第93話リターン9-運命は

 逃げた皇帝を追い掛けて、ハバネロ公爵は軍を2つに分けた。

 500は戦場に散らばった兵を回収しながら王国北部に向け進み、自らは2000を率いて帝国領内に入り込み迂回する様に。


 2軍でもって皇帝を挟み追い込むことにしたのだ。


 この段階でハバネロ公爵と言えど、王都側の戦況がどうなっているかを知る由もない。


 ハバネロ公爵が進軍すると、公爵領にほど近い帝国と王国とを縦断する大河がある。

 そこで50にも満たない友軍と遭遇した。


 予期せぬその会合にハバネロ公爵すらも、驚きを隠せなかった。


「ハバネロ公爵閣下……」

「……我が婚約者殿か。

 こんな前線にまで出向いているとは」


「よく言えましてね?

 王国の方々は帝国軍を前にして、早々にお退きになられましたよ!」


 がるると吠え掛かるが如くのユリーナ・クリストフの態度に、流石の悪虐非道と呼ばれたハバネロ公爵もたじろぐ。


「あ、いや……ご苦労だったな」


 傲慢なハバネロ公爵らしい言い方……ではない。

 この男のこれが精一杯の労いの言葉だ。


 数えるほどしか会話も碌にしたことがないユリーナ・クリストフが、そのことに気付いたかどうかは分からない。


 ユリーナ・クリストフはしょうがないとでも言うように、ため息を一つ吐いただけに止めた。


 救われぬ空気が漂う中、ハバネロ公爵はユリーナ・クリストフに尋ねた。

 大公は息災か、と。


 これもまた彼にしてみれば、ただの婚約者への挨拶のようなものだったが、この時、大公は未知の病に冒されており息災とは言えなかった。


 ユリーナ・クリストフは少し体調を崩してますが、すぐに良くなりますと答えるに留めた。


 それからハバネロ公爵はユリーナ・クリストフの状況を確認。

 この時、王国に雇われたシルヴァ・リコール率いる銀翼傭兵団が合流していたのだが、それについて彼は指摘をしなかった。


 公爵領、さらに大公国に繋がる王国南部戦線は実質崩壊しており、この地域一帯を支えていたのは、このユリーナ・クリストフ率いる大公国部隊だったからだ。


 彼女らがこの地域一帯を防衛出来たのも、帝国自体が王国中央北部にかけての王都を目指していたために、回していた帝国兵も500を切っていたということもあった。


 こちらに回していた王国兵はまるで役に立たず、傭兵団と大公国の一部隊に王国南部が支えられていたなどと恥以外の何者でもない。


 だが大戦の推移どころか、南部戦線の状況もユリーナたちは把握出来てはいなかった。


 彼女らはただ必死に戦い続けて、いつの間にか最前線を抜けて帝国領内手前にまで入り込んだに過ぎなかった。


 ここでハバネロ公爵は少し思案した。


 彼女らが少数であることは変わらない。

 その彼女らが南部に引き返し残党処理をしてもらうよりも、大公国なり公爵領から予備部隊でも回した方が効果的と考えた。


 そして彼女らには敵の後背を突いて貰い、可能ならば留守を守っているはずの帝国宰相オーバルを討ち取って貰うことを『要請』した。


 ここで大きな齟齬そごが生まれた。


 この時、ハバネロ公爵は確かに『要請』した。

 そうしてくれるように、『頼んだ』のである。


 しかし、ユリーナ・クリストフのみならず誰もがそれを『命令』と捉えた。


 当然である。


 今までハバネロ公爵がその様に指示や命令はしても、『頼み』などしたことはなかったのだから。


 つまり、ユリーナ・クリストフや哀れな傭兵団は、命に代えてもその『任務』をこなさなくてはならなくなったのだ。


 当然、ハバネロ公爵にその意図はなかった。

 後方撹乱さえ行なってくれれば良いという程度のものだった


 この致命的とも呼べるミスが何故起こったのか。

 本当に酷く単純なことだった。


 今までの行いの所為である。


 それにハバネロ公爵自身にも、まったく心の余裕がなかったのだ。

 英雄の資質を持てど、ハバネロ公爵自身もまだ青年と呼べる年。

 この混乱の大戦で限界以上の力を見せども、それにはどこまでも限りがあった。


 もしもあの日、ハバネロ公爵の元に大公国からの暗殺者が来ていなければ。


 まだハバネロ公爵は他の誰かを信じることが出来て、その誰かはハバネロ公爵を裏から支えてくれていたかもしれない。


 例えばハーグナー侯爵を、例えば大公国を、例えば……王太子を。


 何よりハバネロ公爵の間違いを命懸けで進言出来る忠臣は、既にそのほとんどがグロン平原の決戦で死に絶え、最後の忠臣サビナ・ハンクールも別働隊を率いており、この場には居なかった。


 もしもこの時、その間違いを指摘出来る者が居たならば。


 それは無意味な仮定である。

 歴史に限らず、人の人生にもしもというやり直しは存在しないのだから。

 だからこそ、人は過ちに常に向き合う覚悟が必要なのだ。


 最後にハバネロ公爵はあの茜色の髪をした聖騎士のことを知ってるか、と尋ねようとしたが……思い止まり。

 結局、そこでユリーナ・クリストフと別れた。


 ユリーナ・クリストフは多くは言わなかった。

 ただ誰にも聞こえない音で唇が動く。

 嘘吐き、と。

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