第95話失われたはずの記憶

 目覚めると酷い頭痛だった。


「閣下。大丈夫ですか?

 かなりうなされておいででしたが」


 様子を見に来てくれていたのだろう。

 サビナは俺に水を差し出しそう言った。

 それを受け取り、一口含んで口の中を潤した後に一気に飲み干す。


 移動途中のテントの中。

 華美ということはないが、それでも広い。

 公爵という立場であるので、兵たちと一緒に雑魚寝という訳にもいかない。

 そんなことをすれば兵たちは緊張で眠れないだろうし、緊張のあまり暗殺なんて考える奴も居るかも、である。


 流石に兵たちの中に怨嗟の声を洩らす者は今のところ居ない。

 兵に恨まれればいつ後ろから刺されるやら分かったものではない。


 ゲームでもハバネロ公爵がそうだったように、兵たちも生き残るのに必死だ。

 ハバネロ公爵の悪名すらも戦争では勇名というものだ。


 なんであろうと生き残るためにすがりたいのだ。

 それに付け加え、俺が後方の補給体制を支援していたこともあり、他の軍よりは補給も優遇されているので、現状は士気が高い。


 それでも油断しない。

 油断出来るほど余裕はこれっぽっちもないからだ。


 そもそも詰んでますので。


「……ああ。

 すまない」

 心配そうに俺を見つめるサビナにそう声をかけた。

 喉はガラガラというか、イガイガするほどだ。


 ……夢が近づいて来た、とでも言えばよいか。


 ユリーナのキスから目覚めてしばらく経った訳だが、正直言うとその瞬間のことは大分記憶が薄れてきている。


 今と同じように、まるで夢を見た後のようなそんな感覚。

 記憶が遠のき、あの時、何を感じたのか思い出せなくなるような感覚。


 何を考えたかは、まだ覚えている。

 自身をハバネロ公爵として、どこか他人を見るような感覚に囚われていた。

 ユリーナに対しても、そうだ。

 人気の演者や噂だけ聞いていた有名な美女が目の前に現れたような感覚。


 全てを一言で言うならば、現実感がなかった。

 もっと分かりやすく言うならば、夢から覚めて寝ぼけた状態だ。


 そしてその中でも一際異彩を放った記憶。

 ゲーム、アニメ。

 何度も繰り返し考えるが、なんだそれは?

 まったく聞いたことはない、はずだ。


 ……そう思っていた。


『……ああ、最期に。

【悪魔神】を知っているな?』


 夢で皇帝を殺す際に、ハバネロ公爵が放った一言。

 皇帝も悪魔神を知っていた。


 ではどこで?


 巨大な振り払えないモヤがかかっているようなそんな気持ち。

 失われたかつてのハバネロ公爵の記憶の中にその名を知る何かがあったのだ。


 分からない尽くしだ。

 それに大事なことがもう一つ。


 夢でははっきりとしなかったが、掲げられた首は王太子のもので間違いないだろう。


 主戦場で5000の帝国軍に勝利し、陽動と後詰に来ていた3000と遭遇するも難なく勝利。

 包囲し追い詰めた皇帝を殺害。

 帝国兵を逃すことは出来ないため生き埋め。


 今までゲーム設定では具体的な戦争の推移や配置は不明だった。

 主人公視点しかないから当然なのだが。


 ハバネロ公爵はどうやって帝国に勝利したのかと思っていたら……。


 コイツ! ハバネロ公爵の奴……。

 王国という沈む船を救うため王太子を!!


