第205話:ゲシュタルト崩壊
城に戻ってくると、いったん国王と別れた。
僕と料理長は厨房へ向かい、早速料理の準備を開始する。
料理長にはポン酢の調合を任せ、残りの料理人達は2つのグループに分けていく。
1つは大根を擦ってもらい、大根おろしを大量に作ってもらう係。
もう1つはオーク肉を薄く切り続ける係だ。
僕は全体の流れを見て緊張感を与える存在であり、調理の行程に関与しない。
スズを運んでくれたシロップさんに抱かれ、クンカクンカをされることに忙しいからね。
たまにはサボっても許されると思うんだ。
ちなみに、、まだスズは気絶から返ってくることはなく、近くで『膝から崩れ落ちた人』というオブジェ化しているよ。
から揚げにレモンは、相当刺激的だったんだろうね。
「師匠、こんな感じでしょうか」
食べたことのない調味料の配合を任されている料理長が、それっぽく調合して作ってきた。
今日の料理長の責任は重い。
大根おろしと薄く切ったオーク肉で作るお手軽料理、しゃぶしゃぶ。
おいしく食べようと思えば、この世界におろしポン酢を誕生させる必要がある。
レモン狩りをした騎士達も楽しみにしているはずだから、失敗するわけにいかない。
当然、試作品のポン酢を味見してみてもイマイチだ。
どんな味かわからないため、うまく調合できるはずもない。
「違う、もっとオーク肉に合いそうな割合にするため、肉の旨味を肌で感じるんだ。これではオーク肉の味を殺してしまうだろう。ヒントを出すなら、酢をもう少し減らして、何かを足せばいい」
「……わかりました」
自分でもヒントが下手だとわかっているけど、調味料を作った経験はないんだよ。
今頃になって、実はスキルで調味料を作ってます、なんて言えるわけもない。
雰囲気に合いそうなことと、謎の感想みたいなヒントでエールを送り、再び料理長に調合してもらう。
頑張ってくれよ、料理長。
僕の口は早くもしゃぶしゃぶになっているんだ。
さすがに今日はハンバーガーを食べる気分にならないよ。
料理長に熱い視線でプレッシャーを与えていると、騎士団長のファインさんがやって来た。
少しよろけているけど、大きな怪我はしていない。
「もう大丈夫なんですか? 随分と魔法攻撃を受け続けてましたけど」
「肉体的な問題は、回復魔法で治癒している。あそこまで派手に魔法障壁を壊された反動で、明日まで魔力が使えそうにないがな。それで……」
全て言わなくてもわかっていますよ。
無事で何よりですから、から揚げにレモンをかけて食べてください。
から揚げとレモンをアイテムボックスから取り出し、ファインさんに差し出す。
すると、急に手が伸びてきてレモンをつかむ者が現れた。
から揚げにレモンを絞りたい女、スズである。
「レモンのかけすぎは良くない。私がかける」
さっきまで気絶していて、オブジェ化していた者とは思えない発言だね。
だいたい君がそうやって言う時は、本当に適量をかけてくれるけど。
「レモンをかけてくれるのは助かるが、いったいどういうトレーニングをしたらそこまで急成長するんだ? 今まで何度か模擬戦をやって来たが、魔法の質から拳の重さまで、別人のような攻撃だった。獣王様と一度だけ手合わせしてもらったことがあるが、同等レベルに感じたぞ」
ファインさんの言葉は聞こえているはずだけど、スズはから揚げにレモンを絞ることに真剣だ。
1つのから揚げに集中してレモンがかかり過ぎないようにするため、慎重に絞っている。
「格上の敵と実戦で戦う機会が多かった。でもそれ以上に、未来の自分がどれくらい強くなるのかわかったことが大きい。明確なイメージできれば、歩むべき道もわかる」
もしかして、料理効果の影響がそんなところにも出ていたのか?
