第173話:暴れ馬の暴走

 チョロチョロに向かって駆け出していくエステルさんに、迷いは見られない。


 普通に戦ったら、エステルさんに勝ち目はないだろう。

 古代竜と同等の強さを持つ精霊獣は、冒険者ギルドの指標だと災害級の魔物に分類されるはず。

 でも、今は力を使い果たして弱っている。


 距離を詰めるエステルさんに対して、チョロチョロは甲高い声で遠吠えをする。

 その瞬間、森に潜んでいたスノーウルフ達が姿を現し、エステルさんに向けて走っていく。


 突然現れたスノーウルフ群れが襲撃してきても、エステルさんが止まることはない。


 腰にぶら下げていたバッグを剣で一閃すると、周囲に粉末が拡散される。

 接近していたスノーウルフは苦しむことなく一瞬で気絶するところを見ると、大量のニオイ袋が飛び散ったんだろう。

 周囲にいたスノーウルフ達も苦しいのか、距離を取るように離れていく。


 当然、にゃんにゃんは急いで鼻栓を詰めていた。


 エステルさんは相当ビビっていたに違いない。

 未使用のニオイ袋をバッグいっぱいになるまで詰め込んでいたなんて。


 瞬時にスノーウルフを対処されたことで、チョロチョロは薄っすら白い防御障壁を展開。


 鼻で笑うような声がエステルさんの方から聞こえてくると、スピードを緩めることなく剣を構え、障壁の下端に刺突を繰り出す。

 バリンッとアッサリ割ってしまい、再度チョロチョロに接近していく。


 森に結界があるとはいえ、可視化できるような魔法は魔力の流れが見えているんだろう。

 1番不安定で脆い部分を見抜いて攻撃したに違いない。

 力が戻っていないとはいえ、あっさりと防御壁を壊してしまうなんて。


 流れるような動きで下段から斬り上げるエステルさんに対して、チョロチョロは前脚の爪で受け止め、押し返すように前方へ踏み込んだ。

 エステルさんを軽く飛ばすような形で転倒させ、僕達の背後に回って湖の上へ退避する。


 すごい威圧感は放てるのに、思っている以上に体の負担があるみたいだ。

 戦えないとは聞いていたけど、防御壁だけで精一杯なのかな。


 どうしよう、僕がNGワードを言ったことが原因で戦闘が始まってしまうなんて。

 知らなかったとはいえ、こんなミスをするのは僕の失態。

 無責任にはなるけど、自分で対処できるような状態じゃない。


 暴れ馬を止められるのは、にゃんにゃんだけ。

 エステルさんもパワーアップすると思って、料理を食べていないのが気がかりだけど。

 向こうが戦闘する気満々なら、今取り出して食べさせる時間はないし。


「タマちゃん、クロちゃん、何とか2人でエステルさんを押さえ込んで」


「これは追加料金が発生する案件だにゃ。後でガッポリいただくにゃ」


 お金ならいくらでも払いますから、お願いしますよ。

 見た目は子供でも財力だけは自信がありますから。


「そうニャ、暴走した暴れ馬は厄介なことで有名だニャ。ここはクロの魔法で押さえた方がいいニャ。少し時間を稼いでほしいニャ」


「任せるにゃ」


 剣を構えたタマちゃんが前に出ると、すでに起き上がっていたエステルさんが接近。


 クロちゃんは斧を地面に突き刺し、両手を地面に付けて魔法の準備に取り掛かった。

 獣人国で魔法は1つしか使えないと言っていたから、素早いエステルさんの動きを、闇魔法で止める気だろう。


「どうした、以前のような覇気を感じないぞ!」


 そう言いながら走ってきたエステルさんは、タマちゃんに怯える様子はなかった。

 魔力で判断しているのか、気迫やオーラで判断しているのかわからない。

 だが、早くも料理効果でパワーアップしていないことがバレてしまった。


 中段に構えたエステルさんは剣を横に一閃するように斬りかかり、鋭い斬撃を解き放つ。

 交差するように剣で受け止めたタマちゃんの表情は険しい。


 連続攻撃を避けるようにタマちゃんが距離を取ると、ピタリッと逃さないようにエステルさんは追撃をした。

 最初から距離を取るとわかっていたような、無駄のない攻め方で。


 目の前で魔力の流れを読み取り、次の動きを予測しているのかもしれない。

 視覚や聴覚が鋭い獣人の方が察知しそうなのに、完全に上回っている。


 目まぐるしい連撃を受け止めるタマちゃんに、余裕の色は見られない。

 攻撃を防ぐことに必死で、時間を稼ぐことが精一杯な印象だ。


 仮にもタマちゃんは姫騎士で、料理を食べてダークエルフと戦った獣人。

 スズと共闘していた姿を思いだしても、弱いとは言い難い。

 他国に悪い意味で名を轟かせるエステルさんは、本当に手が付けられない暴れ馬のような強さを持っているんだろう。


 1対1だったら、確実に負けている相手だな。

 でも、ここにはクロちゃんもいる。

 魔法さえ発動して拘束できれば、可哀想だけどハバネロを押し込んで気絶させよう。


 いつでもハバネロを出す準備だけをしておこうと思った、その時だ。

 魔力の流れを読み取り、魔法の発動が近くなったことを理解したのか、エステルさんがクロちゃんの方へ顔を向けた。


「転移」


 攻撃を受け止めていたタマちゃんの前からエステルさんが消え、急にクロちゃんの前方へ現れる。

 咄嗟に突き刺していた斧を抜いたクロちゃんは、エステルさんの袈裟斬りを斧で受け止めた。


