第112話リターン13-アルクの感謝

 アルクは肩で息をしながら、ようやく辺りを見回す余裕を得た。


 乱戦の中で背中を預けたのは、足止めする中で先に行ってもらったはずのサビナであった。


「サビナ。無事か?」

「ええ、何とかお互いに」


 近くにいる最後の帝国兵をアルクが切り捨てたところで、サビナもようやく息を付けたようだ。


 アルク同様、荒い息を吐き肩で呼吸しているのが分かる。


 生き残った兵の内、何人かが胃の中の嘔吐物を吐き出している。

 戦場の血の匂いにやられたからだ。


「吐きたい奴は今のうちに吐いておけよ!

 我が極悪非道の悪名高き公爵閣下は、極悪かもしれないがケチではない。

 勝利のあかつきには、吐いた分以上の豪華な食事をご馳走して下さるそうだからな!」


 それは胃の中を空にしておかないといけないですね、と兵たちの間から笑いが溢れる。


 アルクは内心でよし、と思う。

 血生臭い戦場だからこそ、ユーモアが大事なのだ。


 苦手だが兵を指揮する練習と考え、サビナたちともこっそりジョークの練習もした。

 あまり上手にはならなかった。

 何故か、メラクルも参加していたが。


 1番上手だったのは、そのメラクルだ。

 冷静沈着を心掛けるアルクですら、なんでやねん! そう突っ込んでしまったほどだ。


 公爵閣下に流石は天然物だな、と評価されていた。

 天然物とは魚? 魚のことか?


 戦いの前に何通りもの戦略と戦術の検討を行った。

 もっとも良いだろうと思われたのは、相手の主力を足止めし時間を稼ぎ、後方の補給路を脅かす方法だ。


 魔導力を持つ騎士たちも飯を食わねばどうにもならないし、装備も戦闘で折れたり失ったりするので、補給無しでは戦いそのものが出来ない。


 おおよそ騎士としての名誉を無視したこの戦い方は、今までの華々しい王国騎士としての戦いを全面否定するものだ。


 この大戦のために公爵閣下により開設された士官学校でも物議をかもした。


 これが公爵閣下が提唱したものでなければ、それまでの王国では一笑にふされた戦い方だ。


 だがこれについては結局、公爵閣下に苦笑いと共に今次大戦では却下された。

 閣下もそれこそが最善であることを理解しながらだ。


 理由は2つ。

 策を仕掛けている間に、全面に打って出る軍閥派主導の主力5000が王太子殿下共々間違いなく、すり潰されることになること。


 王国主力がすり潰された後に帝国主力が王都に迫れば、それだけで王国は降伏するだろうということ。


 ならば、今回と同様の賭けにはなるが王太子殿下を含む主力を幾らかでも救出し、後方に砦を構え粘り強く抵抗してはどうか?


 これもまた、公爵閣下に却下された。

 王国兵は長期戦を耐え得る事が出来ない、と。


 深呼吸しても新鮮な空気は入らず、生温い嗅ぐだけで吐きたくなるようなこびりついた死と血の匂い。


 それはこういうことだったのだ。

 戦場の匂いというものに、王国兵は慣れておらず長期戦を耐えるどころか、この一戦を乗り切れるかどうかすら不安が付き纏う。


 長引けば精神が保たない。

 戦場に出て初めて分かる実感。


 王国の重鎮たちは、よくもこんな状態で華々しい戦果をイメージ出来たものだ。


 仕方あるまい。

 戦場を知らぬ者の方が大半なのだから。

 突撃の直前、公爵閣下は兵に言った。


 帝国兵を人と思うな。

 奴らはお前たちの家族や恋人、大切な人と故郷を焼きに来たモンスターである。

 そんな外道に一切容赦の必要はない。

 奴らは外道だ。

 これは正当なる報復であり、護るべき者のために行う正義だ。

 愚かなる者どもを許すな、護るべき者のために。


 戦場で殺すのは人ではない。

 殺さねば自らの命よりも大切な者が奪われる。

 怒りを持てと。

 愚か者に鉄槌を。


 兵たちはこの言葉で血の地獄を乗り越えている。

 時間が経てば自らに掛かった血の重さに沈むかもしれないが、今だけは保つ。


 公爵閣下はそのことをよく知っていた。

 それほどにかつて公爵閣下が街を焼いた惨劇は、かの方の心に戦場というものを染み込ませたのだろうか。


 アルクは当時、まだ新兵でありその戦場には同行して居なかったので事情は分からないが、その出来事からまだ若き公爵閣下は変わられた。


 暴虐な面が見え始め、酒に溺れ、無闇に剣を振るった。

 それ以前は、兵の訓練にも混ざり時々は笑顔も見せてくれたし、何度かアルクも懇意に話をしたこともある。

 今では覚えていない様子だったが。


 贅沢などは興味がないようだったが、公爵として宝石を無意味に買っては興味なさげに部屋に転がしているのを見たことがある。


 それ以外では魔剣などの新兵器の開発、魔導研究により金を注ぐようになった。

 あの惨劇の後、一度だけ笑顔を見せてくれたことがある。

 魔剣を見せてくれて、ユリーナ姫は魔剣が好きなようだ、と小さな笑みを。


 誰も気付くことはなかったが、あの方にとってユリーナ姫だけが心の支えだったのではないか、そんな気がした出来事だった。


 メラクルが来て、また笑顔を見せてくれるようになった。

 ニヤリとした人の悪そうな笑みだが。


 結果的にだが、アルクはメラクルには感謝をしている。


 何度も言うが結果的にだが。


 誰が仕えるあるじを暗殺に来られて感謝出来ようか。

 メラクルが来た時、最初に騒ぎに気付いたのはアルクだった。


 護衛騎士のサビナの腕は知っているが、何かがあってはいけないと声を掛けたところ、何故かサビナがメイドをベッドに押し倒しており、想像も付かない事態に目を丸くしてしまった。


 問題ないということで部屋から出たが、大方、公爵閣下がサビナに無茶でも言ったのだろうと気の毒そうな顔をしてしまった。


 メイドについては、ひたすらに暴飲を続けるぐらいなら女遊びでもしていた方がマシのように思えた。

 愛人宣言を聞いて、むしろ良かったと思ったほどだ。


 後日、そのメイドが大公国の聖騎士で暗殺者で愛人でもなんでもないと聞かされた時は、冷静沈着を心掛けるアルクですら目を丸くしてしまった。


 聖騎士で暗殺者って何だ!?

 それが本当なら国際的な大問題である。


 王国の大貴族である公爵を大公国の聖騎士が暗殺しようとしたとなれば、その理由がどのようなものであれ、それだけで王国がそれを口実に大公国を滅ぼし大公一族を処刑することも可能な大々事件だ。


 王国にもメンツというものがあるからだ。

 というか、メンツ第一主義だ。

 公爵閣下もそれを良く分かっているはずだ。

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