第163話:完敗
街を出て2時間、ようやくスノーウルフの森が見えてきた。
装備をしていないマールさんが雪で足を取られたことが影響して、ペースを落として進んできたよ。
優秀な護衛が付いているとはいえ、体力が奪われたままでは危険が伴う。
料理効果で2人の戦闘力も高めたいし、急ぐ必要はない。
安全に進むため、森へ入る前に早めの昼休憩にしようかな。
雪をタマちゃんとクロちゃんに潰してもらって、仮の休憩場を作ってもらう。
そこにウルフの毛皮を何枚か敷いて座れば、おしりも冷たくならずに快適さ。
4人で休むには少しスペースが狭いため、手軽に食べられることでお馴染みのホットドッグを片手に休憩することにした。
息を切らすほど疲れてるマールさんはゆっくり食べ、にゃんにゃんは豪快に貪り食っている。
どうやら今朝はごはんを食べていなかったようだ。
お金がなくて、それどころじゃなかったみたい。
「タツヤのホットドッグは、フリージアで売られてるものと少し違うよね。タマゴサンドは同じ味なのに」
マールさんの予想外の言葉に驚いてしまう。
1つ800円もするホットドッグと、600円のタマゴサンドは地味に高い。
すぐに味の違いに気付くほど食べているなんて、思いもしなかったからだ。
発売したばかりで並ぶことも多いはずだし、新社会人には手が出しにくいと思っていたのに。
僕がフリージアにいる間は、いつでもタダで渡してあげるんだけど。
「フリージアのホットドッグには、マスタードが付いていないからですね。作るのが難しそうだったので、まだ料理長に言ってないんですよ」
「充分おいしいにゃ」
「そうニャ、すでに獣人国でもバカ売れニャ」
料理長がタマちゃんとクロちゃんに教えたことで、すでにフェンネル王国だけの料理ではなくなったのか。
実質は同盟国みたいなものだし、この世界の人族は率先して獣人国に向かわないから、フェンネル王国の利益は心配せずとも増えていくかな。
「それはボクも思うけどね。銀貨1枚以内で収まるし、国王様も良心的な設定にしてくれてありがたいよ」
ホットドッグ用のパンは銅貨1枚で100円程度。
ウィンナーも1本銅貨1枚で同じ値段になる。
そこにレタスとタマネギ、ケチャップを加えただけのホットドッグだぞ。
人件費を考慮したとしても、大量の仕入れで値引きされることを考えたら、800円なんてぼろ儲けだろう。
今までの食費と比べると、グッと値段が跳ね上がるはずなのに。
お酒以外に何もなかった娯楽と合わさるなら、妥当な値段に感じるのかな。
小柄なマールさんは少食だから、食べる量が少なくて済むからかもしれないけど。
「獣人国はいくらで売ってるの?」
「今は復興が終わったばかりで、トマトが全然足らないにゃ。だから、ホットドッグは銀貨2枚にゃ。それでも、午前中に売り切れるほど人気だにゃ」
2,000円のホットドッグがバカ売れとは。
それを考えると、フリージアの800円が安く感じるよ。
「タマゴサンドは同じ値段になったニャ。クロはタマゴサンドよりもポテサラサンドの方が……。ハッ、そうだったニャ。親分、今度ポテサラの作り方を教えてほしいニャ」
「料理長に教えてもらってなかったんだ。あの時は途中でコロッケを作ったから、時間がなくなったのかな。じゃあ、旅館に帰ったら一緒に作ろっか」
「お願いニャ!」
危険な雪山なのに、和やかな時間だけが過ぎていく。
普通はイエティとかスノーベアとか、凶暴な魔物が出てくると思うんだけど……。
きっとこの地域では珍しい、にゃんにゃんの可愛さに圧倒されたのかな。
魔物も彼女達をエロい目で見るあまり、手が出せなくなったんだろう。
ごはんを食べたら後片付けをして、気を引き締めるようにスノーウルフの森を一列で進んでいく。
森の木々で不意打ちされる可能性もあるため、タマちゃんが先頭を進み、クロちゃんが最後尾で警戒してくれる。
護衛対象の僕とマールさんを間に挟むような形で、装備がないマールさんが少しでも歩きやすいように、タマちゃんと僕で雪を潰して歩いていく。
実に合理的な隊列であったため、従う以外に道はない。
その結果、マールさんに後ろから見られていることになり、タマちゃんのお尻を見ることができなかった。
スノーウルフの森を進んで30分が経つ頃、僕の仮説が正しいことが証明される。
魔物の襲撃が1度もないんだ。
にゃんにゃんの可愛さで魔物が驚き、スノーウルフも手が出せないに違いない。
やっべぇ、すげぇ良いお尻と太ももしてんじゃん、と。
獣成分が配合されている獣人ということもあって、必要以上ににゃんにゃんの魅力を感じてしまうんだろう。
ウルフじゃないけど、僕は勝手に共感してしまうよ。
マールさんの魅力をスノーウルフ達が感じているのか疑問に思っていると、凍らない湖が見えてきた。
森の中にポカンッと作られたような空間で、湖の周囲だけは雪が積もっていない。
草木が青々と生い茂っていて、そこだけ冬から春へ変わったような不思議な空間。
何かあるのかと思って近付いてみても、何も感じることはない。
目当てのスノーフラワーも見当たらない。
「やっぱり時期外れなんですね。でも、まだ残っているかもしれませんから、湖をグルッと一周してみましょうか」
「う、うん……、残ってるといいんだけど」
わざわざ自分の足で取りに来るくらいだし、ショックは大きいんだろう。
自然にできるものだから、さすがにどうすることもできないし。
あとは、僕の運100に期待するしかない。
「待つにゃ。……囲まれたにゃ」
囲まれた? 見渡す限りは森しかないし、足跡なんて……。
そういえば、アズキさんが言っていたな。
スノーウルフは雪の上に魔力を張って走ることで、足跡も付かずに無音で走り抜けるサイレントキラーだと。
「数が多いニャ。最初からここへ来るまで待っていたのかもしれないニャ」
な、な、なんだって?!
