第236話:エピローグ 7-7
- その日の夜 -
リーンベルさんが冒険者ギルドから帰ってくると、すぐに夜ごはんが始まった。
久しぶりに帰って来たばかりの今夜は、リーンベルさんが満足するまで作り続ける必要がある。
堕天使リーンベルさんを完全に鎮めるためには、絶対に必要なこと。
当然、メニューは大好きなから揚げ定食である。
「から揚げが味変するなんて、新たな一歩を踏み出した感じがするね」
あなたの食欲は10歩くらい進んでしまいましたけどね。
から揚げ2つで大盛りのご飯を一杯食べるのはやめてください。
米とパンはお金で買っているんですから、在庫がなくなったら大変なんですよ。
フェンネル王国に全額を寄付した影響で、僕とスズは無一文である。
節約をする時、初めに意識する出費が食費だと思うけど、ここに手を付けることができないのは痛い。
今まで餌付けをして好感度を高めてきたせいで、質素な食事になれば嫌われてしまうはず。
特に莫大な量を食べるリーンベルさんは、普段から制限をかけてもらっているんだ。
1食30人前程度という、意味のわからない制限を。
でも、おいしそうに食べるリーンベルさんを見れるのは幸せだ。
この笑顔を守るため、どんどん料理を貢ぎたくなってしまうほどに。
ちょうど揚がったばかりのから揚げをリーンベルさんに差し出す。
そこへレモンをサッと搾るのがスズだ。
普段から金遣いの荒いスズは、貧乏になったことを気にしてないのかもしれない。
初めて出会った時から、ばら撒くように贅沢な金遣いをしていたからね。
なんだったら、食料を配っていたくらいだったし。
それなのに、お金で悩むことになるなんて。
スズのポイントを上げすぎた代償は、今頃になって大きいことに気付いた。
唯一の仕事が冒険者であり、世界樹が安定を取り戻した今、魔物の動きも落ち着きそうで、儲け話は減ってしまう。
もちろん、平和になることは良いことなんだけどね。
1度ガッツリ稼いだ経験があると、スタンピードで手っ取り早く稼ぎたくなるんだよ。
ブリリアントバッファローも大量に狩ったばかりだから、これ以上は生態系に異常が出る可能性もある。
そんな僕の悩みを知らないリーンベルさんは、ガツガツとご飯をかきこんでいく。
空になった茶碗をフィオナさんに差し出すと、リーンベルさんのためにご飯をよそっていた。
怒られたことが相当怖かったらしく、フィオナさんは機嫌取りに必死のようだ。
王女のフィオナさんにお金を頼るのは、僕の中に僅かに存在する男のプライドが許さない。
というより、フィオナさんとリーンベルさんはただの友達。
リーンベルさんを養ってもらうわけにもいかず、頼れないのが正解になる。
そもそも、フェンネル王国の方がお金を欲していると思うけど。
じゃあ、受付嬢として働くリーンベルさん自身に出してもらえばいい、と普通の人なら思うだろう。
残念ながら、それもできない。
だって、僕はもう知っているから。
彼女がこっそりと色んな店に出歩いて、自分のお金で買い食いしていることを。
リーンベルさんの給料は毎月計画的に消費されていて、彼女の貯金は全くない。
毎日の食事を30人前で我慢できるのは、裏でフリージアにあるパン屋さんを全てハシゴするという、謎の努力をしている結果でもある。
完全に自己欲求を抑えきれていない、ただの大食いなんだけどね。
嫌われるのが怖くて、注意することができないんだ。
やっぱり金を稼ぐのは男の仕事なのかと思いながら、から揚げを揚げていく。
堕天使リーンベルさんに説教された時間が長かったため、下準備をするだけで精一杯だったよ。
作り置きをしている時間がなかったせいで、久しぶりの我が家でゆっくり過ごすことができない。
だって、リーンベルさんの食事スピードには敵わないから。
皿の上のから揚げが無くなったことを察した僕は、アイテムボックスに残っている角煮とポテトサラダを取り出した。
少し別のメニューで食休みしてもらい、少しでも満足してもらう作戦だ。
もはや、食休みという概念が壊れているけど。
ここまで来ると、自分の危機的状況にも直面してしまう。
アイテムボックスが空になれば、家庭料理を作る子供という僕のポジションが消失する。
そうなれば、リーンベルさんだけでなく、スズやフィオナさんも離れていくかもしれない。
