第8章 忍び寄る影
第160話:初めての雪
砂漠の国を馬車で出発して、5日目の夕暮れ。
雪の都、アングレカムに到着した。
「ねぇ、見て! こんなに雪が積もってるよ! すごーい、雪だるま作ろう!」
馬車を1番に飛び出したマールさんは、人目を気にすることなく駆け出していった。
他の乗客の人が微笑みながら降りていく姿を見て、中身が32歳の僕としては落ち着かない気分になってしまう。
道中でもマールさんだけが初めて見る雪に騒いで、申し訳ない気持ちでいっぱいだったよ。
幸いなことに良い人ばかりで、怒られなかったからいいけど。
「少しくらい落ち着いてください。田舎丸出しで恥ずかしいですから」
「えへへ、いいじゃん。初めての雪なんだし、少しくらい騒いでも文句は言われないよ」
早くも雪だるまを作ろうと、小さな雪玉を転がし始めた。
子守りをする親のような気持ちになり、思わず溜め息が出てしまう。
そんな僕を見て、馬車を運転してくれた男性が近付いてきた。
「嬢ちゃんの言う通りだぜ。子供が元気に騒がなくなったら世も末ってもんだ」
彼女は15歳、この世界では大人である。
「元気なのは、彼女の良いところですけどね。あっ、1つ聞いてもいいですか? 僕達は温泉がある宿に泊まりたいんですけど、おすすめの宿はありますか?」
「うーん、坊主達はまだ若いからな。東にある民宿ぐらいじゃねぇと厳しいんじゃないか? 貴族様なら北にある旅館を進めるんだがな。1泊あたり白金貨1枚で、1部屋に1つ露天風呂っちゅうもんがついてんだ。俺も1度は泊まってみたいぜ」
「そうですか、ありがとうございます」
金持ちの僕は北の旅館だな。
お風呂が一般的じゃないこの世界で、1部屋に1つの露天風呂。
白金貨1枚(100万円)という値段も頷けるだろう。
懸命に雪玉を転がすマールさんに近付いていく。
「マールさん、雪だるまは明日にしてください。今日はもう日が暮れ始めていますし、先に旅館へ行きますよ」
「あ、う、うん。でも、本当にいいの? この服も随分良いやつを買ってもらったし、旅館って相当高いはずだよ。ボクの給料何ヵ月分もすると思うんだけど」
すでに砂漠の国を出立する時、マールさんには温かい服を貢いでいる。
露出度はガクッと減ったけど、ダッフルコートとマフラーがよく似合っていた。
正直、可愛さが増して心臓を落ち着かせるのに大変だったよ。
「お金はいっぱいありますから、気にしないで下さい。僕は冒険者で自由ですけど、マールさんはギルドの仕事があって気安く来れないと思いますし、満喫してからフリージアへ帰りましょう」
「うんっ、ありがとね。じゃあ、夜は一緒に温泉入ろう。背中ぐらいは流してあげるよ」
な、なんだと……?!
湯上がり姿の色っぽいマールさんを独り占めしようと思っていただけなのに。
まさか一緒にお風呂へ入るイベントが発生するとは!
まだリーンベルさんと一緒に入っただけで、スズとフィオナさんとも入ったことがないのに。
男女が同じ部屋に泊まり、男女で同じお風呂に入る。
親しい友人という枠を飛び超え、新婚旅行の領域に入っているぞ。
僕達の関係性はいったい何だというんだ?!
当然のように同じ部屋で過ごすつもりでいたけど、頭がパニック状態で困り果ててしまうぞ。
「い、一緒にお風呂に入るのはマズいですよ」
「えぇー、せっかくの温泉なんだし、一緒に入ろうよ。タツヤは家にお風呂があるからいいけど、ボクは滅多に入れないんだからね。ほら、ボクの水着姿も見たいでしょ? お風呂だったら違和感もないし」
なんてアグレッシブな元気っ子だよ!
今まではリーンベルさんを意識して自分を抑え込んでいたんだろうか。
心を許した人には積極的になるんだろうか。
初めての雪国に舞い上がって、開放的な気分になっているんだろうか。
マールさんが何を考えているのかさっぱりわからない!!
女心と秋の空、って聞いたことがあるけど、女心とゲリラ豪雨に書き換えたい気分だ!
