第113話リターン14-帰る場所、帰りたい場所
いっそ公爵閣下が、本当に女の色香に惑わされたと言われた方がずっと納得がいった。
その茜色の髪のメイドのメラクルは、ちょっとお目にかかれないほどの美女だったからだ。
だが、それは公爵閣下自らにより否定された。
アルクは混乱した。
愛人ではないと言われても、今では信じられないぐらいに随分と仲が良い。
メラクルの方は当初から公爵閣下に対し、かなりふざけた態度を取っていたが、その気持ちは理解出来なくもない。
要するに彼女は半ばヤケになっていただけなのだ。
それもそうだろう。
暗殺に来て失敗し、改めて自らの立場でも聞かされたのだろう。
生殺与奪もそうであるし、本当に愛人にしようが、弄んで捨てようが何もかも公爵閣下の好きなように出来るのだ。
抵抗などしようものなら、自らの所為で祖国が終わるのだ。
愛人だろうが一夜の遊びだろうが断る術などない。
どうにでもして、という気分だったのだろう。
公爵閣下は何故かその不敬を許した。
それどころか、そのメラクルに気を許している風でもあった。
次第にメラクルも公爵閣下に気を許し出したのが見て取れた。
その事が側から見ていて分かり、愛人説の説得力が増した理由でもあったのだが。
メラクルの同僚となったメイドたちに限らず、公爵邸の使用人たちからもメラクルを応援する声が聞こえてきた。
それも当然だ。
突然、メラクルが来た日から公爵閣下から暴虐非道の一面が無くなったのだ。
公爵閣下が愛を知ったのだ!
使用人の誰もが思った。
使用人の誰もが、メラクルが女主人になるのを楽しみにしている。
実際、彼女はメイドの仕事に真面目であり、かつ困っている人が居たら本来の聖騎士の精神が働き素早く助けに入る。
ふざけた態度や怠けているところを見せるのは公爵閣下の前だけなのだ。
しかも、しかもだ。
本人は確実にそれは無意識なのだ。
恋愛として甘えているというのではなく、親しい友に対する砕けた態度なのかも知れないが、周りで見ている者は誰もが愛しい人に『だけ』甘えているようにしか見えない。
公爵邸では本人たちの知らぬところで、公爵閣下とメイドの道ならぬ恋の行方は、不動の1位の関心事として君臨しているのだった。
アルクの妻のターニャもメラクルを応援する1人だ。
その話を聞かされる中でアルクとも親密になっていき結婚にまで至ったので、他人事とは言えない。
事情を知っているが妻にも言えないために、アルクとしてはその話題はあまりに答え辛いものなのだが。
本当はその同日、ユリーナ姫も来訪していたのだが、そのことはすっかり忘れ去られていた。
結局、公爵閣下はメラクルに手を出すことすらしなかったようだ。
あれほどの美女にすら手を出さなかったということは、公爵閣下は実は男色家なのかもと疑った。
ならば本命は突如、公爵府の城壁まで乗り越えてまで追いかけたロイドという男か?
結局のところ、ユリーナ姫との話を聞き、成る程、全てはユリーナ姫のためであったかとひどく安堵したのを覚えている。
だが公爵閣下ご自身の意思はハッキリしているが、公爵閣下とユリーナ姫の仲睦まじい姿を見ていない他の者からすれば、何処からどう見ても愛する者はメラクルにしか見えない。
戦場で別れた時も公爵閣下は涙ながらにメラクルを見送ってしまった。
単に婚期を着実に逃していくメラクルを憐れに思って流した涙だということは、アルクとサビナしか知らない。
この大戦が無事に王国の勝利で終われば、ちょっとメラクルとの関係をどうにかしないといけないんじゃないかなぁ〜?とアルクも公爵領の重臣として思う。
妻にもそれとなく相談してみようか?
ああ、なんだろう。
そんな話を妻としたいと思うと、生きて帰りたくなって来る。
公爵閣下が出立前に兵たちに恋人と祝言を挙げさせた理由がよく分かる。
護るべき者が居る。
帰るべき家がある。
これからの人生を護ってあげたい人が居る。
そう思うと人は何としても生きて帰りたくなる。
辛くても惨めでも、耐えて抜いて帰りたいと思う。
ロマンシズムに取り憑かれて死ぬことよりも、何がなんでも生きてやると。
恋人の状態ならこうは思わない。
騎士のロマンチシズムに酔いたくなったことだろう。
要するに生きることよりも無駄に格好を付けたくなってしまう。
自分の心の変化に思わずクスリと笑う。
「どうしました?」
サビナが珍しいものを見たと不思議そうに尋ねる。
「……いや、生きて帰らねば、な。
サビナもこの大戦が終わればモドレッドと夫婦になると良い。
配偶者が居るというのは、存外悪くない」
サビナの恋人になったカスター伯爵家の次男モドレッドは戦場に来ていない。
この大戦を終わらせる仕掛けのために、教導国に行っている。
「ふふふ。
アルクがそういうことを言うようになるとはね。
考えておきます。
今、宣言するとフラグになってしまいますからね」
そう言ってサビナもフッと笑った。
そうだ、こんな救いもないような戦場だ。
せめて未来のことを考えて笑い飛ばしでもしないと割に合わないというものだ。
戦場の向こうに煙が見える。
かなり広域の戦場を覆い始めている。
コウたちの仕掛けが発動したのだ。
アルクはおもむろに金属片を取り出し、コウに通信をする。
『コウ。上手くいきそうか?』
『アルクさん。
アルクさんのことですから、先に女神の下へ行こうとしませんでしたか?
駄目ですよ、女神の下へは俺が先ですからね!
アルクさんは自分の女神の下へ帰って下さいね』
女神とは教導国を本山とする女神教の主神のことだ。
戦場で散った兵の魂は女神の下へと送られる。
『ぬかせ、お前も帰るんだよ。
公爵領にな』
通信の向こうでコウが笑った気がした。
彼はそれには答えず。
『……少しそちらにも帝国兵が行ったみたいです。
すみません、先輩。
残りは出来るだけここで足止めします』
『コウ!』
『御武運を……え? あっ!? あれは、なんっ!?』
そこでコウとの通信が切れた。
『コウ! コウ!!』
顔を上げると煙はさらに広がり、何処か火事の煙とは違う土煙のような色合いも。
「アルク!」
呆然と仕掛けたアルクにサビナが声を掛ける。
帝国兵の一団がこちらに迫っている。
「くそっ!」
兵をまとめて、アルク自身も剣を握る。
いずれにせよ、ここから先に行かせるわけには行かない。
コウに何かが起こったのか、何が起きているのか戦場では知り得る術がない。
勝っているか負けているか、全ては終わった後、その時まで。
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