未来の自分をリアルに体験することで、今の自分に足りないものが明確になってくるんだろう。
回り道をすることもなく鍛えられるから、急速に成長できるようになるんだ。
まぁ、おいしい料理ですぐに倒れてしまうファインさんには、縁のない話だけどね。
「何を言ってるんだ? 未来の自分がどうやって強くなるかなんて、わかるわけがないだろう。誤魔化そうとして……」
バタッ
から揚げをさりげなく口に入れたファインさんは、あっさりと倒れてしまう。
相変わらず料理に抵抗が弱くて、幸せそうな笑顔を見せてくれますね。
どんな理由であったとしても、騎士団長が何度も倒れないでくださいよ。
これから戦争を迎えようとしているですから。
スズがファインさんを邪魔にならないような端っこへ運んでいくと、入れ替わるように料理長がやって来た。
僕は何も言わずにポン酢の試作品を受け取り、指に少しつけてペロッと舐める。
……う~ん、良いような気もするし、何か物足りないような感じもする。
これは試食してみないと何とも言えないかな。
さりげなく移動して、料理人たちが薄く切ったオーク肉と大根おろしを拝借。
鍋にお湯を入れて沸騰させた後、オーク肉を潜らせていく。
その間に大根おろしを試作品のポン酢と混ぜ、オーク肉の色が変わったところでパクリッと食べる。
「料理長、合格点です」
僕の言葉に、料理長はホッとするように肩の力を落とした。
「ありがとうございます。ですが、今日はこれがメニューになるんですか? 正直、今までの料理と比べると簡単すぎる気がして……」
料理長の気持ちもわかる。
カツ丼を作った後なら、しゃぶしゃぶなんて簡単すぎて不安になるんだろう。
本当は昆布だしを使うんだけど、この世界にはないみたいだから、軽く茹でた豚肉を食べただけで料理が終わってしまう。
「大丈夫ですよ、二人を見ていてください。むほりますから」
早くも味見をしたいスズとシロップさんは、勝手におろしポン酢を作ってしゃぶしゃぶしている。
チーズフォンデュの経験もあることで、自分で肉を茹でて食べることに違和感も持たない。
2人は僕のやり方をしっかりとチェックしていたため、必要以上に茹でることもなく、サッとおろしポン酢に潜らせて口の中へ放り込んでいく。
「むほっ! オーク肉がオーク肉じゃない! いや、でもオーク肉。違う、サッパリし過ぎてオーク肉ではない。あれ、でも食べたのはオーク肉」
今までコッテリとした肉しか食べてこなかった反動で、肉をサッパリと食べられることに脳が追い付いていないのかな。
余分な脂が落ちるしゃぶしゃぶで、オーク肉のゲシュタルト崩壊が始まってしまったようだ。
「今までと感じが違うけど~、病み付きになりそうな味だね~。いくらでも入りそうだよ~」
サッと追加のオーク肉を茹で始めるシロップさんとは違い、スズのゲシュタルト崩壊は続いている。
オーク肉とは何なのか、哲学に近いことを考え始めているんだ。
本当に大丈夫なのかと、心配そうにした料理長が試食して、「は~~~ん!」と倒れてしまうのはいつものこと。
フィオナさんが様子を見にやって来たから、料理長は後回しにする。
さりげなく相席したフィオナさんに、サッとおろしポン酢を作って差し出す。
シロップさんの姿を見てやり方を学ぶと、オーク肉を箸で1枚つまみ、しゃぶしゃぶを始める。
「レモンまで活用するとは思いませんでした。香りを楽しむ癒しスポットだけだったのに、まさか料理に使うことになるなんて」
フィオナさんのポイントが上がるのは嬉しいため、から揚げとレモンを差し出す。
すると、またレモンを絞りたい女がレモンを奪っていく。
「レモンのかけすぎは良くない。私がかける」
ゲシュタルト崩壊がしていたオーク肉のことは、早くもどうでもよくなったらしい。
それより、から揚げに適量をかけないと許せないみたいだ。
から揚げにレモンを勝手にかける問題が日本だと起こるけど、適量をかけないと怒る人間はスズだけだろう。
その間にフィオナさんはオーク肉を茹で終わり、しゃぶしゃぶを食べていく。
「まあ! 旨味はオーク肉なのに、サッパリとして違う肉を食べているような感覚です! もう少し擦りおろした大根を入れても、悪くないかもしれませんね」
大根おろしを追加するフィオナさんを前にして、から揚げを先に食え、と言わんばかりにスズがフィオナさんの口へ突っ込んだ。
「んんっ! 上品な味になったと言いますか、お淑やかな味になったと言いますか。ダイナミックなから揚げが繊細な味になりましたね」
満足そうなスズがオーク肉のゲシュタルト崩壊に戻ってしまったので、スッとトンカツを差し出していく。
「言わなくてもわかると思いますけど、トンカツも合いますよ」
揚げ物界の帝王であるトンカツは、幾度となく味変を見せつけてきた。
ポテンシャルの高すぎる料理だけに、みんなの受け入れも早い。
迷うことなくおろしポン酢につけて、3人とも口の中へ入れていく。
「むほっ! 完璧な肉の旨味と脂のバランス!」
「帝王はどうして期待を裏切らないんだろうね~」
「味噌カツとは対極にいるような味付けですが、どちらもおいしいと感じるのはなぜでしょうか」
フィオナさんの疑問を解ける人間は、この世界にいないだろう。
あえて言うなら、ただの味覚と好みの問題である。
だが、調味料に興味がありすぎる彼女達は、難しく考え込んでしまう。
ポン酢とは何だろうか。
味噌ダレとは何だろうか。
調味料とは何だろうか。
今度は調味料がゲシュタルト崩壊を始めてしまう。
調味料とは何なのか、という壮大なテーマでしゃぶしゃぶを食べていると、続々と人が集まり始めてきた。
急遽レモン狩りをしたこともあり、待ちきれないフライング勢が様子を見に来たんだろう。
最近は戦争のことでピリピリしているはずだから、新作のしゃぶしゃぶで英気を養ってほしい。
結局、日が落ちる前から食堂に人が並び始め、おろしポン酢は一気に人気のある調味料へランクインすることになった。
サッパリとしたオーク肉のせいで、国王が食べ過ぎて動けなくなってしまうのは、仕方のないこと。
戦争が始まるかもしれないという非常事態だったこともあり、王妃様の恐ろしいビンタが炸裂したのは、見なかったことにしようと思う。
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