「一緒にお風呂に入るなんて、友達の領域を超えていますからね。少しは遠慮してください」
キングオブヘタレの僕は、極度のエロイベントを妄想だけに済ませ、逃げる癖が付いている。
強引に引っぱるようにリードしてもらわないと先へ進めないんだ。
僕の言葉を嫌がっていると捉えたのか、マールさんは雪だるまを作る手を止めた。
笑顔から一転し、今にも泣きそうな表情で僕に近付き、顔覗き込むような距離で見つめてくる。
「……タツヤは、もうボクのことが嫌いなの? ボクは大好きだよ。男の子を好きになるの初めてだし、もっと2人で色んなことしたいのに……ダメ?」
グイグイ押してきたと思ったら、すぐに引いてくる。
お手本のような恋の駆け引きに、心は爆破されて一瞬で粉砕。
胸を撃ち抜かれるとかいうレベルじゃない、恋の衝撃が強すぎて粉々に弾き飛んでしまうような感覚。
「だ、ダメじゃないですけど、は、恥ずかしくてですね。僕の中ではもう、マールさんがリーンベルさんのような存在になってきているんです。好きすぎてどうしたらいいのかわからないような感じで……」
恋の駆け引きでボロボロにされた僕は、マールさんに目を合わせられないほど緊張していた。
「そ、そうなんだ、えへへ。じゃあ、ボクがベル先輩みたいにリードしてあげるよ」
そう言ったマールさんは僕の手を取って走り出した。
今までのように手を握るんじゃない。
恋人繋ぎで手を絡ませてきたんだ。
次々に刺激を送り続けてくるマールさんに、心の再生が間に合うはずもない。
無邪気な笑顔で走る姿に魅了され、頭の中はマールさんで埋め尽くされていく。
友達とか恋人とか婚約者とか、そんなことはどうでもいい。
ずっとマールさんのペースに巻き込まれていたい。
マールさんと恋人のように走り続けていると、大きな旅館にたどり着いた。
土魔法で作られた建物ではなく、わざわざ木で作られた旅館。
一面が真っ白な銀世界になるほどの大きな庭があり、ここだけは別世界のような空間になっている。
「ほ、本当に大丈夫かな。平民のボク達は場違いな気がするんだけど」
本当に不安だったのか、恋人繋ぎの手にギュッと力が入った。
きれいな雪の街でデートしているような感覚に支配され、僕はもう有頂天だった。
クリスマスのような特別な日に感じて、恋愛の神様に導かれていると思っている。
両想いで高級旅館に外泊する事実と、マールさんの楽しいことをしたい発言が重なっていく。
ここから導かれる答えは、たった1つしか存在しない。
神聖な聖なる夜に体を重ねるイベント、夜のクリスマスデートである。
「非日常的な感じがしていいと思います」
開放的な空間で過ごすことにより、もっとマールさんが過激になってくれると信じている。
今日ほど最後まで行くんじゃないかと、期待している日はないだろう。
「良い場所だと思うけど、やっぱりお金を出してもらうのは気が引けちゃうかな。一生無縁の場所のように感じるし、絶対高いはずだもん。もっと安くていいから、他の場所にしない?」
いつもと同じような場所じゃダメだ。
なぜなら、特別な感情が減ってしまい、いつもと同じようなことしか起きないから。
さっきからハイエルフの血が騒ぐんですよ。
この場所は失神イベントが起きるから早く入れ、と。
マールさんの水着姿をもう一度拝めるのはここだけだと!
他の場所の温泉で男女別に分けられてしまったら、湯上がり姿のマールさんしか見ることができない。
それはそれでありかたいけど、恋人繋ぎをした僕は暴走している。
マールさんと混浴して、激しい展開に持ち込まれることしか望んでいない。
絶対ここに泊まって、失神の1つはかましてやる。
あわよくば体を重ね、聖夜で卒業式を迎えるんだ!
説得は任せてくれ。
心が粉砕されるほど砕け散った僕は、奇跡的にヘタレ成分が2%減少し、野獣成分が2%もプラスされた。
そのせいもあって、欲望が止まらないんだよ。
最近はマールさんが頻繁に恋の駆け引きを披露してくるから、そのテクニックを学習している。
恋人繋ぎをした両想いのマールさんも、僕と同じような気持ちでいるはずだ。
雰囲気に圧倒されているだけで、本当は泊まりたいと思い、一緒に甘い一時を過ごそうと妄想しているに違いない。
その妄想を現実化させてくれ!