 まさか暴れ馬の異名を持つ人間が、空間魔法の使い手だとは。

 魔法詠唱が終わるギリギリまで魔力の流れを見て、放っておいたに違いない。

 勝手に戦力が分断することになるし、エステルさんにはメリットしかなかったんだ。


 無理矢理クロちゃんが剣を押し返すと、エステルさんは距離を取った。

 ワンテンポ遅れるように、タマちゃんがクロちゃんの元へ駆け付ける。


「諦めろ、今の貴様等では私に勝てん。魔物と共に討伐されたいのか?」


「悪さをするような魔物ではありません! 森に結界を張って、外界と関係性を断っているのがその証拠。人類に害を及ぼすなら、近くに街なんて作れませんよ」


「バカを言うな、近隣に災害級の魔物がいること自体が問題だ! 精霊と関りがあるかもしれない以上、この森を破壊する以外に道はない!」


 駆け出すエステルさんを止めるべく、にゃんにゃんが共に駆け出していく。


「言っただろう。奴は話を聞くような者ではないと」


 後ろを振り返ると、チョロチョロが大きなため息を付いていた。


 その姿に違和感を覚えていると、エステルさんの攻撃を受け止めた前脚が痙攣していた。

 どうやら本当に戦えるほど回復はしていないらしい。


「途中まではうまく言っていたんですけど、すいません。余計なことを言ってしまって」


「気にするな、遅かれ早かれこうなっていただろう。帝国に目を付けられた以上、戦わない選択肢などなかったはずだ。最悪、我らは精霊達と共に古代竜の元へ居候させてもらうさ」


 今までの発言や帝国の動きを考えても、帝国が諦めることは考えにくい。

 帝国の要望を拒み続ければ、自然と戦争に発展してもおかしくはない。


 でも頼まれたこととはいえ、僕の失言でこうなったのも事実。

 お金を払うといっても、にゃんにゃんに任せることしかないのも、また事実。


 最近は1人で活動しても順調だったから、調子に乗っていたのかもしれない。

 よく考えれば、巨大ワームの時も死ぬ寸前だったし、運だけで過ごすには限界があるだろう。


 砂漠を出発する時、冒険者ギルドの統括であるイリスさんに注意されたばかりだったなー。

 サポート役はパーティをサポートすることが役目であり、仲間もなしに冒険するものではないって。


「我らはいいが、問題はお前達の方だろう。我は精霊達に好かれておるし、お前も精霊達に好かれておる。目の前でもしものことが起これば、精霊の逆鱗に触れる可能性があるぞ。周囲の精霊達がざわつき始めておる」


 ハイエルフの魔力で好かれていることが、ここに来てマイナスになるとは。

 何体の精霊が周囲にいるかわからないけど、精霊魔法は広範囲に影響を及ぼす大魔法。

 複数の精霊魔法が解き放たれてしまえば、アングレカムの街を含めて、雪山が消し飛ぶ可能性がある。


「笑えない状況になってきましたね。2対1でも押され始めているのに」


 双子のタマちゃんとクロちゃんの息はピッタリで、高ランク冒険者が相手でも苦戦を強いられるだろう。

 それなのに、徐々にエステルさんは2人を圧倒し始めている。


 転移によって突然視界から消えるため、2人が互いにフォローするように攻撃を防ぐしかない。

 いつ、どこに消えるか予測できず、後手に回って対応している。


 五感の鋭い獣人の2人でなければ、背後を取られて一瞬で終わっていたに違いない。


「獣人達は充分に暴れ馬と戦えるだけの力を持っているが、すぐに対処できるものでもないだろう。僅かな距離の転移しかできないらしいが、元からパワーもスピードも持ち合わせておる。このままでは時間の問題だぞ」


 転移で避けられるとわかった以上、僕が援護をすることは不可能だ。

 直線的な調味料攻撃なんて、味方のにゃんにゃんに対してマイナスにしか働かないはず。


 かといって、2人に料理を食べさせる時間はない。

 そんな時間を作り出す余裕はないし、料理を食べて強くなることがバレたら、2度と食べることもできない。

 転移で料理を奪われてしまうか、先に僕を倒しに来るはず。


 その瞬間、精霊魔法でこの地が吹き飛ぶことになる。

 クソッ、いったいどうしたら……。

 いくら考えても対応策がまとまらないまま、時間だけが過ぎていくばかりだ。


 転移による不意打ちで、にゃんにゃんはいつも以上に神経を使っているんだろう。

 長期間の戦闘でもないのに、早くも肩で息をしている。


 それでも、圧倒的に有利な展開で進めるエステルさんの攻撃は止まらない。


 動き回ってスピードでも翻弄するエステルさんは、袈裟斬りでタマちゃんに斬りかかる。

 剣で受け止めるタマちゃんと鍔迫り合いになると、ニヤッと笑ってエステルさんが転移。

 不意に拮抗するものがなくなったタマちゃんは、前に倒れ込むようにバランスを崩してしまう。


 背後に転移したエステルさんがタマちゃんに剣を振り下ろそうとする時、横から割り込んだクロちゃんが妨害する。


「二段転移」


 振り下ろした剣をクロちゃんが斧で弾こうとした瞬間、再度転移したエステルさんが2人の真横に現れる。

 2人とも体勢が崩されてしまい、同時に脇腹へ拳がドンッと叩きつけられた。


 共にドサッと地面へ倒れ込み、にゃんにゃんは意識を失ってしまった。

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