第30話リターン2ー悪夢の記憶
「権力に取り込まれたる聖なる騎士など惨めなものよ。
大公国は今後も王国の犬として頑張って頂きたいものだ」
口付けを奪った後で事実を言う。
頬を叩く軽快な音が室内に響く。
「例え身体を奪われようとも、心を奪うことは出来ません」
「ふん、いずれ我が物になる定め。
遅いか早いかの違いよ」
「貴方と言う人は!
……いえ、伝えるべきことは伝えました!
失礼します!」
婚約者である大公国の姫ユリーナ・クリストフはそう言ってハバネロ公爵の私室を出る。
「……ふん、ユリーナ・クリストフ。
あの程度の挑発でアレとは……やはり直情的に過ぎるな。
あれでは王国の魑魅魍魎の貴族の相手は出来んな。
大公国の聖騎士というのはやはり時代に取り残された小国でしかない、か」
彼女をそう評価し、ソファーにふん反り返るように座り飲みかけの赤いワインを傾ける。
赤く芳醇な香りのした高級ワインを味わうように傾ける。
だが、ハバネロ公爵には長い間、いいや、酒を覚えた最初からそれを美味いと思ったことはない。
それを護衛のサビナ・ハンクールは何も言わず黙ったまま控えている。
どれほど時間が経っただろうか。
部屋の扉がノックされる。
「お茶をお持ちしました」
お茶だと?
一瞬だけ眉を
サビナは心得たように頷きを返す。
「入れ」
カートを押し1人のメイドが入って来る。
一足飛びの距離まで近付いた瞬間に、メイドがカートをこちらに押し出し飛びかかろうと……したところをサビナが抑え込んだ。
「さて……何処の手の者か」
「殺せ!」
メイドはこちらを睨みつけ、そんなことを口走る。
冷たい目で見下し、気まぐれに首を刎ねるのも良いかと愛剣サンザリオン2を抜き。
あることに気付く。
メイドの手から溢れた小刀。
「これ、は……!」
聖騎士の護り刀と呼ばれる聖騎士である証明となる小刀。
各国の紋章が刻まれており、そこの紋章は……大公国。
婚約者ユリーナの祖国である。
国と国との取り決めによる婚約関係であり、それは両者の友好関係を形だけでも示すものである。
その婚約元の大公国が『聖騎士』を動かしてでもハバネロ公爵を除こうとしたということ。
それが意味するところは。
顔の半面を手で覆い、歯を食いしばる。
「……サビナ。ソイツを牢に連れて行け。
如何なる手段を使っても首謀者を吐かせろ。
聞き出した情報は漏らさせるな、漏らした奴は……殺せ」
サビナは静かに一度だけ目を閉じ、それから頷く。
「誰か! この者を牢へ!」
サビナが廊下に待機する衛兵に声を掛けて、メイドの襲撃者を連れ部屋を出た。
1人になったハバネロ公爵は、暫し目を見開いたまま呆然としていた。
そして……。
「クハハハ……、ハハ……ハハハ」
乾いた笑いだけを。
つまり大公国はこのハバネロ公爵との関係を切り、敵対しようと言うのだ。
王国と敵対を選んだのか?
今度は帝国の犬に成り下がるか?
可能性は低い。
両国はそれを可能にするほど親密ではない。
ならば婚約解消を言ってくるか、そうして次に繋がる相手に選ぶとしたら、それはおそらく第4王子マボー。
教導国の聖女の失踪により、その相手との政略結婚の可能性がなくなったがために、今度はそちらにつこうと言うことだろう。
軍務相レントモワール卿が後ろに付き、最近は何かと小賢しい。
特に帝国が動いている情報の元、軍備予算が増大し、結果、奴の派閥も上り調子だ。
貴族派のハバネロ公爵とは不倶戴天の敵と言って良い。
その相手に婚約者であるユリーナも奪われる……。
想像しただけではらわたが煮えくりかえるようだった。
奪われるなら、いっそ……。
「奪わせん。
俺が奪うことはあっても、何一つ俺から奪わせはせん」
また片手で顔の半面を覆う。
覆った片目の目蓋の裏に焼ける街の情景が浮かぶ。
反乱軍の拠点という噂があり、ハバネロ公爵の名の下に調査をしていたところ強硬派が町を焼いた。
駆けつけて遠くから燃え盛り、焼けつく匂い。
見えないはずの町の者の苦しむ声が聞こえた気がした。
「がぁああああ!!!」
ソファーに剣を叩き込む。
強烈な一撃はソファーを粉砕するが気は晴れぬ。
暴れ暴れて棚も砕く。
納めてあった物が散らばり、そこにユリーナの絵姿が、それをも粉砕しようと剣を振り上げ……。
力なくその手を下ろす。
「俺は……ハバネロ公爵だ……」
王国で1番の貴族である。
そうであるならば、俺をコケにした者に目にモノを見せてやらねばならん。
王国の公爵であること。
そのプライドだけが今のハバネロ公爵を支える唯一の……。
それからどれだけの期間が経ったか。
他国の状況報告に来ていたサビナに、ふと思い出したような口調でハバネロ公爵は尋ねた。
あの女はどうなった、と。
サビナは申し訳なさそうに、拷問官によって廃人にされました、と。
ハバネロ公爵はサビナを殴り飛ばそうかとして……無意味であると気付き。
「そうか」
それだけ言って、ソファーから動かずにまた赤い赤いワインを口に運ぶ。
「その拷問官は何処の手の者か分かったか?」
拷問官がやり過ぎただけとも考えられるが、誰かの手が入っている可能性もあるためだ。
「ブローリー伯爵の手の者と」
ならば今回は……おそらく口封じであろう。
同時にハバネロ公爵と大公国との亀裂を決定的にするため。
ブローリー伯爵、その名は覚えがある。
大公国のパールハーバー伯爵と縁戚関係にあるハバネロ公爵の派閥でもある貴族派の王国貴族。
……飼い犬に手を噛まれたか。
なお、パールハーバー伯爵は大公国の騎士団の長である。
「……そうか」
ハバネロ公爵はやはり、それだけを言うだけに留めた。
そうして……悲劇は加速する。
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