第70話リターン5-暗躍する闇
「何故だ! 何故、奴は失脚していない!
任務を失敗した無能な部下は始末した。
奴は王国でも嫌われ者のままだ、協力者の話ではさらに信用を無くし落ちていくはずではなかったのか!
これでは我が大公国はどうなることか!
奴が更なる無理を言って来たら……、くそっ!」
パールハーバーが部屋の中を苛立ち気に歩き回る。
それをベッドの中で気怠けに豊満な女性らしい半身を起こしながら、虚ろな冷たい目でカスティアはパールハーバーを見つめる。
この男も存外、役に立ちそうもないわね。
それがカスティアの偽らざる本音だった。
連綿と引き継がれてきた黙示録への布石として、敬虔な神の信徒でもあったパールハーバーの思考を司祭に扮した邪教集団の幹部の手で少しずつ少しずつ、誘導して聖騎士らしからぬ暗殺行為に踏み切らせた。
王国の貴族がパールハーバーを利用しようとしていたことで、邪教集団は丁度良い隠れ蓑を得たのも神が味方したのだと言えよう。
アルバート・パールハーバーは本来、聖騎士らしい聖騎士であった。
その聖騎士を歪ませたのは大公国の苦境であり、その苦境に落とし込んだハバネロ公爵であった。
カスティアも教会のシスターのフリをして女神の名を騙り、王国貴族の計画を後押しする様に、パールハーバーの背中を押しただけ。
そんな暗殺『未遂』事件もパールハーバーからすれば、操られた結果ではなく、崇高なる愛国の精神による行動と思っていたはずだ。
逆にその彼の愛国心の妄想が、計画とのズレを生んだとでもいうことかしら?
ハバネロ公爵への暗殺未遂事件は事件となることもなく、1人の愛人を生み出しただけに留まり、その愛人もある時、ハバネロ公爵の元から姿を消したという。
それが暗殺に向かったはずのメラクル・バルリットという聖騎士。
そのメラクル・バルリットはハバネロ公爵への暗殺の隙が見当たらないとして、実行を断念したという。
見た目が美しかったためにハバネロ公爵の愛人として、殺すべき相手の懐に入り時を待ったがそれでも隙が見当たらず大公国に帰国したそうだ。
そして、口封じにパールハーバーに消された。
ハバネロ公爵をパールハーバーを使い、邪教集団が陥れようとしたことには訳がある。
邪教集団に伝わる黙示録によれば、かの公爵が『神』に抗しうる魔剣を創り上げる可能性があるというのだ。
もっともそれはこの介入で上手くいかなくなる可能性も高い。
ハバネロ公爵と大公国との繋がりが無ければ、その魔剣は完成しないのだから。
それこそが邪教集団の本当の目的であり、たまたまではあるが今回の計画を企てた王国貴族と利害が一致したのだ。
どのような道を通ろうともやがて大公国、帝国、王国が破滅し、そこからは坂道を転がるように世界は崩壊すると黙示録は伝える。
何をどのように崩壊するのかは、邪教集団教祖でもまるで分かっていないのだが。
そうだとしても、カスティアはどうと思うこともない。
邪教集団と呼ばれる集団の中で、心などその集団に入る前からとうの昔に壊れている。
身体を使うのもハサミや刃物を使うのと何も変わらない道具にしか過ぎない。
邪教集団の主張する黙示録で、世界が崩壊した後に訪れる新世界とやらにも何も興味はない。
少しだけ気に入っている艶やかな長い黒髪の先をなんとなしにいじる。
それから飽きもせず部屋を歩き回るパールハーバー。
カスティアはもう少しだけその背を押す。
邪教集団の幹部の指示のあった通りに。
ベッドの下に落ちていた自身のシスター服から小瓶を取り出し毛布を裸体に巻き付けパールハーバーに歩み寄る。
緩やかに背中から彼の身体にしなだれかかるように手を回す。
「……断罪が上手くいかなかった以上、大公国を救うには古い血を入れ替える必要があるわ。
貴方なら今度こそ救えるわ」
小瓶を手に握らせる。
貴方なら、それはなんと甘美な言葉だろう。
まるで選ばれた唯一のようにパールハーバーは感じたことだろう。
元が高潔な聖騎士。
全ての物事は表裏一体。
正義は誰かにとっての悪で、高潔さは正しく機能すれば尊いが、過ぎれば融通の利かず思い込みが激しく潔癖であるということ。
その皮肉さにカスティアは可笑しくてたまらない。
そうだ、恵まれたお坊ちゃんが堕ちていくのを見るのは堪らない。
その暗い衝動を抱えながらも、カスティアはそんな自分がたまらなく……。
「神の雫というの。
これを吸った者は神の審判を受けるわ。
正しき者は問題がないけれど、正しくない者はその裁きを受ける」
神は神でも邪神由来の薬。
魔の薬とも呼ぶ人の身体を
カスティアは彼の耳にその赤い唇を寄せ
「貴方が救うの。
他でもない聖騎士としての貴方が」
言葉の毒はパールハーバーの心に染み込む。
もう取り返しが付かないほどに。
壊れてしまえ、全て。
その暗い衝動を抱えるカスティアは、そんな自分がたまらなく……嫌いだった。
悪夢は加速する。
各々の正義という名の欲望を乗せて。
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