にゃんにゃんの魅力を感じていたわけじゃなかったのか。
知的キャラの僕を騙すなんて、ウルフなのに頭の賢い魔物だ。
きっと時期外れの森に人がやって来ることは少ないんだろう。
そのため、滅多に来ない餌を逃がさないために追い込んだ、ということ。
獣人の2人と来ていなかったら、気が付けば死んでいたかもしれないな。
ちょうど僕とマールさんはスノーフラワーを探していたこともあり、湖に近い場所にいる。
このまま湖を背にして動かない方が、戦う2人の戦闘を邪魔しないだろう。
最悪の展開になったとしても、雪のないこの場所だと腐った卵を使えるし。
とはいえ、タマちゃんもクロちゃんも料理効果で強くなった獣人だ。
凶暴化したスノーウルフが相手とはいえ、遅れを取るはずはない。
スノーウルフの群れはAランク。
だが、彼女達は料理効果でSランク。
まだ見ぬスノーウルフ達に戦闘体勢を取り始める二人は、それぞれ剣と斧を構えて森を睨み付けた。
怯えるマールさんは僕に寄り添い、両腕を使って僕の左腕を抱き締めしめてくる。
緊迫した雰囲気にドキドキするマールさん。
左腕の衝撃に心臓がやられる僕。
無駄にビシッと背筋を伸ばしていると、森から大量のスノーウルフ達が静かに顔を出し始めた。
草木を揺らすことなく、無音のまま近付いてくる姿は不気味だ。
殺意すら押し殺しているように感じ、普通の人なら見ていないと感知することは不可能だろう。
獣人の優れた嗅覚で認知したから、気付いただけに過ぎない。
無音のままぞろぞろとスノーウルフが現れ続けると、タマちゃんとクロちゃんが一歩後ずさる。
想像以上にスノーウルフの数が多すぎるんだ。
森に棲む全てのスノーウルフが集まってきたかと思うほど、辺りは埋め尽くされていく。
単独でBランクモンスターに分類される、世界最速のウルフが300体はいるだろう。
群れはAランクと聞いてたけど、この数は災害級に該当するかもしれない。
タマちゃんとクロちゃんには悪いけど、腐った牛乳でガッツリいった方が安全だ。
獣人達は鼻栓を持っているはずだから、装着すれば死ぬことはないはず。
心配なのは、臭すぎてマールさんとの関係が悪化する可能性があること。
でも、命には変えられない。
「タマちゃん、クロちゃん。ここは「マテ」」
僕の声を妨害するように、天から森全体へ拡がるような声が鳴り響いた。
野太い男性のような声だったけど、いったい誰が……。
敵か味方かもわからない声の正体を探るべく、周囲を見回す。
すると、僕は信じられないものを目の当たりにした。
マテ、と言われたのは僕達ではなく、スノーウルフ達だということに気付いたから。
全てのスノーウルフ達が綺麗に『お座り』をしているんだ。
嫌そうな顔で『どうせ次はお手をやるんでしょ?』と言わんばかりに、右前脚をクイクイと前に出している。
「お手はいらぬ」
右前脚を引っ込めると、『じゃあ、おかわりがほしいんでしょ?』という感じで、左前脚を前に出してきた。
「いや、おかわりもいらぬ。違う、ティモティモもいらぬ」
ティモティモだと?!
こいつはスノーウルフに何を教えているんだ。
300体のスノーウルフに囲まれ、凛々しいティモティモを見せ付けられてどうしろっていうんだ!!
こっちには女の子が3人もいるんだぞ!
ウルフの集団でセクハラしてくるなんて、失礼にもほどがある!
凶暴化したスノーウルフって、そういう意味なのか?
発情したスノーウルフの一部が凶暴化して、見せ付けてくるという変態的な意味で危険な森なのか?
魔物のクセに僕より凛々しいものを見せびらかしやがって。
こんなにも圧倒的な敗北感を感じたのは、今日が初めてだよ!!
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