第174話:説得
何も対応策が浮かばないまま、2人のにゃんにゃんがやられてしまった。
「私を止めたければ、災害級の魔物を倒す貴様が止めてみろ。何もできないなら、大人しくそこをどけ」
エステルさんは僕の扱いに困っているんだろう。
災害級のキマイラの皮を持ち、ギルドに掛け合って散策の許可を取り、マールさんが巨大ワーム討伐の話をしたばかり。
でも、実際は守られて戦闘に参加しないただの子供。
ゴブリン程度の強さしかないことも、昨日の夕食の時にはバレていた。
このまま道を譲ればチョロチョロが倒されて、精霊達が精霊魔法を唱えてしまう。
僕が戦いを挑んで負けても、それは同じこと。
弱って戦えないチョロチョロよりは、運と調味料で生き抜く僕の方が止める可能性があるかもしれない。
対人戦の経験はない上に、相手はにゃんにゃんを倒すほどの実力を持った空間魔法の使い手。
普通に戦って勝てるはずもない。
でも、僕はいつだってそんな相手としか戦ってこなかった。
だって、僕より弱いステータスを持つ魔物はいないから。
ここで転移の対処法を見付け、彼女を倒すしか道はない。
幸いなことに、相手が人であればハバネロ先生が必ず活躍してくれる!
「2人を斬らずに気絶で済ませてくれたのは感謝しますが、道を譲る気はありません」
「私は殺し合いをしているわけではない。この世界を守るために行動するだけだ!」
剣を強く握りしめ、エステルさんは走りだす。
クソッ、得意の説得も話を聞かないタイプには難しい。
考慮時間もないまま、戦う羽目になるなんて。
迎撃することは不可能だし、調味料を放てば転移で背後を取られる。
仮に緊急醤油脱出で避けたとしても、起き上がる前に転移で追撃されるだろう。
腐い系シリーズは、口呼吸をされたら効果がないし。
うまくやり過ごす方法が見当たらない、早くも万事休すか。
ここは下手に避けるより、死なない方法を優先するしかない。
猛スピードで突っ込んでくるエステルさんにビビりつつ、両手を前に出して対峙する。
魔力を持たない僕が何をするのか疑問に思ったのか、エステルさんは目を細めた。
警戒された以上、何か行動を起こせば転移されて斬られるだろう。
僕みたいな激弱冒険者は、背後に転移するとわかっていても反応できる自信がない。
極力エステルさんを刺激しないようにしよう。
まずは転移されないことが生き残る必須条件。
エステルさんの攻撃を正面から来るように仕向けるため、両手を突き出したまま立ち尽くす。
何もしてこない僕を睨み付けるエステルさんは、走る勢いを利用して剣を突き出してきた。
その瞬間、アイテムボックスからキマイラの皮を取り出す。
両手で伸ばして剣を防ぐも、突進のスピードで物理的に押し込まれ、後方へ吹き飛ばされてしまう。
優れた装備と雪がクッションになったこともあり、まともにダメージを負うことはない。
キマイラの皮にも傷が付いた形跡はないから、これで防げば刃物で傷付くことはないだろう。
でも、ただの時間稼ぎに過ぎない。
たった1回の攻撃で、エステルさんは僕の力量を見破ってしまったんだろう。
首を傾げたまま、見下すように大きな溜息を吐いた。
「こんな攻撃も対処できなければ、災害級の魔物どころかCランクモンスターも倒せない。どうやら見た目通りの弱さみたいだな。アイテムボックス持ちにしては、頑張った方だと思うぞ」
誉めていただけて嬉しいですよ、自分でも弱いのに頑張っている方だと思っています。
キマイラの皮が貫通したらどうしようかと、めちゃくちゃ緊張しましたよ。
剣を持って走ってくる人と向かい合うなんて、今までにない恐ろしい経験ですからね。
逃げずに向き合う自分に1番驚いています。
精神32万のヘタレメンタルもやればできるもんですね。
「そう思うのなら、見逃してもらえるとありがたいんですけど」
「フンッ、災いを呼ぶ魔物を見て引けるわけなどないだろう」
まだ起き上がらない僕に向かって、エステルさんは再び剣を構えて接近。
キマイラガードで防ぐしかない僕は、両手を前に突き出して防御態勢を取ることしかできない。
これではダメだ、また吹き飛ばされてしまう。
前方の攻撃を防ぐことしかできないし、臨機応変に対応ができない。
転移して背後を取ってください、と言っているようなものだ。
でも、これ以外にエステルさんの攻撃を防ぐ方法はない。
いったいどうしたらいいんだ!