愛はお金で買えないとよく聞くけど、お金がないと愛が冷めることだってある。
時間が経ってしまったトンカツが、微妙な味だと感じるように……。
出来立てのから揚げを差し出すと、機械のように正確なスズのレモン搾りが満遍なく行われ、リーンベルさんの元へ運ばれる。
熱々のから揚げをフーフーして冷ます姿は、誰が見ても癒されるほど可愛い。
1口食べてご飯をかき込む姿には、待ったをかけたいけど。
Sランク冒険者の金なし英雄、スズ。
Bランク冒険者に昇格してしまった、金なし付き人の僕。
復興で予算がカツカツの王女、フィオナさん。
給料を全て買い食いに回す、リーンベルさん。
全員が金なしなのに豪邸に住むという、不幸になるパターンの入り口に立たされてしまった。
異世界転移して不幸になるなんて冗談じゃないよ。
まだ口と口でキスしたこともない僕の幸せは、充分に伸びしろがある。
幸いなことに金を稼ぐ手段はあるんだ。
明日から本気を出して、冒険者活動を頑張っていこう。
お金のことで頭がいっぱいだけど、なんだかんだで久しぶりにリーンベルさんと会えた幸せで胸が高鳴っていた。
異世界に来た時から親身になってくれている、リーンベルさんの存在は大きい。
この街にリーンベルさんがいるから、早く帰って来たいと思うくらいだ。
もっと色々な料理だって、リーンベルさんに食べてもらいたい。
しばらくの間、カレーと餃子は内緒にしておくけど。
満腹という言葉を知らないリーンベルさんが100杯目のご飯を終えたところで、一旦ストップをかける。
このまま放っておいたら、後3時間は続くだろうから。
今まで色々なことに巻き込まれたけど、ダークエルフとの戦いも終わった。
ひと段落がついた以上、お祝いをするならこのタイミングが1番だと思う。
テーブルの上に置いてある食器をアイテムボックスの中へ消して、4つの小皿と小さなフォークを取り出す。
真ん中に置くのは、小さくて丸いチョコレートケーキである『ガトーショコラ』。
僕とスズのパーティ名をもらうことになった、始まりのお菓子とも言えるスイーツだ。
弱そうで女々しいパーティ名だと思ったけど、今では割と気に入っているよ。
いつか作ってあげたいと思っていたんだけど、なかなか作る時間もなかった。
王都でトンカツ様の生誕祭が行われている間は暇だったから、コッソリと厨房で作っていたんだ。
レシピを覚えていなくて、いっぱい失敗したけど。
ジッと見学をしてたタマちゃんとクロちゃんには、「もったいないニャ!」といっぱい怒られたよ。
どっちが師匠で弟子かわからなくなったけど、今では良い思い出だ。
完成したガトーショコラを見て、2人はチョコレートの研究を始めたから、今後の彼女達に期待したい。
当然、今までパーティを組んで、僕を守ってくれたスズに感謝の思いを込めて作ったわけだけど、他にも理由がある。
フィオナさんと婚約することが決まっているから、少しフライングのウェディングケーキ……的なね。
この世界にケーキはないから、そういう文化はないんだけどさ。
正式に一緒に住むことも発表されたし、少しくらい浮かれてもいいかなって。
リーンベルさんに至っては……何もないよ。
ただ餌付けしたいから、一緒に食べようと思ったんだ。
うん、彼女だけは餌付けしたいからだよ。
「えーっと、ガトーショコラを作っておきました。僕のいた世界では、お祝い事……で、食べるお菓子ですね」
いつも新作料理やお菓子を作る時、勢いだけで作り上げて披露していた。
久しぶりに自分から率先して作ったものを出すのは、なんか恥ずかしい。
サプライズといえば響きはいいけど、そんなのイケメンのやることだからね。
僕みたいな醤油戦士がやることじゃないし、やっても似合わないのはわかってる。
だけど、そんなに目を丸くされても困る……かな。
女の子のようにモジモジする僕は、相変わらず男の欠片があったもんじゃない。
多分、ガトーショコラを作れる女の子の方が少ないと思う。
見たこともないホールケーキに目を輝かせるのは、スズとフィオナさんだ。
クッキーにチョコチップとして入っていたチョコレートを贅沢に使ったスイーツに、興味津々。
一方、リーンベルさんは頬を赤く染め、僕に対抗するようにモジモジしていた。
「その……覚えてて……くれたんだ、私の誕生日」
し、知ってましたよ?