「お金は気にしなくても大丈夫ですよ。マールさんと一緒に楽しい時間を過ごしたいだけですから。それとも、僕とこの旅館に泊まるのは嫌ですか? 温泉から上がったばかりの色っぽいマールさんを独り占めしたいのに……」
「ふぇっ?! い、色っぽい……。や、やめてよ。色っぽくなんか……ぼ、ボクに色気はないから。からかわないでよね、もう。い、行くなら行こう、早くお風呂に入りたいし」
効果は抜群だったようだ。
マールさんは女性としての魅力を褒められることに慣れておらず、女として意識されると喜ぶ癖がある。
この話題の時は必要以上に顔を赤く染め、照れまくるからね。
そういうことを考えると、マールさんって恋の駆け引きを天然でやってるんだろうなー。
もしマールさんが魔性の女だったとしたら、僕に金を払わせるだけの言葉を選び、今のタイミングで抱き付いてくるところだ。
媚を売ってくるわけでもなく、お金のことにも純粋に気を使ってくれている。
恐ろしいほど天然の男垂らしだよ。
色っぽいと言われたマールさんは、僕よりも心臓がドキドキしていた。
僕に顔を合わせることができず、明後日の方向を向いてしまう。
今夜のイベントに期待しながら、恥ずかしそうにするマールさんと一緒に旅館へ入っていく。
旅館は木造で作られていて、それだけでワビサビの効いた懐かしい雰囲気に感じる。
広々とした空間なのに、実家に帰って来たようなホッとする気持ちになるから。
僕達を出迎えてくれたのは、貴族のようにお淑やかな女性だ。
「おこんにちは、お二人で来られましたか?」
「はい、二人部屋は空いていますか? 料理はナシで構いませんので」
「おわかりました、お先にお代金だけいただいてます。お一人様、白金貨1枚になります」
言葉遣いが少し気になりながら、白金貨を14枚取り出す。
「とりあえず、1週間泊めてもらってもいいですか?」
「お了解しました、ちょうどいただきます。では、お部屋へご案内します」
マールさんと僕なんて、ザ・子供なのにちゃんと対応してくれる。
普通は1泊100万もするところに子供だけで来たら、門前払いにされてもおかしくはない。
言葉遣いは変だけど、サービスがちゃんとしたところなんだろう。
案内してくれる女性の後ろをついていくと、マールさんは落ち着きがないようにソワソワし始める。
「ね、ねぇ、1週間もいいの? 嬉しいのは嬉しいけど、後で請求されても払えない値段だよ」
「請求しませんから安心してくださいよ。今回デザートローズに案内してもらったお礼と思ってもらえればいいですから」
「う、うん、わかったよ。じゃあ、もうこれからは気にしないことにするね。羽を伸ばすために来たんだもん。雪もいっぱいあるし、いっぱい楽しいことしようね」
2人でいっぱい楽しいことをする。
これは間違いなく誘われているだろう。
「お二人はお恋人ですか?」
案内する女性から、唐突に難しい質問が飛んできた。
友達以上恋人未満なのに、恋人っぽいことをしている両想い。
実家に挨拶も済ませたけど、マールさんからは否定されている。
ここは、マールさんがなんて答えるのかチェックしよう。
答え次第で今後の対応が変わることもある。
「えへへ、ま、まぁ、そんな感じかな。ボク達は両想いだから」
唐突の恋人ルートに驚きを隠せない。
心臓が喜びのビートを刻み始める。
「おわかりました。では、こちらのお部屋をお使いください」
案内してくれた女性と別れ、部屋の中に入っていく。
部屋の中は、2人で過ごすなら充分な広さがある空間。
右手には違う部屋への扉。
左手には脱衣所があり、その奥には部屋専用の露天風呂へ続く扉がある。
早速マールさんと露天風呂の確認へ向かう。
少し離れた野外に作られた露天風呂は、木で作られた風流のあるタイプで屋根が付いていない。
周りは柵があって見られることもなく、露天風呂の周りは雪が積もっている。
それだけ寒い気温ということもあり、湯船から湯気がモワモワと立ち昇っていた。
日本みたいにしっかりと作られた、本格的な露天風呂だ。
初めての露天風呂にはしゃぐマールさんを横目に、もう1つ付いている部屋を確認する。
その扉を開けた先は、寝室。
案内した女性、奴は相当な切れ者だろう。
わざわざ恋人同士か聞いたのは、この部屋へ案内するか迷ったからか。
さすが白金貨1枚もする高級旅館だ。
寝室の光景に唾をゴクリッと鳴らして飲み込むと、後ろからマールさんがやってきた。
「うわぁ~、壁もベッドも全部ピンク色できれいだね~。なんか変な気分になっちゃいそうだよ。先にごはんだけ食べて、早く一緒にお風呂入ろう」
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