落ち着け、32万の貧弱メンタルで考えを搾り出すんだ!
えーっと、えーっと……、
「きょ、今日の夜ごはんにデザートはいかがですか!」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
剣を持って攻撃してくる相手に向かって、デザートを進める人間がいるだろうか。
もうダメだ、また吹き飛ばされ……ない?
「なに?! 貴様、デザートまで作れたのか!」
どうやら奇跡が起こったらしい。
キマイラの皮にギリギリ武器が接触する瞬間で、エステルさんは止まっていた。
信じられないような驚愕の表情を浮かべたまま。
「つ、作れないと言った覚えはありませんよ。僕はフリージアでおいしすぎるクッキーを作ったせいで、神と呼ばれる男。国王に至っては、新作デザートのトリュフチョコレートが幸せすぎて気絶しましたからね」
「甘味を食べ尽くしているであろう、国王が気絶だと? 信じられない思いがある中、カツ丼と豚汁を思いだし、よだれが止まらなくなってしまう。真実と告げるようなこの感覚はなんだ! 食べたくて仕方がない」
予想外の展開である。
話を聞かずに突進を繰り返してきた暴れ馬が、交渉のテーブルについてくれるとは。
昨日の夜、一緒にごはんを食べておいてよかったよ。
餌付けによって生まれた欲求を揺さぶる精神攻撃は、1度でも日本の料理を食べた人には有効的なことが多い。
この世界の人はおいしい食事に弱く、女の人はデザートにも弱い。
さっきみたいに『精霊』のような地雷ワードを踏むわけにはいかない。
得意の説得で魂に呼びかけ、彼女の戦意を食欲へ変換させて、街に戻ってパーティをしよう。
「約束を破る悪い子はデザートを没収しますよ。今ならまだ許しますけど、どうされますか?」
「うっ……、そ、そんな誘惑に負けるほど、私は弱くないぞ。帝国は世界を守り、秩序を正す国。で、デザート如きで心が揺れることなど、ないからな!」
ほぼ王位継承権がないとはいえ、正義感に溢れすぎている。
帝国の間違った英才教育で洗脳され、今まで過ごしてきたんだろう。
だが彼女はいま、涙をこぼすほど悔やんでいる。
当然といえば当然だろう。
今朝はタマゴサンドでキュンキュンするという、未知の体験をしたばかり。
「今なら選り取りみどりですよ。プリンにクッキー、アイスにトリュフ。ご希望であれば、次の新作デザートはどんなものがいいのか、意見もお聞きしますけど?」
「あぁぁぁ! なんだ、その聞いたことのない魅力的なデザートは! 食べたい、甘味で血液がデロデロになるまで食べたい!」
この世界特有のカンが働いたんだろう。
見たことも食べたこともないデザートを言葉の響きだけで想像し、もだえ苦しんでいる。
「血液をデロデロにしてくれそうな甘味は、チョコレートですね。粘り気のある甘みが口内に纏わりつき、幸せに拘束されるという快感を覚えます。偶然なことに、国王が食べて倒れたトリュフチョコレートが最上級のものですよ」
「ぐぁぁぁ! やめろー! 最上級の料理であるカツ丼と並ぶデザートなど、この世に存在していいはずがない!」
その言葉を聞いて、僕はニヤリと笑ってしまった。
勝手にカツ丼を最上級と決めつけてしまうほど、彼女は肉好きなのである。
最近の女の子は、肉も好きな子が多いからね。
「何を言っているんですか? カツ丼が最上級なんて、誰も言ってませんよ」
「嘘をつくな! あんなうまい肉料理が最上級でなければ、一体なんだと言うんだ!」
「エステルさんはまだ、オーク肉料理をカツ丼しか食べていないんですね。カツ丼はトンカツの派生料理であって、最上級料理ではありません。様々な調味料で味を変えることができる、ただの変幻自在なオーク肉料理ですよ」
カタカタカタッと剣を持つ手が震える姿を見て、僕は勝利を確信する。
この人は
「おい、今、なんて恐ろしいことを言ってしまったんだ。ただのオーク肉料理、だと? そんなはずはない、あり得ないだろ!」
