第105話リーアの問い

 はぐはぐとビスケットを口いっぱいに詰め込み、水をゴッキュゴッキュと飲むリーアを見て、疑っていた自分が実に馬鹿らしくなった。


 すぐに出発なので、簡単な水拭きと食事だけはさせておいた。


 先程の鼻水と涙を流した顔では分からなかったが、可愛らしい顔立ちをしている。


 リーアが言った通り、ちょび髭親父とやらとのベッドインを断ってから、待遇はすこぶる悪かったようだ。


 こちらとしては有難いが、リーアが行った偵察ついでに村や町の人を逃したことは、帝国からすれば利敵行為とも言われかねない行動ではある。


 鉄山公とずっと行動を共にしていた彼女には、その帝国愚連隊のやりようがどうしても納得出来なかったようだ。


「納得できる訳ないよ!

 なんで同じ人間にあんな酷いこと出来るのよ!

 アイツらは人間じゃない、虎狼だよ!」


 虎狼とは人でなしってことね。

 それでも数が居ればその暴力は肯定される。

 それが戦争だ。


 援軍に向かったメラクルたちが心配にはなるが、もう俺に出来ることは何もない。

 俺は俺の成すべきことをするだけだ。


「リーア、お前には戦場に共について来てもらうしかない。

 こちらの行軍は誰にも知られる訳にはいかないからな」

 リーアはビスケットをさらに口に突っ込み、モグモグとさせたまま首を傾げる。


 おかしいな?

 俺は年頃の娘を保護したのではなく、小動物を拾ったのだろうか?


「公爵様自ら隠密作戦なんですか?」

 リーアは不思議そうに尋ねる。


 あ、そこからなんだ。

 具体的な話などいう訳にはいかないので、色々あるんだよ、でまとめる。


 そうなんですねぇ〜とリーアはなおも呑気な返事だ。

 自分もその戦場に巻き込まれておきながら、気にならないのかなぁ? 

 俺が疑問に思っていると、リーアはその俺の様子を見て。


「公爵様。

 一兵卒には戦争の状況もどうして戦争が起こったのかも、本当のことは何も分からないですよ?」


 その言葉を言った時だけは妙に大人びた達観した顔をしていた。


「……それもそうだな。

 それと軍人として褒められたことではないだろうが、戦争に巻き込まれた罪無き民を救ってくれたことには王国公爵として礼を言う」

 俺がそう言うと、その時初めてリーアはビスケットを口に運ぶのを止めた。


 要するにそれまで公爵を前にして、ずっと堂々とビスケットを食い続けていたわけだがな!


 リーアは無表情で何かを探るように俺の顔を見つめた。


「……なんだ?」


「公爵様は初めて会った時も町をモンスターから救おうとしたよね? なんで?」


「なんでって……自分の領地だ。

 守るのは当たり前だろ?」

 聞くまでもないことだと思うが?

 でなければ今も帝国との絶望的な戦いをしようなんて思わんぞ?


「そう。

 じゃあどうして……。

 以前、貴方は自分の領地の街を燃やしたと聞いたことがあるのは、なんで?」


 その時のリーアの瞳は、何故か、そう、ユリーナの真っ直ぐな瞳と似ているように感じた。

 目を逸らすことの出来ない意志のこもった瞳だ。


 メラクルにも似たような質問をされたことがあったな。

 あの時は、覚えていないと答えたのだったな。


 リーアの今の質問は『記憶のない俺』に対して、ではあるまい。

 公爵として起こしたことについて、真実を尋ねているのだろう。


「……帝国が王国を攻めているが、どちらが悪いか分かるか?」

「へ? えーっと、どっちも悪い?」

 リーアは急な質問返しに目をくるくるさせながら、自信なさげにそう答える。


「そうだ。

 同時にどちらも正しい。

 俺が公爵として、あの街にいる反乱勢力を放置することは出来なかった」


 もちろんあの当時、多くの無関係な者たちも相当数居た訳だから、巻き込まれた者は公爵を……俺を恨むのも当然だ。

 じゃあ、俺はあの出来事を謝罪すれば良いかと言えば、そういうことにはならない。


「……仕方のない犠牲だった、そう言いたいんですか?」

 先程までの情けない姿は微塵もなく、その回答次第では許さない、そう言っているようだった。


「仕方のない犠牲などあるものか」

「えっ?」


 少し前までは何処か他人事のような感覚は残っていた。

 だがそれは確かにハバネロという俺が引き起こした過去なのだと、少しずつ実感していた。


「大を救うために小を見捨てる。

 為政者ならそういう時もある。

 だが、失った嘆きは、失った苦しみは、どうあっても取り戻すことなど出来ない。

 それでも選ばなければ全てを失うなら、選ぶしかなかろうよ」


 失わせた痛みはいつまでも抱えるしかない。

 それが王国公爵という権力者に生まれた定めだ。


「それって……犠牲を背負い続けるってことですか?

 そんなこと、出来るんですか?」

「さあな。

 いつか潰れるかもしれん」


 今はやるべきことがあるから動くが、それがなくなれば。

 ああ、だから何処かで俺は終わりを求めているのかもしれない。


 それともゲーム設定におけるハバネロ公爵の討伐の時に、俺なりの辻褄合わせでもしようというのか。


「駄目ですよ?」

「ん?」

「生きて生きて生き抜いて、失った命の償いをして欲しいです。

 それしかないと思います。

 それなら……」


 私も許します。


 それは彼女の口から言葉として出た訳ではない。

 だが俺の中に言葉のように伝わった。


 考えておくよ。

 だから俺も言葉にはせず、心の中だけで応えておいた。


 ……不思議と通じ合う瞬間とでも言おうか、それが何か意味があったのか。

 その時、不意に何故かあの映像が頭の中に浮かび上がる。




『忘れさせて?』

 黒髪の女は青い髪の青年の首にしがみ付くように腕を回す。

 そうして、黒髪の女はその男に深い口付けを捧げる。

 青髪の男……おそらくゲーム主人公もそれに応えるように彼女を抱き締める。

 そうして、2人はベッドに倒れ込み艶やかな黒髪は柔らかなベッドの上に広がり……。

 



 いや、なんでだよ?

 以前のような吐き気は全くない。

 黒髪の女がユリーナではないことだけは分かったから。


 しかしまあ、前々から分からなかったが、これでまた更にこの記憶が何なのか分からなくなった。


「公爵様?」

 記憶の中と同じ髪色をした女は俺の様子を見て、不思議そうに首を傾げる。


「いや、なんでもない」


 考えても今は答えは出ないだろう。

 俺はいつのまにか自身の顔の半分を覆っていた手を離し、深くため息を吐くに留めた。

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