 囮にしやがった。


 無能の第2王子と第4王子とレントモワールが『必ず』負けると分かっていた。


 それは最早止めようがない。

 言っても聞かないし、止めようとすれば巻き込まれて一緒に自分たちも帝国に粉砕されるだけだ。


 だが、その後だ。

 帝国が軍を分けたところを王太子を囮にして包囲殲滅。

 残りは決死隊による自爆攻撃。


 もしかすると、マボーもレントモワールもドサクサでハバネロ公爵が討ったのかもしれない。


 残っていれば国を救う害悪にしかならないからだ。

 ハバネロ公爵の謀略を疑おうとも訴えるべき派閥はこの戦いで消滅。


 大した謀略家だ。

 そりゃあ、ゲームでのハバネロ公爵に対して悪虐非道の覇王の名も広まる訳だ。


 かくしてハバネロ公爵は王国の覇権を握る。

 野心ゆえ……だけとは限らない。


 貴重な従臣や練度の高い兵を多数犠牲にしての辛くもの勝利だ。


 帝国最強の剣士ロルフレットを身体で羽交い締めにして、ハバネロ公爵にロルフレットごと貫かれたのはアルクで、別働隊を率いていた人物……自らの身体ごと帝国2000を燃やしたのはラリーだった。


 ハバネロ公爵にとって王国とは、祖国とはそこまでして守るべきもの、だったという訳か。


「ちょっと……あんた酷い汗よ?」


 手にタライを持ってテントに入って来たメラクルが、メイドらしくそのタライから水浸しの布を、はい、と手渡してきた。


 拭いてくれとは言わないが、せめて絞って渡してくれ……。

 そう思いつつ、布を軽く絞ると水がバシャバシャと落ちる。


「うわっ!?

 ちょっとあんた、こっちに向けて絞らないでよ! 水掛かったじゃない!」

「うるせぇ、水を絞ってからよこしやがれ!」

「うわっ! 偉そう!」


 偉そうじゃねぇ! 偉いんだよ! それは今更も今更なので口にはしない。

 本当に今更なので。


 寝床のすぐそばに置いてあったユリーナの絵姿を手に取る。

 今日もまた美しい……。

 絵姿なんだからいつも一緒なんだが。


「ちょっと、姫様の絵姿眺めて恍惚こうこつとしないでよ。

 キモいよ?」


「うるせい!

 愛しい婚約者と離れて寂しい気持ちが分かるか!」


 絵姿ぐらい眺めさせろ!

 俺の憩いの時間なのだ。


「私、そういう相手居ないし〜」

「あ、うん、正直、ごめん」

 俺は即座に迷いなく謝る。


 公爵は簡単に謝ってはいけない?馬鹿言うな、こんなの切なすぎるだろ。

 サビナもそっと目を逸らす。


「ちょっとー!

 せめて笑ってよ!

 辛いじゃないのー!」


「悪魔神の問題とか片付いたら、公爵家の総力を上げて良い男探してあげるからね?」


 俺、優しいなぁ〜。


「……それって何年後?」


 さあ?

 俺は目を逸らしたまま、メラクルが諦めるまで知らないフリをしておいた。


 誤魔化すことも兼ねて、受け取った布で顔の汗を拭く。

 ひんやりとした水気が頭を冷静にさせる。


 ……ゲームと同じ手は使えない。

 王太子を、信じてくれた人を犠牲にするなど。

 真っ平ごめんだ。


 だがそれほど苛烈な手を使わなければ、ゲームでは王国の勝利の糸口すら見えなかったのだ。


 ゲーム設定を知っている。

 それが設定通りにいくならば、戦争においては半ば卑怯技。


 何処にどんな数のどの部隊がやって来るか分かるのだ。

 ただそこまで知っていても、真正面からの兵のぶつかり合いでは勝ち目がない。


 詰みすぎだろ……。




 そこでふとメラクルと目が合う。

 今回もまた、ジト目。


「……ねえ、あんた。

 そろそろ言ってくれても良いんじゃない?」


 サビナを見ると、こちらは気遣うような表情で。

 聞きたいだろうに、今までずっと聞きもせずに。


 俺は深くため息を吐く。

 2人を見直すと、2人とも黙って俺の反応を待っている。

 問い詰めるのではなく……まるで見守る様に。

 だから俺は観念するしかなかった。


「お前ら、ゲームって言葉、知ってるか?」

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