「そんなことはありませんよ。固いはずのオーク肉が箸で裂けてしまう角煮もありますし、食べ応えのあるステーキも人気がありますね。ブリリアントバッファローとオーク肉を合わせたハンバーガーは、舌を唸らせること間違いないでしょう」
「どういうことだ、見た目も想像できないのに唾液の生産が止まらない。オーク肉が箸で裂けるはずがないというのに、真実だと受け入れてしまうこの感覚。角煮が……食べたい……」
思わず本音が漏れてしまったエステルさんは、催眠でもかかったような精神操作を受けているようだった。
目の焦点が定まらなくなり、ボーッと角煮のことを考え始めている。
よし、ここまで来れば後一押し。
「偶然ですね、今日の夜ごはんは角煮にしようと思っていました。でも、角煮は約束を守るいい子にしか食べることができない、選ばれし者が食べる料理。デザートにトリュフも付いてきますが、本当に戦いを続けてもいいんですか?」
「うわぁぁぁぁーーーーー!!」
食欲という欲求で精神が破壊され、エステルさんは頭を掻きむしっている。
世界を守るという最上級に誇らしいプライドと、おいしいごはんが食べたいという子供のような欲望の戦い。
普通であれば圧倒的に前者を選ぶだろうが、この世界の料理文化は低く、今や最高級の娯楽へと変わり始めている。
旅館に泊まるお金も持ち歩いていないエステルさんは、保存食のような食事を続ける低ランク冒険者みたいな生活をしているんだろう。
どこへ行っても暴れ馬と罵られ、迷惑をかけるからと宿に泊まることも拒否され、野宿をすることも多いはず。
常にトラブルを起こしてしまう性格のため、修繕費や賠償金などの出費も重なり、お金をあまり持っていないんだと思う。
そんな彼女が角煮とトリュフのダブルパンチに勝てるはずがない。
確実に説得が成功したと思った僕は、キマイラの皮をアイテムボックスに入れる。
後は彼女が膝から崩れ落ちたところへ、そっとトリュフを差し出して気絶させるのみ。
幸せの爆弾と呼ばれるトリュフのハッピーアタックである。
しかし、エステルさんが膝から崩れ落ちることはなかった。
大粒の涙を両目から流し続けるエステルさんは、ゆっくりと歯を食いしばっていく。
必死に奮い立たせるように震える腕で、剣を強く握り締める。
「食べたい……角煮を食べたい……! だが、私が引いてはならんのだ! 帝国が世界を守る正義として存在する限り、私がやる以外に道はない!!」
剣を大きく振りかぶり、両手で力強く握りしめたエステルさんは決意をしたようだった。
食欲に負けることなく、自分の正義を貫くと。
そのため、悪魔のように囁く僕は完全な討伐対象になってしまったんだろう。
にゃんにゃんの時とは違う。
彼女は本当に理性を失い、僕の命を奪おうとしている。
急いでキマイラの皮を再度取り出し、攻撃を防ぐように前へ出す。
が、至近距離でやれば種がわかっているアイテムほど、対処するのは簡単なこと。
エステルさんの片手が振り下ろされ、一瞬でキマイラの皮を奪われてしまう。
「世界と角煮を比べれば、世界を守るのは当然のこと! 角煮など食べなくても生きていけるわー!」
ガードする術を失った僕に、攻撃を防ぐ方法など存在しない。
グッと手に力が入れられたエステルさんの剣が動き始めると、自然と身構えるように目を閉じ、縮まることしかできなかった。
ガキーン
不意に鳴り響いた甲高い金属音に、僕は違和感を覚えた。
振り下ろされたはずの剣も当たっておらず、痛みという感覚も走らない。
恐る恐る目を開けてみると、僕はハッと息を吐くような声が漏れ出てしまった。
赤い軽装備に身を包んだ1人の女の子が、攻撃を防いでくれていたから。
しばらく会っていないだけで、いつも近くにいてくれた女の子が。
「角煮を見下すなんて、言語道断。暴れ馬は大人しく、草を食べればいい」
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