第216話:最初で最後の賭け
幻術の中で戦う2人を、止める術はない。
下手に介入すれば、敵と間違えられて殺されるかもしれないから。
すでに2人は黒いシャボン玉へ何度も当たっている。
それだけならまだいい。
今は互いを敵と認識して、仲間同士で殺し合いをさせられていた。
普段は転移を軸に戦っているエステルさんにとって、魔法を使えない状況は厳しい。
魔力が乱されている幻術の中では、先にやられるのは間違いなくエステルさんだ。
スズの攻撃をガードしたとしても、連撃をうまく対処できていない。
距離を取れば、猫のように飛びかかってスズが追い打ちをかける。
「なぜ貴様が転移を使いこなせる! 私の魔法を奪ったというのか?!」
猫のように襲い掛かるスズが早すぎて転移したように見えているのか、ダークエルフが転移したように見せているのかわからない。
間違いなく言えることは、スズのことをダークエルフと勘違いしていることだけ。
転移魔法が奪われたと、動揺するエステルさんの防御は脆い。
スズがガードを押し返すと、エステルさんの腹部に拳が入って、簡単に吹き飛ばされてしまう。
その先には黒いシャボン玉が待ち構えていて、パァァァーンという破裂音と共に追加ダメージを負う。
それがまた、背後に転移して攻撃されたと思わせるには充分だった。
一方、スズはエステルさんを攻撃した後も、見えない敵と戦い続けている。
何もない空間へ攻撃を繰り出し、休ませてはもらえない。
「幻影には実態が存在しない! もう少し落ち着いて!」
おそらく、ダークエルフが分身して、混乱したエステルさんが無謀な攻撃を仕掛けているように見えているんだろう。
下唇をグッと噛み締め、スズは駆け出していく。
フォローするために近付いていくのは、黒いシャボン玉がいくつも集まった場所だ。
庇うように自ら突っ込んでいき、魔法のダメージを負って吹き飛ばされる。
そんな光景を楽しむように、ダークエルフは黒いシャボン玉を作り続けていく。
絶対に反撃をくらわないようにするためか、決して近付いて攻めては来ない。
用心深い性格なのかもしれないし、防御に不安があるのかもしれない。
さっき、魔法の才能しかない特別な存在、と言っていたから。
普通の魔法使いは物理攻撃に弱いだけじゃなく、反応スピードも鈍くて攻撃を避けることは難しいはず。
1発でも攻撃が当たれば、倒せるかもしれないのに……。
このまま戦いが続けば、間違いなく敗北する。
かといって、幻術を解除する方法が思い浮かばない。
策もなく助けにいけば、幻術をくらっている仲間に殺される。
ハッキリ言えば、9割ぐらい負けが確定しているような絶望的な戦いだ。
2人が再び幻術にかかった時点で、こっちに勝機はないようなもの。
ただし、1つだけダークエルフに誤算を与えるものはある。
幻術にかからないほどの強靭過ぎるメンタルを持った、僕の存在だ。
トリュフを食べて、64万という恐ろしい鋼鉄の精神力を持つ僕に、幻術は効かない。
用心深いダークエルフを倒すなんて、至難の業に近いと思う。
でも、こうなってしまった以上はやるしかない。
なお、討伐方法は信頼と実績のあるハバネロ先生に任せるつもりだ。
愛しいスズさんがボロボロにされ、目の前に転移してお尻を見せ付けてくれたエステルさんが虫の息。
今すぐ助けてあげたいけど、焦ってはいけない。
64万もする鋼鉄の精神力でジッと耐え、ダークエルフを討伐するチャンスを待つのみ。
僕がやることは、2人が倒れるまで見守ること。
いくらダークエルフとはいえ、トドメを刺す時や生死を確認する時は近付いてくるはず。
2人の命が心配だけど、貧弱な僕が攻撃するチャンスはそこしかない。
遠距離からのハバネロ攻撃では、絶対に避けられてしまうから。
勝利を確信した時には気が緩み、油断ができるって誰かが言ってた。
ひたすら僕はしゃがみ込んだまま、幻術にかかってボーッとしたフリをすればいい。
チャンスは1度、僕も戦えるとバレた時点で勝機はなくなる。
衝撃的なハバネロの辛さで戸惑う中、容赦のないハバネロ地獄を与えてやるぜ。
スズさんをボコボコにした罪を、舌でゆっくり味わって胃腸に流し込むといいさ。
大きなダメージを負ったスズとエステルさんが肩で息を始める頃、ダークエルフが動き出す。
一歩、二歩と少しだけ近付き、立ち止まった。
「人間にしてはよくやったと思いますよ。我の魔力を消費させる程度しかできませんが、計画が1日ほど遅れてしまいそうです。早くドワーフの里へ行って、新鮮な死体を集めるとしましょう。”シャドウランス”」
3mほどのミサイルのような黒い槍が作られ、スズとエステルさんに向かって解き放たれた。
ボロボロまで戦った2人は無防備なまま、何も見えていないように脇腹へ衝突。
