派、中立派、反対派が拮抗し合い、辛うじて戦争に踏み込まずにいた。

 ベルエッタの婚姻もその拮抗の中で、戦争回避及び融和への道を進むための一手であった。


 大きく動いたのは、聞いてみればひどく呆気ない理由。

 王国の高官が中立派に賄賂を要求したのだ。


 彼らにしてみれば便宜を図るのに当然のものを、いつも通り自分たちの方が偉いと思い込みそれを要求したに過ぎない。

 ただし、時勢があまりに悪かった。


 ギリギリの拮抗状態にあった帝国内部はこの恥知らずな行為で、一気に戦争へ流れを変えた。


 丁度、帝国の研究者がパワーディメンションという新兵器を開発したこと、教導国と共和国から戦争不介入の約束を取り付けられたこと。

 1つの事象からいくつもの理由が重なった。


 ベルエッタとロルフレットの関係も、首の皮一枚繋がったのだ。


 開戦にあたり、ロルフレットは父より伯爵の地位を引き継ぐことが出来た。


 自身が帝国最強であることと、戦術家である優秀な師の推挙で軍団の1つを任されることになったためだ。

 軍を指揮するのだから、それなりの地位が必要なのだ。


 さらにその祝いの際に、幸運なことに皇帝直々に言葉を頂いた。


 曰く、帝国最強として目覚ましい活躍を見せることが出来れば、皇女を他国に嫁がせようとする勢力を黙らせることも可能だろう、と。


 それは暗に皇帝が2人の関係を認めるという奇跡のような宣言。

 同時に血塗られた道にしか、結ばれる奇跡は起こらない残酷な現実でもある。


 出立前、ロルフレットはあの庭園でベルエッタを抱き締めた。


「必ず、吉報と共に帰って来ます。

 その際は姫、私と結婚して下さい」


「はい、お待ちしております。

 ですが、武勲よりも何卒ご無事に。

 私はそれだけで……」


 ベルエッタの目からハラハラと涙が溢れた。

 それを止めるようにロルフレットはベルエッタの目の下にキスを捧げる。


「必ず」

 その決意の言葉を最後にロルフレットは皇宮を後にした。


 愛する者と別れ、帝国兵7000が出立した。

 傲慢な王国を打倒し、世界を救うため。


 真っ直ぐ前を見て進むロルフレットに、戦術の師でもあり今回の自身の副官でもある名将バリウム・グレンダーが隣に並ぶ。


「ああ、そうだ、師よ。

 私はこの戦争が終わったら結婚しようと思う。

 どなただと思います?」


 バリウムは楽しそうに含み笑いをして、帝国最強となった弟子を見る。


「皆が知っておるわ。

 この戦争の後に帝国に若き英雄が生まれるのだ、こんなめでたいことはない」

 そうして再度、バリウムは笑った。


 だが、それはハバネロが最も警戒した最大のフラグ、『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ』であることを彼らは知らない。


 それはハバネロの頭の中にある奇妙な知識からの言葉だからだ。


 その呪いとも取れる言葉が、彼らにもたらすものとは果たして。


 神ならぬ彼らには知る由も、なかった。

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