も、もちろん覚えてましたからね?
好きな女性の誕生日くらい、か、彼氏なら把握していて当然ですよ。
い、祝い事といえば、り、リーンベルさんの誕生日だと、最初から考えていましたから。
べ、別に動揺しているのは、知らなかったわけじゃないですよ。
照れまくる天使の恥じらいに心臓がやられてしまっただけです。
まったくもう……いつからの付き合いだと思っているんですか。
異世界に来てから、ずっと傍にいてくれる天使の誕生日を忘れませんよ。
適当に作ったカツ丼様の生誕祭とは、わけが違いますからね。
全力で祝うために、甘みを抑えたコーヒーもどうぞ。
「き、切り分けますから、お皿だけ持っておいてくださいね」
無駄に心臓をバクバクさせて、『主役』のリーンベルさんから渡していく。
2番目には、食べ物のことになると待てないスズに。
王女様のように母性が強いフィオナさんは、3番目でも構わない。
もちろん、最後の残りは自分の分。
1番早く受け取ったリーンベルさんは、誰よりも早く口にする。
「んん~っ! おいしいね! なんて言うのかなー、パンみたいなスイーツなのに濃厚なの。……来年は、30個くらいもらえないかな」
最後、小声で恐ろしいことを言いませんでしたか?
ガトーショコラを30ホール食べるのは、世界新記録樹立だと思いますよ。
夜ごはんを食べた後に言うセリフでもありませんし。
おいしそうにリーンベルさんが二口目を食べる中、スズも口へ運んでいく。
「むほっ! 程よい濃厚な甘み! トリュフのように幸せだけで固めることはなく、パン生地を使うことで食べやすく改良。それなのに、最後の口どけはチョコレートなのである。ほんのり苦いコーヒーとの相性もよく……、もう少し甘い方がいい」
ごめんね、君はベタベタの甘党だったね。
いつまで経っても、舌はお子様なんだから。
スズのコーヒーに砂糖を入れて混ぜていると、すでにフィオナさんがガトーショコラを口にしていた。
「チョコレートの甘みが口の中で広がるこの感じ……。まるで甘えん坊のタツヤさんがギュッと抱きしめ、頭を撫でてくれるような味ですね。強く抱きしめる私を、さらに強く抱きしめてしまうような強い甘みに、私はもう……」
どのタイミングで1人だけ妄想に入るんですか。
2人はガトーショコラに夢中で気付いていませんけど、明らかに変ですからね。
そういう欲望はちゃんと僕に体でぶつけてきてください。
あと、僕はそんなにイケメンではないので、ちゃんと抱きしめてくださいよ。
なんだかんだで幸せそうにガトーショコラを食べる3人の姿を見ていると、ふつふつと沸いてくるような感情がある。
きっと、人はこれを幸せと呼ぶんだろう。
このままずっと一緒に過ごしたい。
3人の笑顔に囲まれて暮らしていきたい。
あわよくば、愛し合いたい。
今夜はリーンベルさんの二十歳の誕生日。
特別な夜に食べるガトーショコラのように、今日は素敵な夜を迎えることになるだろう。
「あっ、カツ丼大盛りでもらってもいい? セットでハンバーガーとコロッケパンもお願いね」
うん、いつもと一緒の夜になりそうだな。
アイテムボックスの中が空っぽにならないように祈りつつ、キッチンへと向かっていく。
この後の追加オーダーとして、角煮とからあげ、ハンバーグの準備もした方がいいだろう。
お口直しにプリンも要求されるはず。
まだまだ戦いは始まったばかりみたいだよ。
誕生日を祝ってもらえると思ったらしく、さらに食べるペースが上がったから。
ダークエルフよりも激しい戦いをするため、アイテムボックスからオーク肉を取り出す。
手慣れた手付きでトンカツ用の肉を切り始めると、トコトコトコッという足跡が聞こえ、服の袖をチョンチョンっと引っ張られた。
「手伝う」
スズのポイントを上げておいて本当によかったよ。
火魔法を使えば、魔石の消費量が減って、光熱費の節約になるから。
「明日から冒険者ギルドの依頼、しっかりやっていこうね」
「うん、お姉ちゃんの食費は高い」
君の正義感を満足させる出費が1番高いと思いながら、フライパンを取り出し、同時進行でから揚げを揚げていく。
から揚げの衣のように、ピタッとくっつくスズと体を寄せ合って。
―――――FIN―――――
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