ドゴッ! と鈍い音がすると同時に、ぬいぐるみのように後方へ吹き飛ばされてしまう。
……2人とも生きてるのかな。
まだダークエルフとの距離は遠いし、ここでうろたえるわけにはいかないんだけど。
「おや? そういえば、小さな子供もいましたね。あまりの恐怖で思考がやられ、動けなくなるとは情けない。我の幻術に一度でも打ち勝ったとはいえ、まだまだ精神は子供ですか。まっ、聞こえているはずもありませんがね」
聞こえていますし、精神だけは大人ですよ。
僕の存在を忘れ去られていたことに驚いていますが。
「あの二人もまだ死んでいないようですから、我の幻術を破った記念に、特別な魔法で殺してあげましょう。いいですよー、この魔法は。猛毒で全身の自由が奪われ、ゆっくり苦しんで死へ向かいますからね。”ポイズンブレス”」
口の中から紫色の気体をしたものが現れ、フーッとダークエルフの吐いた息が僕の方へ近付いて来る。
温かいムワッとする空気が鼻に入ってきて、ちょっと臭い。
なお、雑炊を食べているため、状態異常耐性は付いている。
猛毒だったとしても、自由が奪われることも死ぬこともない。
ただのダークエルフというオッサンの息を嗅がされるという、屈辱的なプレイだ。
こんな時に『へっへーん、効いてましぇーん』と、バカみたいな真似はできない。
丁寧に魔法の説明をしてくれたから、毒が回ったフリをしてみよう。
全身の自由が奪われるなら……、コケといた方が無難かな。
コテッ
「ハハハッ、愉快ですねー! 脆弱な人間らしい姿ですよ!」
よかった、正解のリアクションを取れたみたいだ。
恐ろしいほどの綱渡り状態だけどさ。
ここまで来れば、後はダークエルフの顔にハバネロソースを噴射するだけだ。
……待てよ。
顔にかけるってことは、噴射するところを見られるんじゃないのか?
横顔にかけても意味はないし、後ろからかけても意味はない。
正面、もしくは斜め前方からかけないと、口や鼻、目にヒットしないじゃないか。
もっといえば、口が開いていないと口へ入らない。
痛恨の戦略ミスに冷や汗を垂らしながらも、僕はピクリとも動かなかった。
油断しきっているダークエルフが近付いて来るため、緊張感は高まっていく。
毒で攻撃してきたことを考えれば、僕に追撃してくる可能性は低い。
でも、スズやエステルさんにも同じことをするとは限らないし、通り過ぎたら攻撃のチャンスがなくなってしまう。
ここは……、一世一代の賭けに出よう。
できるだけ距離が近付いた段階で、ダークエルフの魔眼をハバネロで潰してやる。
ボロボロになるまで戦い抜いた、スズとエステルさんを助けるんだ。
ドワーフの里へダークエルフが行ってしまったら、フィオナさんまで殺されてしまう。
僕の子供人生のモテ期を支える貴重な人材を、こんなところで失ってはならない!
ゆっくりと歩いてくるダークエルフが射程距離に入った瞬間、僕は迷わずに手を動かす。
「ハバネロビーム」
「うあああっ! 目が、目が!!」
今こそ追撃のハバネロビームだ! と思って立ち上がると、ダークエルフの反応の速さに驚いてしまう。
敵意全開で僕と向かい合い、ハバネロが当たったであろう左目を押さえている。
そして、瞬時に展開したであろう、半透明の白い障壁で守られていた。
障壁で追撃ができないうえに、魔眼のある右眼は潰せなかったか。
運が100でカンストしているくせに、一世一代の賭けで失敗するなんて。
こういうときに運100が発動しないなんて、本当は運がないんじゃないのか?
まぁ、精神もあってないようなものだったから、今さらだけどさ。
「貴様ッ! いったい何者だ! 猛毒がまわって動けるはずがない! ましてや、我の幻術が効かぬはずはない!」
ハバネロが効いていることは間違いない。
痛みで呼吸が乱れているだけでなく、左目を強く押さえて苦しんでいる。
料理効果で強化したスズですら、赤子扱い当然で倒してしまうダークエルフと対峙してしまった。
最初で最後の賭けがうまくいかなかった以上、僕の負けは確定している。
正直、めっちゃ怖い。
でも、やってしまったことは仕方がない。
僕の中に眠る僅かな男の心が覚醒し、愛しいスズさんを守ろうとしたんだから。
勝てないとわかっていても、男なら立ち向かわなければならない時がある。
「僕はただの可愛い子供ですよ。深く気にしないでください。子供のイタズラを大目に見るのは、大人の役目だと思います」
暴力はいけない、話し合いで解決しなさいって、小学校の時に習ったんだ。
ビビり過ぎた結果、原点に返ることにしただけさ。
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